第3話

「ね、羽月ってかっこいいよね」

 新しくできた友達の美咲ちゃんがこそこそと耳打ちする。

「うん、優しいし、かっこいいよね」

 内気な私は話しかけてくれたことがうれしくて、ほほを染めながら頷く。

「花は羽月が好きなの?」

 不意にそういわれて、頬をさっと赤くする。

「初めての友達だし、好きだよ」

「そうじゃなくて……。恋愛的にって意味」

 そう聞かれてさっと血の気が引く気がした。先生が脳裏に浮かぶ。あの陰気で悲しげで臆病な先生が私は好きでたまらない。

「好きな人は……、別にいるよ」

 先生のことを思い出すと、ふいに心がぎゅっと締め付けられる。胸が苦しくなって、息ができなくなる。どうしてだろう。わからない。でも硬直するのだ、心のどこかが緊張と喜びで、動けなくなる。

 美咲ちゃんは私の顔を見て一瞬、息をのんだ。

「ねぇ、花って美人だよね……。なんていうか、好きな人? のこと考えた瞬間、ぞっとするほどきれいに見えた。こっちまで頭がくらくらしそうなくらい色っぽい。そんなに……好きなんだね」

 美咲ちゃんの表情は何かに魅入られるような、うっとりとした呆けた表情で、私を見つめる。赤面症の私はさらに頬をほてらせる。

「うん……。大好き。でも! 羽月くんも好きだよ! 人としてすごく!」

 そう懸命に言い募る私を見た美咲ちゃんは大声で笑いだす。

「羽月! 花に気をつかわれてるよ!」

 いつの間にか後ろにいた羽月くんは「マジか! なんだよ! 人としてって」と大げさに笑う。

「で、でも、本当に人としては大好きだよ!」

「何度も言うな! むなしくなるだろ!」

 そういって私は友達たちと笑いあう。ふいに気づくのだ。

 今、笑っている。今までこんなに楽しいことはあっただろうか。嬉しい。みんな私を見ても嫌な顔をしない。私の緑の眼を綺麗って言ってくれる。

 私、ここにいていいんだという安心感と、いつかこの幸せを失ったときに、また私は笑えるかなって萎縮する心が膿を出す。

 嬉しくて、嬉しくて頬が赤くなってたまらないのに。それなのに、涙が出そうになる。人を好きになるのがこんなに怖い。

 失うのが怖いから手放したいのに、それなのに手放したくない。きっとこの感情は永遠に消えないのだろう。この罪悪感とそれでも友達が欲しいという欲。何故だか友達と話しているのに、先生が恋しくなった。先生に会いに行きたくなった。


 放課後、私は保健室に向かう。

 先生はどんな顔をしてなんて言ってくれるの? よかったね? それともただ棘々しく笑うだけ? そんなのどうだって良かった。

 私は放課後、走って保健室に向かった。先生はきっと帰り支度をしている。求めないと決めたくせに先生と一緒に帰れるんじゃないかって期待してる。

 通り過ぎる景色がキラキラしていた。木々が太陽に照らされて風が吹いて木漏れ日が揺れる。

 さっきまで光化学スモッグが出てたっていうのに空気がおいしい。私は保健室の横向きのドアをがらりと開く。そこには先生がいて黒縁メガネをはずして佇んでいた。息をのむほど先生は綺麗だった。

 その目は控えめに輝いて黒髪に不釣り合いで、その不釣り合いさが何ともいえない違和感を生み出し、まるで人間じゃないみたいだった。

「どうした?」

 先生は含みのある頬笑みで私を見つめている。なんだろう、息苦しい。どれだけ息を吸っても吸っていないみたいに息苦しい。走ってきたからじゃない。きっとこれは、先生が私をみているからだ。

 先生の毒々しさが好き。先生の綺麗な目が好き。でも先生は隠してる。本当の気持ち、辛くて悲しい事実を。何を隠して何を抱えてるの? いつも自分の中に何かを隠すように頬笑みに影をつける。

