第二部:再構築(リビルド)
第8話 等価交換の空白
世界は、正しく塗り替えられた。
湊の葬儀は、しめやかに、そして大勢の参列者に見守られて執り行われた。
十年前、誰も泣かなかった、あの崖の上とは違う。
テレビのニュースは連日、再捜査の進展を報じ、
ネット上には、湊を悼む声があふれている。
僕たちの罪もまた、白日の下にさらされた。
警察の任意聴取。
大学や職場への連絡。
そして、遺族への莫大な賠償。
僕たちの「平穏」は、
あの日、颯太がボタンを押した瞬間に、粉々に砕け散った。
――だが。
その「代償」を、
僕たちはまだ、本当には支払っていなかった。
「……ねえ、航平」
葬儀の帰り道。
喪服姿の美月が、力なく僕を呼び止めた。
泣き腫らした目の奥に、
言葉にできない不安が揺れている。
「何かな……ずっと変だと思ってたんだけど」
彼女は、スマートフォンの画面を僕に見せた。
そこには、
あの日、崖の上で撮ったはずの集合写真が表示されている。
「ここ……。
大輝と私の間に、誰かいた気がするの」
僕は、その指先が示す場所を見た。
――空白。
不自然なほど、完璧な空白。
最初から誰もいなかったかのように、
背後の崖の風景が、継ぎ目なく続いている。
「何言ってるんだよ……颯太だろ」
その名を口にした瞬間。
隣にいた大輝が、不審そうに僕を振り返った。
「ソウタ?
……誰だよ、それ。中学の同級生か?」
心臓を、
冷たい氷の指で直接掴まれた気がした。
「冗談だろ……
あの日、一緒に崖に登ったじゃないか。
ボタンを押したのは颯太だ。
僕たちを、ここに連れてきたのも……」
「航平、疲れてるんじゃないか?」
大輝は、憐れむような目で僕を見る。
「あの日、崖にいたのは、
俺と美月と、お前の三人だけだ。
共有ドライブを開いたのも、
……お前だろ?」
嘘だ。
そんなはずがない。
僕は震える手で、スマートフォンの連絡先を開いた。
『サ行』を、必死にスクロールする。
――ない。
通話履歴も、メッセージも。
昨日まで確かに存在していたはずの「親友」の痕跡が、
一片も残らず、消えていた。
湊が「復元」された代償として。
世界は、
颯太という人間を「デリート」したのだ。
……。
……。
深夜。
僕は一人、暗い自室に座っていた。
テレビでは、
湊の事件を扱うドキュメンタリー番組が流れている。
番組内で紹介される
「湊の親友たち」の中に、颯太の姿はない。
まるで最初から、
この世界に「颯太」というピースが存在しなかったかのように。
この恐怖を知っているのは、
世界で、僕一人だけだった。
――その時。
ジジッ。
机の上のスマートフォンが、
異様なノイズを立てて震えた。
差出人不明の通知。
だが、その文字を見た瞬間、
僕の呼吸が止まった。
【 たすけて。 】
震える指で、ロックを解除する。
画面に現れたのは、
あの「共有ドライブ」のインターフェースだった。
暗闇の中央に、
一つの動画ファイル。
『ゴミ箱:未完了のタスク』
再生する。
映し出されたのは、
白一色の、何もない空間。
地平線も、空もない。
ただ無限に続く、デジタルの空白。
そこに――
一人の男が、座り込んでいた。
喪服姿の、颯太。
『……航平。
航平、聞こえるか』
声にはノイズが混じり、
輪郭は絶えず揺れている。
体の一部が、
背景に溶けては、再構成されていく。
『ここは……ひどい場所だ。
世界から捨てられた「データ」たちが、漂っている』
湊の記憶。
消された嘘。
そして――僕。
『君だけは、覚えているんだろう?』
その瞳が、
異様な光を宿した。
執念。
自分を切り捨てた世界への、どす黒い怨念。
『復元してくれ、航平。
君ならできる。
湊を戻した、あのシステムを……』
――バチッ!
激しいスパーク。
画面は暗転し、
本体が熱を持って、僕の手を焼いた。
部屋の空気が、凍りつく。
背後に気配を感じ、
僕は、ゆっくりと振り返った。
そこにいたのは――
柚月だった。
白いワンピースではない。
真っ黒な喪服姿で、部屋に立っている。
「ねえ、航平くん」
彼女は、悲しそうに目を伏せた。
「壊れたものを直そうとすると、
もっと大きなものが壊れるよ」
「柚月……!
颯太はどこにいる。
どうすれば、戻せるんだ」
柚月は答えず、
ただ、窓の外を指差した。
夜の街。
その灯りの中に、
いくつもの「黒い穴」が空いている。
ビル。
車。
そして、歩行者。
それらが、
音もなく、デジタルの塵となって崩れ、消えていく。
「初期化(リブート)は、まだ終わってないの」
柚月が、耳元で囁いた。
「次に消えるのは、街?
それとも――
君の『自分自身』という記録かな」
崖の上で始まったゲームは、
まだ、終わっていなかった。
湊という「真実」を一つ取り戻すために。
この世界は今、
猛烈な勢いで「嘘(現実)」を食い潰し始めている。
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