怪談「手」

ある寒い日の出来事でございました。

今より百年以上昔の話でございます。


文明開化の世にあって、奇妙、奇怪な出来事は迷信と一笑いっしょうされておりました。それは田舎村であっても同様でございました。信心しんじんさえ失われ、皆々外国の驚くべきことに触れては日本の神仏をさげすむような風潮さえありました。


山深い村のことでございます。


昔のこと、また山奥のことですから今よりもなお夜は暗い。

雪が深々しんしんと降り積もり、さらに人の出入りをこばむかのような。


とある正月。

その日は雪がやみ、月も出て、雪の白さを輝かせ、まるで昼間のような明るさでございました。


一人の男が千鳥足ちどりあしで月を真上に見つつ、深夜に帰宅しようとしていました。


はばかることあり、酒は控えていたのですが、親類の家にあいさつに出向いた折、


「まあまあ、正月だ、一献いっこんだけ」


大叔父おおおじに勧められても、最初は断っておりました。


も明けただろう? 何をそんな、今の世にいつまでもはばかるやつがあるか」


酒の入った大叔父についぞあらがいきれず、「では、一献だけ……」とさかずきを受けてしまったのはさて、酒好きの血にも抗えなかったやもしれません。


駆けつけ三杯と申しまして。

やれ、もう少し。

あれ、たくましい。

ほれ、もっと。


日のあるうちに帰ろうとしていたものが、すっかり夜も暮れてしまいました。


「まあ、泊っていけ」


そうはいわれたものの、家のことは気になります。


「化物に食われるぞ」


などとからかい半分に引き留められたとて、「なあに、今宵は月も出ています。化物の正体などあばいてみせましょう」酔いも十分に回っておれば「迷信何するものぞ」と豪気ごうきにもおいとました男でありました。


ザック、ザック、ザック……


草鞋の足で雪を踏み固めて男は家路を急ぎました。


ブルッ……


耳がもげるような、芯から凍える寒さでございます。

前にも後ろにも人は通らず、積もった雪に残るのは男の足跡だけ。

音も雪に溶け込んだようで、風さえ騒ぎません。


寒さに酔いもようよう醒めてくれば、さてものあり。


振り返っても大叔父の家はすでに見えない。

人家もこのあたりにはございません。

道すがら、こんもりとした鎮守の森が男の家までにありまして、ちと失礼と男は森のなかへ入りました。

遠くに見えないお稲荷さんにお祈りしまして、さあ……。


 おいで……、おいで……


「だれだ!」


大事なものをしまい、きょろきょろあたりを見回すものの気配はない。


「気のせいか」


独り言の息が白く流れます。


 おいで……、おいで……


背筋にぞっと冷たいものが。


 おいで……、おいで……


聞こえる。

確かに。

誰かが、呼んでいる?


男はふらふらと呼ばれるまま森のなかへ。


 おいで……、おいで……


「お小夜さよ? お小夜なのか!」


呼びかければ、声はやみました。


「お小夜! お小夜!!」


 おいで……、おいで……


男の目の前、森の闇のなか。

暗く沈むような、吸い込まれるような黒い空間に。

ぽっかり浮かんだ白い女の手。

細くすらりと伸びた、まるで白絹しらぎぬのような。

月の光にも似て美しい。


 おいで……、おいで……


「お小夜?! お小夜!!」


手招きされるにしたがい、男はふらふらとその手のほうへ。


「ああ、お小夜……。帰ってきてくれたのか? 許してくれ。許してくれ、俺を」


男はハラハラと涙を流しつつ、森の奥へ奥へ。

深い雪をかき分けるようにして、ザッザッザッと、さらに奥へ。奥へ。


 おいで……、おいで……


白い手はまこと生き物のよう。

ゆらゆら、ゆらゆら。

波間に浮かぶクラゲのように。

はたはたと舞う白い蝶のように。


 おいで……、おいで……


「小夜……。小夜……。ああ、すまんかった。すまん、すまん……」


 ダメ!!


ハッと振り返った男の袖を小さな女の子がつかんでおりました。

顔は闇のなか見えません。

ただ必死に、ギュッと引き留めるように小さな両の手が。

力強く男を引き戻します。


「ゆい?」


男がそっとその小さな手に、自分の手を重ねようとしたときでした。


するりと小さな手は男の袖を離したのです。


「ゆい! ゆい!!」


男は、今度は小さな手を追いました。

小さな女の子。大の大人でも足首までも埋まる雪でもございます。

追いつけぬ道理などないはず。


されどその背にはいつまで経っても追いつけません。

はっきり見えているのに、どれほど手を伸ばしても。

消え入るほどに、はかなく。

必死で追えども、追えども。


「ゆい! ゆい!!」


男が伸ばした手が、やっとその小さな手をつかめるかと、その瞬間。

パッと目の前が開けたと思えば、月の白い灯かりに道が煌々こうこうと照らされておりました。

森から出れば、もうどこにも誰もいません。


「お小夜?! ゆい!!」


さても男は一晩中さまよいましたが、もうどこにも手は見えませんでした。


翌日、昼間、明るくなってから先の神社に出向きますと、自分の足跡以外は何もない。

酒に酔って夢を見たかと思いましたが、あの時の声ははっきり耳に残っていますし、白い手も小さな手も記憶のなかにしかと残っております。あきらめきれない男がきょろきょろと森のなかを見渡すと、点々と狐の足跡が。


(これは狐に化かされたか……)


がっくりと肩を落として男は家に帰りつき、さめざめと泣き崩れました。


「こ、これは!」


男が着物をあらためて見ますと、袖にはっきりと小さな手形が。


「お小夜……、ゆい……」


泣き崩れた男は着物をまるで子を抱くように、強く強く抱きしめたということでございます。


男はせんだって、女房と幼子おさなごを亡くしたのでした。


酒を切らせない男は夜中、女房に酒を買ってくるようにときつく当たったのでございます。

女房は酒乱におびえる我が子の手を引いて、月のない暗い夜にも出て行きました。そして、なんの拍子か、それともゆえあってか、翌日川で母子ははこは見つかったのでございます。


母子はかたく、強く、あの世であっても離れまいとばかりに手をつなぎあっていたそうでございます。


男は以来、酒を断っておりましたが……。


この正月よりさらにきつく、もう決して酒は飲まないと妻子の墓に誓ったということでございます。


くっきり小さな手形がついた着物はくだんの神社に納められ、長く村で信仰を集めたということでございます。


(終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪談「手」 @t-Arigatou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画