第4話 告白の代償

 赤く光る『04:12』。

 数字が刻まれるたび、僕たちの肺から酸素が奪われていくようだった。


「……僕が、最初だった」


 自分の声が、自分のものではないように聞こえた。


 十年前。あの日、部室の空気が凍りついた瞬間。一万円がなくなったと騒ぎ出した大輝の後ろで、僕は真っ先に湊へと言葉を投げつけたのだ。


 確信があったわけじゃない。


 ただ、その場の「犯人探し」という残酷なエンターテインメントの火蓋を切ることで、 自分が疑われるリスクを回避したかった。


 最低な保身だった。


 颯太が震える指で『08』と入力する。

 画面上の「____ ____ ____ ____」の最初の空欄が埋まり、システムは冷酷に次の入力を待っている。


「……次は、誰だ」


 僕が問いかけると、隣に立つ美月の肩が大きく跳ねた。

 彼女は自分の喉をかきむしるようにして、小さく、しかし鋭い呼吸を繰り返している。


「美月、お前……」

「私じゃない! 私は、ただ……」


 美月は首を激しく横に振った。

 懐中電灯の光が乱れ、彼女の青ざめた横顔を、断続的に浮かび上がらせる。


 その背後。

 闇の中から、柚月が音もなく一歩踏み出した。

 彼女の白いワンピースが、潮風に吹かれて幽霊の羽ばたきのように揺れる。


「美月ちゃん。あなたはあの時、湊くんに何て言ったの?」


 柚月の声は、まるで深夜のラジオから流れるノイズのように、感情の起伏が一切なかった。


「……言ってない。私は何も」

「嘘だよ」


 柚月が、美月の耳元に顔を寄せた。


「湊くんから聞いたよ。あの日、美月ちゃんは湊くんに、こう言ったんだって。 『警察に言わないであげるから、代わりに私のお願いを聞いて』って」


 柚月は、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、冷たい視線だけを美月に預けて、一歩身を引く。


 一万円を盗んだ弱みを握って、彼を「便利屋」にしたのは、美月だった。

 湊が犯人ではないと薄々気づきながら、彼が「犯人扱いされている状況」を最大限に利用したのだ。 ノートの代 筆、パシリ、宿題の肩代わり。

 歪んだ支配欲を満たすために。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 美月が崩れ落ちるように泣き出した。

 その涙に同情する者は、ここには誰もいない。

 颯太が、美月の出席番号である『15』を画面に叩き込む。


『03:20』。


 残り時間は半分を切った。

 エラーは出ない。美月の罪が「二番目」だったことが証明されたのだ。


「次は俺か? ああ、俺なんだろ!」


 大輝が半狂乱になって叫んだ。

 彼は持っていた懐中電灯を地面に叩きつけ、荒い呼吸を吐き出す。


「俺はあいつを殴ったよ! 認めりゃいいんだろ! でもな、それは正義感からだ。部費を盗むようなクズが許せなかったから……!」


「……正義感?」


 颯太が、初めてスマートフォンの画面から目を離し、大輝を睨みつけた。

 その瞳には、今まで見たこともないような冷徹な光が宿っていた。


「大輝、お前。あの一万円、本当はどこにあったか知ってたんだろ」


「……何だと?」


「僕は見たんだ。放課後、お前が湊のカバンに、くしゃくしゃになった札をねじ込んでいるのを」


 静寂が、以前よりも重く、深く僕たちを包み込んだ。

 大輝の顔から表情が消えた。


 あの一万円事件。


 真犯人は、 誰あろうリーダー格の大輝自身だった。


 彼は自分が使い込んだ部費を補填できず、それを隠蔽するために「湊を犯人に仕立て上げる」という最悪の筋書きを書いたのだ。


「俺は……俺はただ、あいつなら誰も文句を言わないと思ったんだ。

あいつはいつもヘラヘラして、何をされても怒らないから……!」


「出席番号、〇二(02)だ」


 僕が冷たく言い放つ。 颯太の指が動き、三つ目の空欄が埋まった。


『02:05』。


 残された空欄は、あと一つ。 出席番号二桁分。


 だが、ここで手が止まった。

 「僕」が告発し、「美月」が利用し、「大輝」が罪をなすりつけた。 一万円事件の「罪を認めた順」がこれならば、最後の一人は誰だ?


 颯太か? いや、颯太はあの時、僕たちの輪から少し離れて、ただ黙って見ていただけだ。


 その時だった。


 崖の下から響いていた「音」が、一段と大きくなった。

 ズザ……、ズザザ……。


 湿った何かが岩肌を這う音。

 泥が混じったような、不快な水音が、すぐ足元の崖縁まで迫っている。


「……あ」


 美月が、崖の下を指差して短い悲鳴を上げた。

 懐中電灯の光の端に、それは映った。


 崖の縁に、白い、異常に長い「指」がかけられた。

 指先はボロボロに崩れ、爪の間にはどす黒い泥が詰まっている。


「ひ……、ひいいいっ!」


 大輝が後ずさり、尻餅をつく。

 這い上がってこようとしている「何か」は、明らかに人間ではなかった。

 いや、かつて人間だったものが、執念だけでその姿を繋ぎ止めているような……。


「タイムリミットまで、あと少しだね」


 柚月が、その「何か」を歓迎するかのように両手を広げた。

 彼女は決して助けようとも、止めようともしない。

 ただ、そこに「いる」だけだった。


「最後の一人。……湊くんを一番追い詰めたのは、誰?」


 僕たちは顔を見合わせた。 僕か? 美月か? 大輝か? いや、違う。


 僕たちの脳裏に、あの日、最後の一撃となった出来事が蘇る。

 湊が「自分がやった」と認めた、決定的な瞬間。


 それは、彼が一番信頼していた「親友」からの、絶望的な一言だった。


『湊くん。……君がそんな人だなんて、思わなかった』


 僕たちの視線が、一箇所に集まった。

 そこには、スマートフォンを握りしめたまま、表情を失った颯太が立っていた。


「……僕だ」


 颯太の声は、風にかき消されそうなほど細かった。


「僕は、湊が犯人じゃないと知っていた。大輝が札を隠すのも見ていた。

 なのに、僕はあいつを助けなかった。

 それどころか、正義の味方の顔をして、彼にトドメを刺したんだ」


 颯太は自嘲気味に笑うと、画面に自分の出席番号『11』を打ち込んだ。


 ピコン。


 電子音が、夜の静寂を切り裂く。

 赤かった画面が、一瞬で真っ白に染まった。


 同時に。


 崖の下から、

「それ」が姿を現した。


 泥にまみれ、顔の半分が崩れた、あの日の制服を着た少年。

 湊だった。


 だが、その目は虚無を湛え、口元だけが、歪んだ形に吊り上がっていた。

 彼の手には、くしゃくしゃになった一万円札が握られている。


「……答え合わせ、終わったね」


 柚月が、満足そうに微笑んだ。

 真っ白になったスマートフォンの画面に、新しい文字が浮かび上がる。


『共有ドライブ:解凍完了。中身を再生しますか?』


 そこには、僕たちが十年間、必死に忘れようとしていた「あの日」の続きが記録されていた。

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