第4話

 散らかった机に、埃をかぶったケーブル。用途不明のガラクタが山を作り、換気扇が低く唸っている。外は雨だ。窓を叩く音が、やけに規則正しい。


 俺はデスクに肘をつき、彼女を見た。


「他に盗まれた物はないのか? クレジットカードや通帳とか」


 鼻で息を吐き、肩をすくめる。とはいえ、そんな物――生体認証が当たり前になった今じゃ、盗んでも役に立つものでもない。使おうとすれば即座に足がつくし、ログも残る。闇取引に流したところで、もはや値段すらつかないだろう。


 彼女は小さく首を振った。


「……分からないの。あったはずだけど、今は……ない。探しても、何も見つからなかった」


 一瞬、言葉に詰まるようにして、続ける。


「……じゃあ、どうして“私だけ”空っぽにしたんだろう?」


 そこだ、と俺は思った。


「その“どうして”が問題だ。金目当てじゃない。アンタの身元を潰し、履歴を消し、記憶までも抜く。そこまで徹底してやるのは……その辺の犯罪者じゃない」


 彼女の指先が、かすかに震えた。


「記憶まで盗まれたってことか。アンタが覚えているはずの“自分”が、もう空っぽだとしたら……」


「……そんな気がするの。忘れちゃいけないことまで、抜かれたみたいで」


 俺は視線を机の上のデバイスに戻した。


「それで、このデバイスは?」


 彼女は少し間を置いてから答えた。


「……残されたのよ。“私から全部盗んだヤツ”が、わざと置いていった」


「全部、ね。金か、データか、信頼か……それとも人生そのものか」


 彼女は目をそらす。


「……どれも。全部まとめて、持っていかれたの」


 あいにく、ここには記憶を取り戻すための電気ショック装置なんてない。そんなもの、加減を誤れば記憶どころじゃ済まない。一歩間違えれば、違う世界へ行っちまう。


 俺は基板を覗き込んだ。


 焼けた跡も破損もない。それどころか、パッケージ自体が高度に偽装されている。単純な不揮発性メモリに見せかけて、いったい何を仕込んでいる。


「……この手のデバイスはな、変換コネクタ一つじゃ簡単に口を開かない。天岩戸みたいに、プライドだけは高い。別のアプローチが必要だ」


「探偵って、こういう仕事もするものなんですね」


「探偵なんてのは、世間からこぼれ落ちた人間の残りかすを拾う商売だ。生き残りたきゃ、何でもできなきゃやってられない」


 逃げ出したペットばかり探してりゃ、すぐに食い上げだ。もっとも、逃げたくなる気持ちに同情する結果になることがほとんどだが。


「どこでも通用するかと言われりゃ……嘘になるな」


 モニタを睨む。


 おかしい。中身が空っぽのデータが大量にある。だがその“空白”は、見たこともない暗号化された高密度圧縮だ。この圧縮率は、今まで見たことがない。


 ……消された、というより、上から別の空白データで蓋をされた感じだ。


 誰がこんな真似を?

 そこらの技術者じゃ、逆立ちしたって無理だろう。まあ、逆立ち自体できないだろうが。


「蓋……?」


「ああ。本物はもっと奥に隠れてる可能性がある。上書きじゃない。偽装だ。つまり――まだ生きてる」


 デバイスを机に置く。彼女は俯いたまま、「ホンモノ……」と口の中で呟いているように見えた。


「……本当に? 取り戻せるの?」


「それは、アンタの話し方次第だな」


 彼女は、これまでのことを少しずつ語り始めた。

 このデバイスを持って、いろんな場所を回ったこと。調査には相当な費用がかかると言われたこと。だが、何度開いても、誰に見せても、結果は空っぽだった。


 記録も、仕事のコードも、家族の写真も。

 すべてが消えていた。


 俺は彼女の表情を観察する。


「アンタ、“全部盗まれた”って言う割に、犯人の名前を出さない。恨み節もない。怒りより……迷いがある目をしてる」


「……何が言いたいの?」


「盗まれたのか。それとも、“預けた結果、戻ってこなかった”のか」


 彼女は、はっと息を詰めた。


「……そうなのかも。鋭い人ね」


「仕事柄だ。で、どうなんです。盗難か、裏切りか」


「分からない……言えない。まだ、何も……」


「それとも――誰かを信じた罰、か」


「……私の知ってる人間じゃない。でも一つだけ確かなことがある」


 彼女はデバイスを見つめた。


「そこには、“私のすべて”が詰まっている……はずだった」


「“はずだった”ってことは、中身を抜かれたか、すり替えられたか、だ」


 俺は顔を上げる。


「アンタは誰かを恨んでここに来たんじゃない。自分の人生を取り戻すためだ」


「……自分のためよ。もう誰も信じられない。でも……ここに持ってきたのは、あなたしかいない気がした」


 思わず笑みが漏れた。


「面白い。じゃあ始めよう。失われたものの奥にある“真実”探しだ」


 ケーブルを接続する。その瞬間、ランプが微かに灯った。


「……動いた」


「ああ、ここからが本番だ。その空白の奥に、アンタの失ったものが全部眠ってる」


 彼女を一瞥する。


「それと同時に――アンタが俺に隠してることも、な」


「……全部、見られるの?」


「ああ。取り戻すってのは、そういうことだ。覚悟はあるか?」


「……ええ。もう、失うものはない」


 少し間を置いて、彼女が言った。


「怖くないの? そんな相手に手を突っ込もうとして」


「怖いさ。でもな、怖いからこそ“癖”が見える」


 基板を光に透かす。


「価値のない物を盗むなら、狙いは別にある。“アンタ自身”だ」


「……私に?」


「決めるのは盗んだ側だ。こういう連中は、自分に必要な部分だけを、綺麗に削ぎ取る」


 俺は静かに言った。


「さて……記憶を盗まれた女と、その理由。両方探るには、まだまだ聞かせてもらう」


「……何でも聞いて。覚えてるかどうかは分からないけど」


「それでいい。欠けてる部分も情報だ。被害者の空白は、時に何より雄弁だからな」


 俺は端末に指をかけた。


「じゃあ行こう。“本当に盗まれたもの”を探す旅だ」

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