自己欺瞞モノローグ

夏乃あめ

自己欺瞞モノローグ

 その日は突然やってきた。



 かろうじて“家族”と繋がっていた兄嫁から父が危篤だと連絡があった。



 家族に背を向けて十年になる。

 地味で何もない田舎がイヤで、ここにいたら、私は一生先が見える人生で終わる気がした。


 憧れの街で、私が思い描く生き方をする。

ここなら、私を正しく評価する人間がいる。



 泥の臭いも、青臭い草も、私には似合わない。



 大学卒業後、暫くして結婚した。

 私を理解できる人間は、そう多くないと思っていた。



 そして理想的な肩書きの人間も。


「君のような美人と結婚できて、俺は幸せだよ」

 背の高い、年上の商社勤務。具体的になにをしているかなんて興味なかった。家賃の高い部屋に住み、それに見合うだけの給料。センスのいい夫の友人たち。華やかで、煌めいていて、田舎では絶対に手に入れられないステータス。



 二年後に別れた。

 性格の不一致。それが原因。



 なんで私の言うことがわからないんだろう。わかってくれると思ったから、結婚してやったのに。



 どんどん人が離れていった。



 理由?そんなの分からない。私を理解できない愚鈍なものはいらない。そもそも私には不釣り合いの存在でしかない。




 兄に続いて、姉が結婚したらしい。



 高学歴、高収入の兄に比べ、何をしているのかよくわからない姉。昔からそうだった。友達が少なくて、野暮ったい服を着て、分厚い眼鏡を掛けているダサいヤツ。



 そんな冴えない存在と好き好んで一緒になろうという奇特なモノを見てみたいと思った。




 久しぶりに揃った家族。そして姉たち。ふたりともそっと寄り添い、横に並んで歩いている。

 どこのブランドか分からないバッグを自分で持っている。

 バッグなんて持ってもらうのが当たり前。



 そんな常識も知らないヤツが、兄になるなんてゾッとする。




 だから言ってやった。




「どこがいいと思っているわけ?」




 姉から連絡が来ることはなくなった。私からの連絡は既読無視された。

 友達が少ないから話し相手になってやろうというのに。



 私は再婚し、嫌いな田舎に戻った。2人目の夫は同級生で、地元の役所に勤めている。もう私はここに縛られる事が決定した。姉に二回目の結婚祝を現金書留で貰った。差出人の住所は実家になっていた。




 兄嫁から姉が子どもを産んだと聞いた。私には届かなくなった年賀状には、“甥”が写っていた。



「変な顔」



 この頃には姉と完全に音信不通になった。




 両親から時々宅配便が届く。家で作った野菜や米。私が嫌いな田舎の臭いがするモノを。

 ウンザリしたから送り返した。



 こんなのいらない。




 二度と届かなくなった。私の世界には必要がないものだから当たり前。



 家の話は殆ど聞かなくなった。

 そんなの忘れていた。




 兄嫁からの電話が現実を知らせる。



「お義父さんが危篤になりました」


 理解が追いつかない。そんなはずない。聞いていない。まだそんな歳じゃない。



 ベッドに横たわる父はいつの間にか小さくなって、何も言わなくなっていた。



 その5日後に意識を取り戻さず、父は亡くなった。

 

 何も話せなかった。話したいことがあったのに。再婚したよ?子どもふたり産んだんだ。




 父は孫を見ないで逝ってしまった。

 見ないで……

 見せなかったのは……




 通夜の前日に、父は自宅に戻ったらしい。兄嫁から通夜と葬儀の時間の連絡があった。

 自宅での通夜。近親者のみで行う家族葬。そこで姉夫婦、兄夫婦はバタバタと働いていた。姉夫婦は前日から来ていたらしい。そこで誰が何をするのか話し合っていて、卒なく進んでいる。

 人が行き交う中で明らかに私たちは場違いだった。所在なくただ座っているだけ。


 姉と目が合った。眼鏡の奥の瞳は笑っていなかった。怒りでも侮蔑でもない、存在すら認めていないような冷たい目。


 私は何も言えず、かと言って手伝いをするという選択はなかった。


 お通夜が終わった後、私たちはそそくさと帰った。手持ち無沙汰で、明らかに異質な私はあの場所は居づらかった。



 翌日の葬儀では場所が決められている。母、兄夫婦、姉夫婦、私たち。

 今の時代に長男を立てなければならないなんて古めかしい。一番上は姉なのに、黙って従うとは。順番が関係ないなら、私たちを一番前にすればいいのに。


 会場に入って驚いた。全員が喪服を着ていた。真っ黒な服に真珠のネックレス。それなのに私は黒のブラウスに黒のロングスカート。いくら黒といっても、濃さが違う。新品の黒と異なる漆黒に、自分の姿がひどく安っぽく見えた。