 陰りをつけて光を当てないように見えないように、先生はいつも壊れそうに笑う。

「先生、私ね、友達……できたんだよ」

 私は荒い息を整えることもせず、先生に言った。先生は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

「そう、君はすごいね」

「笑ってくれると思った。先生と私は似てるから」

 私がそういうと先生が吐息で消えてしまいそうな淡い笑みを浮かべた。

「そうだね。君と僕は似てる」

 私はそれを聞いて、先生から発せられる毒のような何かを感じて心臓がドクドクと高鳴り始めた。苦しいのに私はそこから逃げたくはなかった。

 先生のネオンのような強く発光する目は、見つめたものを石に変えてしまう神話の化け物。メデューサみたいだ。

「優しさを渇望してる。僕は手に入れられなかったけど、君はすごいね」

 先生は危うさを持っている。次の瞬間には闇に溶けて消えてしまう危うさ。

「話しかけてもらったの、知らない男子に。だから私の力じゃない」

 そういうと先生は鞄からスマホを取り出して見つめながらこう答えた。

「それじゃ、君には魅力があるんだよ。可愛い女の子っていう」

 明かりのついたスマホの電源を押すと、先生はスマホを鞄にしまって部屋の片づけを始めた。私は後を追うように先生に詰め寄った。

「先生の目はどうしてそんなに消えそうなの?」

「そんなこと初めて言われた」

 先生はそう言って笑う。毒のある刺々しさを含む、人を遠ざける笑い方で。

「先生がそんなふうに笑うのってわざとなの?」

 私がそういうと先生が黙った。

「図星だと黙るんだね」

 私が傷口を抉るように追撃の言葉を口にすると、先生が一人事のように呟いた。

「似てるのは目の色が違うだけじゃないんだな。君だって笑い方は不自然だ。人の事とやかく言えないんじゃないか?」

「違うの。否定したり、気に入らないんじゃない。私はその笑い方好き」

 私がそういうと先生がさっきよりは少しばかり大げさに笑う。

「君は面白い子だね。僕の笑い方が好き? こんなに陰気なのに」

「私は先生が好き」

 ただ必死になって言った。なんだろう? 好きなんだけれど、想いをガムみたいに何度も味わうように、口にしてしまいたくなる。好きだとか一番薄っぺらな言葉だと嫌悪していたのに、言えば言うほど気持ちが膨らんで破裂しそう。

「それ幻想だから」

 先生は言葉を紡ごうとする私の唇に、手を当てていう。青い目をした先生はとてもきれいで私に夢を見せてくれてるみたいで、一瞬これは幻想なのかと本気で思った。

 でもこれは現実だ、夢じゃない。

「こんなにきれいな幻想なら飲まれてもいいよ。先生、私を夢の中に連れてってよ」

 選んだ言葉は先生の心に届いただろうか? 先生は初めて笑った。バカにしてるわけでもなく、可笑しくて笑ってるわけでもなく、真っ直ぐに優しく笑った。

「バカな子」

 先生はその黒縁の眼鏡を外した。黒髪の中に潜む幻のような瞳の中には泣きそうな顔をした私が映る。スモークがかかったメガネの向こうの緑の目が先生をまっすぐ見つめてる。

私の緑の目には笑ってる先生が映っているんだろうか?そんな事を考えて、先生に外されるメガネからぼやけた視界を閉ざして私は自分の唇にあてられた彼の唇の感触を味わった。柔らかくてとても優しい感触にうっとりする。

 ファーストキスが好きな人でよかった。そんなバカみたいな事を考えて、この状況に心臓が暴れ狂って辛いのに。この感覚が不思議だった。

「花、内緒にできる?」

 私は首を縦に振った。

「大切にするよ。だって君は俺を見つけてくれた人だから」

 いつもと違う一人称に心臓が鼓動を高鳴らせる。

 意味は分からなかったけれど、私には何か特別な気がして嬉しくて笑った。あ、れ? 先生を見る景色が歪んでいく。めまいを起こし、暗闇で視界が回転する。

 点滅を繰り返す視界が急に片方見えなくなった。

 それだけではない、足が、腕が、片方だけ動かなくなった。私は見えなくなった目に動く方の手で触れる。感覚がない。視界がさらに点滅を激しく繰り返す。頭が動かなくなったみたいに強烈な眠気に襲われた。なんでだろう? どうしてなのかな? 本当に夢の中に連れて行かれたみたいだ。

