第6話 傍観者の審判

「僕だよ。柚月。……君が止めてくれるのを、ずっと後ろで待っていたんだ」


 颯太の放った言葉が、凍りついた夜の空気をさらに鋭く研ぎ澄ます。


 待っていた。

 彼は、友人が死を選ぶその瞬間を、特等席で見物していたのだ。

 止めるためではなく、誰かが止める「ドラマ」を期待して。


 大輝の絶叫が止まった。

 足首を掴んでいた黒い手も、動きを止める。

 ただ、崖の下から這い上がってきた「湊だったもの」だけが、首を不自然な角度に曲げたまま、颯太をじっと見つめていた。


「ひどい人だね、颯太くん」


 柚月は、歌うような軽い足取りで颯太に近づく。

 彼女の白いワンピースは、これほど泥と潮風に晒されているはずなのに、汚れ一つなく発光している。


「でも、それは湊くんも知っていたよ。

 ……あの日、自分の背中に突き刺さっていた君の視線に、彼は気づいていた」


 柚月がスマートフォンの画面を指先でなぞる。  


 解凍された共有ドライブ。

 そこには、先ほどの動画ファイルのほかに、もう一つのフォルダが隠されていた。


 『ログ:2015.03.25 - 2025.10.10』


「……何だ、これ。日付が、今日まで続いてる」


 僕は震える指で、そのフォルダを開いた。

 そこに並んでいたのは、僕たち四人の名前がついたサブフォルダだった。  


 中身は、画像でも動画でもない。

 膨大な量のテキストデータ。  


 ブラウザの閲覧履歴。

 SNSの裏アカウントの投稿。

 削除されたはずのメッセージ。  


 そして、スマートフォンのインカメラが密かに捉えていた、僕たちの「日常」の断片。


「湊くんは死んで終わったんじゃない。

 このドライブの中に、ずっといたんだよ」


 柚月の言葉が、心臓を直接掴まれたような衝撃となって僕を襲う。


「彼は、君たちが自分を忘れていくのを、ここからずっと見ていた。

 大輝くんが、湊くんの机に花瓶を置いた主犯を笑いながら話していた夜も。

 美月ちゃんが、湊くんから奪った一万円で買った服を着てデートに行った日も。  

 航航平くんが、罪悪感を消すために湊くんの存在を記憶から消し去ろうとしていた十年間も」


 美月が、ひっ、と短い悲鳴を上げて顔を覆った。


 監視。  


 十年間。

 僕たちは、死んだはずの親友に、生活のすべてを覗き見られていたのだ。


「そして……。

 このドライブに最後の一撃を加えたのは、颯太くん、君だよね」


 柚月が、颯太の持つスマートフォンを覗き込む。


「三年前。君はこのドライブの存在を突き止め、管理権限を奪おうとした。

 湊くんが残した『遺言』を、自分に都合のいいように書き換えるために」


 颯太の表情が、初めて崩れた。

 冷静だった瞳に、どろりとした焦燥が混じる。


「違う。僕はただ……。

 あんな呪いのようなデータ、消してやった方がみんなのためだと思ったんだ!」


「嘘だよ。……君は、怖かったんだ」


 柚月が、颯太の胸元に指を突き立てる。


「自分が湊くんを『見殺しにした』その瞬間の記録を、誰にも見られたくなかった。  君は正義の味方のままでいたかった。

 だから、一番残酷な証拠だけを、消そうとした。……そうだよね?」


 颯太は答えなかった。

 ただ、唇を血が出るほど強く噛み締め、スマートフォンを握る手に力を込める。


 その時。

 真っ白だった画面に、ノイズが走った。


 ジジッ……。ジジジッ……。


 スピーカーから、不快な高音が響き渡る。

 画面に映し出されたのは、湊の顔ではなかった。  


 それは、今、この瞬間の「僕たち」の姿だった。

 崖の上に立ち尽くし、恐怖に顔を歪ませる四人の男女。  


 俯瞰(ふかん)の視点。

 まるで、空の上に浮いている誰かが、僕たちを撮っているような映像。


「……誰が撮ってるんだよ」


 大輝が、震える声で空を見上げた。

 そこには、月以外に光るものなど何もない。


 だが、映像の中の「僕たち」の背後には、はっきりと映っていた。  


 白いワンピースを着た少女が。  


 しかし、映像の中の彼女には、顔がなかった。

 目も、鼻も、口もない。

 ただ、滑らかな皮膚だけが広がる、のっぺらぼうのような怪物。


「柚月……お前、一体何なんだ」


 僕は、目の前に立つ少女に向かって叫んだ。


 彼女は、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 映像とは違い、そこには十年前と変わらない、美しくも冷たい彼女の顔がある。