 祖父の葬儀はまだ高校生だった。


 祖母の時は地味なスーツで行った。



 結婚したら喪服は買っておくようにと言った母の言葉を思い出した。そんなに使うものじゃないし、不祝儀袋を置いて帰るだけなのに、わざわざと思っていた。

 遺族側に座る事なんて考えたこともなかった。

 

 親戚からも冷ややかな目で見られているのだろう。



 出棺前に花を敷き詰め、こどもに書かせた手紙を入れた。優しい子たちと褒められるのを期待していた。



 その時、姉の子ふたりが、号泣を始めた。

「おじいちゃんともっと遊びたかった」

「お話したかった」


 私の子は全く泣いていなかった。泣きもせず、ただ早く帰ろうとぐずり始める。


 兄の家族も、姉の家族も泣いていた。姉の子の号泣につられて、参列者も泣いていた。



 この場で泣いていないのは、私の家族だけだった。




 霊柩車はシンプルで火葬場に向けて進んで行く。

 大きいクラクションを鳴らしたり、茶碗を割ったりする事もなく、小雨が降る中を静かに走っていった。


 ぞろぞろと火葬場にそれぞれの車で向かう。兄嫁は場所が分からないだろうと、声をかける前に姉に聞いていた。

「ゆっくり行くから、後ついてきてね」

 姉の車に続く兄嫁たち。



 誰にも声をかけられなかった。



 火葬場で父の顔を最後に見る。柩の両側から2列に並ぶ。冷たいリノリウム張りの床に革靴の音が響く。

 ふと姉の視線に気がついた。その侮蔑に満ちた目で見ていたのは、私の“白いぺたんとしたパンプス”。何がいけないのか分からなかった。身長が高い姉が、低いとはいえヒールのある靴を履いている方が悪目立ちしているのに、なんであんな顔をしているのだろう。



 火葬が済んだ後に初七日がある。



 その間の時間もどうしていいのか分からなかった。小さな祭壇がいつの間にか組まれていた。姉の家族は親戚中に挨拶をしていた。こんな事になるから結婚式をすればよかったのに。何度も頭をさげて挨拶を繰り返す姿を呆れて見ていた。



 遺骨を拾いに行く。


 肉体を捨てた父の姿は本当に小さくなっていた。この人がトラクターを使ったりしていたなんて信じられない。力自慢で米袋も簡単に持っていた筋肉はなくなって、白い骨となっている。


 台に近づけば、ジリジリと熱さが伝わる。地獄の炎はこのくらいの熱さなのだろうか。私には関係ない。



 遺骨が祭壇に置かれ、住職がお経をあげる。相変わらず私のこどもは喋り続け、騒いでいる。急に自分たちに祖父母がいる事を知った。目新しさでいっぱいなのだろう。




 初七日の経が終わると姉たち家族は帰っていった。

「ねぇちゃん、夜に来てもらってごめん。でも助かった」

「いいよ。じゃあまたね」

 兄と姉の会話。父が亡くなってすぐに姉は実家に来たらしい。兄が母を心配して、姉を呼んだ……。近くに住んでいる私を呼ばず、遠くにいる姉を呼んだ。


「私に連絡してもよかったのに」

 兄に半分冗談交じりで話しかけた。

「一番ツラい時に不愉快な事を思い出させたくない。それにお母さんが許したとしても、宅配便の事を俺は許さない。今はお父さんの顔に免じて許している。でも、それが葬式に来る格好かよ」


 兄も怒っていた。兄静かに怒っていた。


「お母さんにもだけど、ねぇちゃんにも謝れよ」



 正直、なんで姉に謝るか全く理解ができなかった。



 母には不義理をした。これは分かる。私が姉に何をしたというのだろう。あんなに全身で拒絶されるくらいのことをした記憶はない。



「お父さんもいなくなったのよ。一人しかいないおねえちゃんじゃない。ゴメンねのひと言でいいのよ」



 悪くもないのになぜみんな謝れというのだろう。



「あなたは確かに私たちに不義理をした。そんなことはどうでもいい。その結果、お父さんに孫を見せられなかった。その後悔だけは忘れないで。」



 私は父から孫を奪い、こどもから祖父を奪った。



 自分勝手な都合で。



「お母さんからお姉ちゃんに、許すように電話するから、あなたも電話してひとこと謝りなさい」


 姉の顔が蘇る。きっと何か勘違いさせただけ。



 気が向かないまま、せっつかれて電話をかける。


 長い呼び出し音の後に一言。

「何か用?」



 電話先でもわかる、背筋が凍るような冷たい声。


「なにか勘違いさせて、ずっと怒らせているみたいで、謝れって言われたからかけているんだけど」



 何も聞こえない。



「お母さんが許してやれって言っているからさ」



 深いため息だけが聞こえた。



『何もわかっていないのに謝られても困る。許すよ、お母さんのために。だからさ、お父さんに対する罪悪感と、私を怒らせた疑問と共に苦しんで生きて?』



 これが姉と交わした最後の言葉だった。

 

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