手をつないで離さないで

深山心春

第1話

 聖女という存在をご存知だろうか。傷を癒す不思議な力を持つ少女のことだ。

 私はその聖女だった。もうそれは昔のこと。聞きたいのですか? それではお話しましょう。


 私は小さな頃から、不思議な力を持っていた。幼馴染が転んで怪我をして泣いてるので、傷口に手をかざした。すると、傷は塞がりたちまち治った。私の噂は噂を呼び、ある日皇帝宮に呼び出された。私は身なりを整えられ、亜麻色の髪を梳いてもらい、緊張してその部屋に入った。

 そこは広い寝室で、豪奢な寝台には線の細い男の子が身を起こしていた。男の子の顔は青白く、けほけほと咳をしていた。促され男の子のそばへ行く。金の髪はやわらかそうで、硝子細工のように美しい男の子だった。

 私を連れてきた男の人は、私に向かって促した。私はおそるおそる男の子に近寄ると、手をかざした。男の子の咳はやみ、頬に赤味が差す。おお、と居並ぶ人々から感嘆の声が上がった。

 男の子は信じられないと言うように私を見つめた。深い青い瞳だった。吸い込まれそうに美しい瞳だと思った。男の子は私の手を取った。彼の手もまるで彫刻のように美しかった。美しいその手が私の手をそっと握る。

「ありがとう。楽になった」

「いえ、私は――」

「僕の名前はミハイル。君の名前は?」

「あ……サーシャ。サーシャです」

「ありがとう、サーシャ」

 こうして私はミハイルの側で仕えるようになったのだ。


 ミハイルは体が弱かった。発作のような咳をしてすぐに寝込んでしまう。高い熱が出ると辛そうでぜいぜいと嫌な音が彼の喉から出た。そのたびに私は呼ばれた。手をかざすと、咳は止み、頬に赤味が差す。それを何度も繰り返す。ある日、ミハイルは言った。

