第8話 儀式当日

 五日後。約束の日の夕方に、僕は一森駅の駐輪場内で立ち止まっていた。目の前には自分の自転車が駐めてある。


 今日の朝は電車を利用せず、自転車で一森駅に来た。放課後に一度家に帰ってから自転車で神崎君の家に行くのは手間がかかるからだ。しかし、僕は自転車通学の届け出をしていないので、学校の駐輪場は利用できない。そこで、駅の駐輪場に自転車を駐めたのだった。


 自転車のカゴには学生鞄と紙袋が入っている。紙袋には懐中電灯と唐辛子スプレー、それから着替えの衣服が詰め込まれていた。制服姿のまま楔山に行くと目立つので、神崎君の家で私服に着替えることになっている。また、今夜は菅原君の家に泊まる予定なので、下着の替えも必要だった。


 重い溜息をついてスマホを見る。時刻は5時41分。約束の時間は6時なので、急いで神崎君の家に向かわなくてはならない。


 ……のだが、自転車のハンドルを握ったまま、動く気になれなかった。正直、すこぶる行きたくない。以前楔山に行ったときは昼間だったが、今回は夜だ。しかも、そこで人殺しを待たなければならないなんて……。


 当然、親に本当のことを言えるわけもなく、今日は友達の家に泊まるとしか言っていなかった。


 仮病でも使って休んでしまいたいが、そんなことをすれば神崎君に殺されるかもしれないし、そもそも神崎君と菅原君の連絡先を知らない。


 やはり行くしかないだろう。


 僕は心を決め、自転車をスタンドから引き抜いた。とぼとぼと駐輪場の外へと出る。空はもう薄暗くなっていた。急がないと。


 そう思って深呼吸をした時、突然、電線に止まっていたカラスが大声で鳴いた。


「カァッ」


「ひぃっ」


 驚いて肩が跳ね上がる。完全に出鼻をくじかれ、サドルを跨ごうと上げかけていた脚を降ろした。


 カラスは不吉の象徴だ(たぶん)。これから自分の身に悪いことが起こる予兆なのかもしれない。やはり行かない方が……。


 そう思っていると、突如として背後から女の声が聞こえてきた。


「あ、あぁ、あ」


 苦しそうなうめき声だ。恐怖で身体が硬直する。明らかに普通の人間の気配ではない。後ろに立つ女は、尚も苦しそうに声を出す。


「たす、け……て」


 間違いない、幽霊だ。どうしてこんな所に。


 恐怖と混乱で頭がおかしくなりそうだった。背中から声がするということは、取り憑かれてしまったということだろうか? でも、いったいなぜ? もしかして、あの時のヤバ霊? どうして今更……。


 考えていても仕方が無い。とにかくどんな幽霊なのか確認しなければ。でも、振り向くのは怖い……。


 何もできずに立ち尽くしていると、後ろから女の両手が伸び、僕の目をおおった。そして苦しそうに言う。


「だ、だ、だぁぁれだ?」


 なんだこの幼稚なイタズラは。しかも、冷静になってみると、聞き覚えのある声だ。


「薰ちゃん、イタズラはやめてください」


「ピンポーン、正解」


 振り向くと、やはり薰ちゃんが立っていた。


 訊きたいことは山ほどあるが、このまま話せば独り言をいっているように見えてしまうので、僕は邪魔にならない場所に移動すると、スマホを耳に当て、誰かと通話しているフリをしながら薰ちゃんと話した。