「私は、ただの『外側』だよ。航平くん」


 柚月は、寂しそうに微笑んだ。


「湊くんはね、死ぬ直前に私に言ったんだ。

 『もし僕が死んでも、誰も僕を殺さなかったことにしないで』って」


 彼女はそこで一度、言葉を切った。

 崖の下から、這い上がってきた「湊」が、ゆっくりと立ち上がる。

 関節が嫌な音を立てて軋み、泥だらけの指が、颯太の喉元へと伸びていく。


「私は、彼の願いを叶えるために、ここにいる。

 君たちが忘れたものを、思い出させるために。

 君たちが隠したものを、引きずり出すために」


 柚月の姿が、陽炎(かげろう)のように揺れ始めた。


「さあ、最後の答え合わせだよ」


 彼女の声が、直接脳内に響く。


「湊くんが死んだあと、この街から彼に関する記憶が消えたのはなぜだと思う?  彼のお葬式が、なぜ行われなかったか知ってる?

 ……そして、なぜ十年間、誰も湊くんの両親の姿を見ていないのか」


 心臓が、早鐘を打つ。  


 そうだ。

 おかしい。  

 あの日、湊が死んだあと。

 悲しむ両親の姿も、警察の事情聴取も、学校での全校集会も……。

 そんな「当たり前の事後処理」があった記憶が、どこにもない。

 

 僕たちはただ、ある日突然、彼がいなかったかのように振る舞い始めた。

 まるで、最初から「湊」という人間なんて存在していなかったかのように。


「……僕たちは、何を忘れてるんだ」


 僕が問いかけると同時に、スマートフォンのカウントダウンが『00:00』を指した。


 ピィィィィィィィィィィ――。


 鼓膜を突き破るような電子音が響き、崖の上が、一瞬で昼間のような光に包まれる。


 光が収まったとき。  


 僕たちの目の前にあった「共有ドライブ」の画面は、消えていた。

 代わりに表示されていたのは、一通の、古いメールの送信履歴だった。


 送信先:【僕たち四人のメールアドレス】

 件名:【さようなら】

 本文:【僕を殺したのは、僕の想像力だった】


「……想像力?」


 颯太が、呆然と呟く。


 その瞬間。

 目の前にいた「湊」の怪異が、崩れるように霧散した。

 泥も、一万円札も、不気味な指も。

 すべてがデジタルノイズとなって、空中に溶けていく。


 そして。  


 柚月もまた、そのノイズの一部となって、消えようとしていた。


「待て! 柚月! 行くな!」


 僕が手を伸ばしたが、指先は空を切った。


「航平くん。……足元を見て」


 それが、彼女の最後の言葉だった。


 僕たちは、恐る恐る自分たちの足元を見下ろした。  


 そこにあったのは。  


 十年前から変わらない、断崖絶壁。  


 だが、僕たちが立っていたのは、地面ではなかった。  


 それは、幾重にも重なり合った、数千、数万枚もの「遺影」の山だった。

 すべてが、湊の顔。

 笑っている湊。泣いている湊。怒っている湊。  


 そのすべてに、僕たちのサインが書かれていた。


 『承認:湊は存在しない』

 『承認:湊は死んでいない』

 『承認:湊は最初からいなかった』


 僕たちが犯した本当の罪。

 それは、一万円を盗んだことでも、見殺しにしたことでもなかった。  


 湊という一人の人間の「存在そのもの」を、デジタルと記憶の海から、集団で『消去(デリート)』したことだったのだ。

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