「僕の病気は呪いだと言われてるけど、サーシャはどう思う?」

「呪いではないと思います。だって、手をかざすと、ミハイル様は元気になるもの」

「そうかな……」

「そうですよ。元気を出してください」

 そう言うと、ミハイルは瞳を細めて私を見た。

「手を握ってくれる?」

 ミハイルはただひとりの帝位継承者だった。姉たちはいるけれど、この帝国では帝位につけるのは男子だけだった。

「サーシャの手を握ると気持ちが落ち着く」

 ミハイルは本当に病弱だったけれど、気分のよい時には私を話し相手にと望んだ。

私たちはいろんなことを話した。私は村でのことを、ミハイルは本で読んだ異国の話をしてくれた。

「ごめんね。僕のせいでこんな遠くまで連れてこられてしまって」

「いいえ。ミハイルさまのお役に立てるなら嬉しいです」

「サーシャのその不思議な力はどこから湧いてくるのだろう」

 その問いには、私もわからなくて首を傾げた。

「君を聖女だと皆言っている」

「聖女?」

「特別な力を持つひとのことだよ」

 私は笑う。自分が聖女だなんて実感が湧かない。

「君は僕の聖女だよ」

 ミハイルの深く青い瞳が私を見つめる。美しい手が私の手を握る。そのたびに私の胸はざわめいて高鳴った。

「もし、僕がいつか健康になれたなら、サーシャの村に行ってみたいな」

「なにもない村ですよ。空は曇って雪がよく降ります。鶏や羊が走っています」

「面白そうだなあ」

 ミハイルは笑う。皇帝宮の一室で、私とミハイルは確かに交流を深めた。


「なぜ、治らないの!!」

 皇后さまがヒステリックな声を出す。私はびくりと肩を震わせた。皇后さまは私を見て目を細めた。

「手を出しなさい」

「え」

「手を出しなさいと言ってるのよ!」

 そう言って、私の手をムチで叩いた。しなるムチは悲鳴を上げてしまいそうになるほど痛くて、私は唇を引き結んでなんとか堪えた。

「どうせ自分で治せるんでしょう?」

 ひとしきり私を鞭打って満足したらしい皇后さまは、そう捨て台詞を残すと部屋を出ていった。

 手は真っ赤に腫れ上がってる。治そうとしたとき、なんの力も出せないことに気づいた。

 私は私の怪我を治すことはできないのだ、と初めて知ったのだった。


「サーシャ、その手はどうしたの?」

「いいえ、なんでもありません」

 私は慌てて手を袖で隠す。ミハイルは私の手から目を離さずに、そっと私の手にその美しい手を重ねた。ミハイルの手は熱を持って温かかった。

「ごめんね」

 レースのカーテンが翻る。

「ごめんね、サーシャ」

 ミハイルは静かにそう言うと、目を伏せた。彼の肩にかかっているであろう重圧を私には推し量る事ができない。私はもう一度、いいえ、と笑って首を振った。


 皇帝宮へ来て6年が過ぎた。6年の間に、海の向こうの大陸との戦があった。海の向こうの大陸では、大陸同士が争っていた。

 それでも皇帝宮は静かだった。私たちは変わりなく友好を深めた。ミハイルの病は治ることもなく、相変わらず熱を出しては私が癒やしていた。手をつないで、私は祈る。ミハイルの熱が下がりますように、と。そんな時のミハイルの彫刻のような手はいつも熱を帯びて温かかった。

 枕にもたれて、ミハイルは息をつく。私の手を握って彼は吐き出すように言った。

「知っている? 父さまと母さまはお見合いだったけど、互いに一目ぼれしたんだって」

「そうなのですか……」

「僕も」

 ミハイルは熱に潤んだ瞳で私を見る。

「僕もいつか、好きな人と結婚したい」

「きっとできますよ」

「サーシャは」

「え?」

「サーシャは好きな人、いるの?」

 いいえ、とも、はいとも私は言うことができず、黙って微笑んだ。

 冬の空気がつんと冷たい日だった。


 異変が起きたのはその晩のことだった。ミハイルが熱を出したと報告があって、私は寝間着のまま、ミハイルの部屋へと向かった。寝台を見ると、ミハイルは息を荒げて苦しそうだった。寝台の周りには皇帝陛下や皇后さま、それにふたりの皇女さまが取り囲んでいた。

 一刻も早く熱を下げなければならない。それなのに、皇后さまがミハイルの側から離れない。私はどうすることもできず、壁際に立ってその様子を見守るしかなかった。

 ばたばた、と慌ただしい足音と、制止する声、そして銃口の音が高く響いた。

 寝室の入り口を見る。たくさんの兵士たちがこちらに向かって銃口を向けていた。

 革命だ、と誰かがつぶやくように言った。

「無能な皇帝も、病弱な皇太子も我らには必要がない」

 その声は断罪するかのように冷ややかだった。それが合図であるかのように、兵士たちが部屋に押し入ってくる。皇后さまがミハイルから体を離した隙をついて、私はミハイルの手を握った。手は驚くほどに熱かった。ありったけの祈りを込める。ミハイルの荒かった息が平らかになる。

「サーシャ……?」

ほっと息をついた時に、肩を凄い勢いで掴まれた。

「魔女だ」

 声は冷ややかだった。

「一緒に連れて行け」

 ミハイルの襟元を兵士が掴む。やめて、と言う声は喧噪に掻き消えた。

 ミハイル、ミハイル、ミハイル。そんなに乱暴にしないで。ミハイルがまた熱を出してしまう。

 兵士たちは容赦なかった。皇帝陛下も皇后さまも、皇女さまたちも、引きずり出されるようにして部屋から出された。

 ミハイルも。もちろん、私も。

 冬の革命と後に呼ばれるその動乱はこうして幕を明けたのだった。


 皇帝一家と私は、小さな離宮に閉じ込められた。兵士たちが厳重に部屋を見張っている。プライバシーなど、なにひとつなかった。

 そんな中で唯一良いことと言えば、ミハイルの側にずっといられることだった。皇后さまは隣の部屋に皇帝陛下と一緒に軟禁されていて、皇女さまとミハイルと私が同じ部屋に軟禁されていた。

「ごめんね、サーシャ」

 ミハイルは何度も私にそう言って詫びた。深く綺麗な青い瞳に、涙が浮かんだ。

「いいえ、ミハイルさま」

 私は静かに頭を振る。好きな人の側にこうしていられる。

 ああ、私はこの人が好きなのだと思った。ミハイルの美しい手が私の手を握る。ほんのりと熱を帯びたそれを、私は握って受け止めた。

「……ああ、ここから抜け出して、サーシャの村へと行けたらどんなにか良いだろう」

 ミハイルはまるで夢をみるかのように、そうつぶやく。

「きっと……きっと出られます」

 皇后さまは海の向こうの大陸のご出身だった。その国と、いまや帝政を廃止したこの国が交渉を進めていると、兵士同士の囁き声から知った。

 きっと皇后さまの母国が助けてくれる。それだけが今は細い希望の糸だった。


「出ろ」

 ある朝早く、兵士に起こされた。ミハイルはここのところ珍しく熱も出さずほっと息をついている時だった。

 兵士は殺気立っていた。ただならぬことが起きるのだ、と直感で悟った。咄嗟にミハイルの手を握る。握り返してくるその手は力強かった。ミハイルの深く青い瞳を見る。ミハイルも私の瞳を見た。