「どうしてこんな所にいるんですか?」


「ああ、神崎君に言われて、学校帰りのキクっちゃんをストーキングしてたの。私の気配に気づかなかった?」


「僕としたことが。気づきませんでした」


 今日の帰りは楔山に行くことで頭がいっぱいだったので、後ろをつける薰ちゃんの気配にまで気が回らなかった。


 薰ちゃんが話を続ける。


「でね、どうせキクっちゃんは怖がって集合場所に来ようとしないだろうから、無理やりにでも連れてこいって、神崎君が言うのよ」


 さすが神崎君。こうなることも既に読んでいたとは。


 僕は観念して言った。


「分かりました。行きますよ。だからもう怖がらせないでください。心臓がいくつあっても足りません」


「そうこなくっちゃ。ほら、さっさと行きましょ」


 薰ちゃんに急かされ、しぶしぶ自転車に跨がる。すると、薰ちゃんが背中にしがみついてきた。


「ひぃっ、ちょっと、やめてくださいよ。くっつかないで怖い怖い怖い怖い」


「なんでよ! こうしないと私も自転車に乗れないでしょ。それとも、私だけ徒歩で行けっての? あといい加減、私には慣れなさいよ。いつまで怖がってんの」


「僕だって好きで怖がってるわけじゃないんですもん……」


 僕は仕方なく薰ちゃんにおぶさられながら、自転車のペダルを踏んだ。今なら神崎君の気持ちが分かる。たしかに肩がずっしりと重くなった。こっちはただでさえしんどいのに、迷惑千万だ。これが弱り目にたたり目という奴か。


 自転車を走らせながら頭の中に愚痴ぐちばかり並べていたが、ふと、前々から気になっていたことが思い浮かび、薰ちゃんに尋ねてみた。


「ねえ、薰ちゃんはずっと神崎君と一緒にいたんですよね」


「まあ、そうね」


「神崎君って、不良なんですか?」


「え? どういうこと?」


「日頃から悪い仲間とつるんで、弱い者イジメとかしてるんじゃないかと思って」


「あははははは」薰ちゃんは大笑いして、「してないしてない。あいつ、いっつも道場で武道の稽古ばっかりしてるよ。あんなにイケメンで、しかも若いのに。もったいないことしてるわ」


「やっぱりそうですか……」


 楔山での一日を通して、神崎君に抱く印象はかなり軟化なんかしていた。たしかに怖いところもあるが、弱い者イジメや犯罪を犯すような人には思えない。


 菅原君だってそうだ。神崎君を無理やり従えているという感じじゃなかった。二人は本当に友達のようだったし、そして菅原君は僕に対してもとても優しい。それは本来の態度であって、打算的な思惑が絡んでいるとは思えなかった。


 二人はいい人だ。でも、今後はあまり付き合いたくない。オカルトが関係してなければ仲良くしたいんだけど。


 そんなことを考えながら5分ほど自転車を走らせ、神崎君の家に着く。既に菅原君も到着し、神崎君と話していた。二人とも既に私服に着替えている。


 神崎君がこっちを見て言った。


「おっ、ちゃんと時間通り来たな菊池。どうだ? 俺の刺客は役に立ったか?」


「うん、充分すぎるほどね。僕はもうこりごりだから、神崎君にお返しするよ」


「何?」


 薰ちゃんが僕の背中を離れ、神崎君の背中に取り憑いた。


 神崎君が苦しそうに言う。


「ぐぅ、やっぱ重い。菊池お前、あとで覚悟しとけよ」


「えっ、僕が悪いの?」


「ふふっ、よかった」と菅原君。「菊池君が前と違って元気そうで安心したよ」


 何も良くないよ、と内心思ったが、たしかに二人とは親しくなれたので、以前ほどの緊張感は無かった。二人がいてくれれば、なんとかなりそうな気がする。なんとなく。


 僕はまず神崎家の玄関に入り、そこで私服に着替えた。外に出て自転車に跨がる。


「よし、準備できたな」と神崎君。「人殺しのクズ野郎をぶちのめしに行くぞ」


「おー」


 菅原君がかけ声と共に拳を突き上げる。今日もノリノリだ。


 三人で自転車を漕ぎ、楔山に向かう。


 到着すると、以前と同じ駐輪場に自転車を駐めた。そこからはスマホの地図アプリを頼りに、祭壇の場所まで行く。以前来た時、菅原君が祭壇と薰ちゃんの首があった場所を、アプリ内の地図にマーキングしている。


 スマホで時刻を確認すると、6時半を過ぎていた。日が沈み、辺りは暗くなり始めている。山の中に外灯は無いため、もうじき一寸先も見えない暗闇に包まれるだろう。


 僕達は懐中電灯で前を照らしながら、暗い山の中を進んでいった。そして、祭壇が隠された場所に着いた。

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