「おまえはこっちだ」

 私を大柄な兵士が引き寄せる。ミハイルと握った手が離れる。離れてしまう。ミハイルは少し目を見張って。そしてにこりと微笑んだ。元気で、とその口が言葉を紡いだ。

 私は必死に手を伸ばす。

 やめて、連れて行かないで。ミハイルを連れて行かないで――! 私の声は誰にも届くことはない。皇女さまたちも連れて行かれる。隣室でも大きな物音がする。

 やがて一時しずかになって。

 銃の音が、大きく響き渡った。


 二百年に及ぶ、この国の、帝国が滅びた瞬間だった。


 私はその後のことを知らない。ただ、板切れにシーツを被せて兵士がなにかを運ぶのを見た。シーツから垂れ下がって見えたそれは、ミハイルの手に見えた。何度も、何度も握ったその手。私の手を握り返してくれたその手は、赤い血が伝ってぴくりとも動かなかった。

 私はもがいた。兵士の隙をついて駆け出す。だらりと下がったその手に取りすがった。ぬるりとした嫌な感触がしたけれど、それはまさしく、ミハイルの美しい手だった。

「嫌……ミハイルさま……嫌……!」

 銃の底で殴られた。気が遠くなる。遠ざかっていく手が、だらりと揺れた。

(いつかサーシャの村へ行ってみたいな)

 ミハイルの声が聞こえた気がした。可哀想なミハイル。彼は一生をほとんど寝台で過ごし、ささやかな夢さえも叶わなかった。

 ただ、皇帝の息子に生まれたばかりに――。私の頬を涙が滑り落ちた。

 ただ脳裏に、ミハイルの笑顔と、生気のない手だけが鮮明に残っていた。


 私の力はそれ以来なくなった。何の役にも立たなくなった私は革命軍の崩壊と共に解放された。皇后さまの母国から派遣された兵士たちがやっとたどり着いたのだ。皮肉なことにこの国は皇后さまの国の支配下に置かれた。そして皇后さまの弟が新たに皇帝となった。新たな王朝がはじまったのだ。


 私は近くの村に留まった。ミハイルの亡骸を私は必死に探した。あの日、板切れに乗せられて運ばれた遺体は離宮の直ぐ側に埋められたはずだった。やがて、皇帝宮からも遺体の捜索の兵が差し向けられた。1年たち、2年がたち。あっという間に長い月日が流れた。


「あったぞ!」

 その声に私は目を向ける。陽の差さない深い雑木林の中から、その声は響いた。大柄な男性、成人した女性、それにまだ成人前の少女ふたり。そして――。

「ミハイルさま」

 私は涙を流した。白骨化したそれは、確かにミハイルの手だった。

 私はかつてそうしたように、その白骨化した手に指を絡めた。

「お探ししました」

 皺を刻み始めた私の頬を涙が流れる。

(サーシャ)

 確かに声が聞こえた気がした。

(いつか、サーシャの村へ行ってみたいな)

「やっと、願いが叶えられますね」

 その手は記憶のなかのようには握り返してはくれなかったけれど、私は確かに、私を呼ぶ優しい声を聞いたのだった。目を瞑ればありありと、生きているミハイルの姿が浮かび上がる。

 その美しい白骨の指を抱いて。私はただ、静かに泣き続けたのだった。

 兵士たちが黙とうするなか、私は懐かしい悲しい再会に涙をこぼしたのだった。


 

これで話は終わりです。え? その遺体はどうなったかって? 皇帝宮から来た兵士が大切に皇帝の墓所まで運んでいきましたよ。

 ミハイルさまはどうしたかですって?

 ミハイルさまもいまは皇帝の眠る墓所に眠っておられます。え、私の首飾りが、指のようですって?

ふふ。ミハイルさまは自由におなりになったのですよ。どこまでも遠くに行けるんですよ――。


 老婆はそう言って、愛しそうにその首飾りに指を絡めたのだった。(了)



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手をつないで離さないで 深山心春 @tumtum33

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