私はその強烈な眠気に打ち勝つことができず、先生に抱きしめられながら嬉しさと共に眠った。


 しばらくすると、白い天井と蛍光灯が見えた。頭がぼーっとする。心配そうなお母さんが涙ぐみながら見ている。

「どうしたの?」

「保健室で倒れたのよ。保険医の先生が運んでくれて……。大丈夫なの?」

 お母さんの瞳はいつも私を見るような目じゃなかった。なんだか死にゆく人を見るような、でもそれを相手に気づかれないように、無理に微笑んでいるような複雑な表情の笑顔。

「お母さん。私、病気なの? 右目が……見えないの」

 私はおそるおそる、母に問う。母は静かに目を見開いて私を優しく抱きしめてくれた。

 久しぶりだ。お母さんに抱きしめてもらうの。お母さんの優しい匂いがする。私はまどろみから抜けきらない意識の中、母の背中に手を伸ばした。

「久しぶり、お母さんに抱きしめてもらうの」

 お母さんは少し泣いているようだった。

「ずっと、ずっと、お母さんは私を嫌ってると思ってた。泣いてくれるなんて思わなかった。ねぇ、お母さん。私ずっと、こうしてほしかったの」

 今日はたくさんの願いが叶う日だ。友達もできて、先生との関係も進んで、お母さんに抱きしめてもらって。

 私はきっと幸せ。今ならいつ死んでもいい。そんなふうに思った。

「ごめんね、今までごめん。大事な娘なのに、あなたが悪いわけじゃないのに。愛してるのに、心の整理がつかなくて、大事にできてなかった。ごめん、ごめんなさい」

 母は私を抱きしめながら、泣きじゃくっていう。

「花、ドッペルゲンガー症候群って、ニュースで見たことあるでしょ」

嗚咽混じりの声を聞いて、何故か先生が頭を浮かんだ。

「あなたはドッペルゲンガー症候群なの」

「ドッペルゲンガー……?」

 気が遠のくような感覚にしびれながら、見つめる母は涙を浮かべていた。


 次の日、私はいつものように学校に行く。

 片目には白い眼帯を付けて、クラスには入らず保健室に向かう。悟ったような顔をして、先生は私を迎えてくれた。

 私は先生に触れたかった。

 埋まらない年月の匂い、けれど、先生は私と同じ匂いがする。ドッペルゲンガー症候群、自分と同じ、そして自分の理想が形になったもの。

 私は覚悟して言葉にする。

「……先生。私の病気、判明したよ。ドッペルゲンガー症候群だよ」

 先生は唇を震わせながら、こぶしをぎゅっと握る。そして黒縁眼鏡をそっと外し、ごしごしと涙をぬぐった。

「先生、どうして耳を塞いだの? 先生が驚いているの初めて見たよ……先生は何を隠してるの?」

 その瞬間、先生の重たい黒髪の向こうの表情が見えた。傷ついて悲しんで、それが永遠に終わらないような絶望に似た痛みが、先生の瞳に映る。どうしてだろう、先生はすごくしっかりして見えるのに、迷子の小さな子供に見えてしまうのは。

「保健室でキスを求めたのは、自分が死んでしまうと思ったから。先生のことばかり考えるのは、きっと先生が私にすごく似ているから。息をするのと同じくらい先生のことばかり考えているの。先生の瞳が気になってたまらないの。先生は私と同じだよね? 私の一部だよね?」

 少し黙ってから先生は泣きそうな顔をしていった。

「……少し、昔話をしようか」

 先生が鞄の中から取り出したのはスマホだった。電源ボタンを入れて、スワイプして見せられた画面を見て固まる。そこには影のない、陰気じゃない先生が、太陽みたいに眩しい顔でいろんな人に囲まれながら笑っていた。

「えっ、これ。先生……じゃない。誰?」

「君はすごいね。僕じゃないってちゃんとわかるんだ」

 切ない表情をして先生は私をそっと抱きしめる。その腕は震えて、そして縋り切っていた。

「僕は彼のドッペルゲンガーだよ」

 そういった瞬間、私は先生の顔を見た。

「なんで……、泣いてるの」

「泣いてなんかいない」

 そう先生は言う。けれど、確かに涙を流してはいないけど。

「ううん。先生は泣いてる。ずっと、出会ったときからずっと。自分が許せなくて泣いてるよ」

 言葉にした瞬間、先生は悲しく笑ってみせた。

「川の石が丸いのはどうしてか知ってる? 石はね、水に流されて角を削り取られて丸くなっていくんだ。でも僕達は違うね。ぶつかり合う石を避けて流れてる。痛みを怖がって丸くなろうとしないから、触れると人を傷つけて怪我をさせてしまう……。でも、気づいてないだけ、きっとみんな何処かしら壊れることに怯えている。そのスマホに映っている奴も、本当は僕みたいな影をいつも心に背負っていた。暗くて痛がりで、怖がりで誰とも関わりたくないのに、寂しいって」

「……」

 言葉を詰まらせた。何をいえばいいのかすらわからないで、ただ先生の言葉を聞き入るしかなかった。先生はそんな私を見て、静かに言葉を続けた。

「そいつはね、本当は人が嫌いで仕方がなかった。笑顔の裏ではもう心底、人と関わりたくないと毛嫌いしてるほどにね。……でも、傷つけられたくなくて、人の望む人物像を演じているうちに人気者になって、人と距離を置くことができなくなったんだ。本当の自分を誰にも出すことができなくなり、彼の心はどんどん蝕まれていく。逃げ場のない不安、苦しみ、本当の自分を誰かに知ってもらいたいのにできない。その孤独に耐えれなくなって、ドッペルゲンガー症候群になった。抑圧した気持ちを抑えられなくなったんだ。自分のなりたい自分を具現化させてしまうほどに。花、君はドッペルゲンガーになるとどうなるか知ってる? 存在しているだけで、本体の命を奪ってしまう。本体はね、僕がいることを喜んだよ。笑ってお前が俺になればいいのに、そしたら俺はやっと楽になれる。そう言って死んでいった。でもね、僕は……あいつになりたかったんだ」

 先生はじんわりと溢れた涙をためらいもなく流した。

「二つに別れた魂は、一つ失うと嘘になってしまう。僕はあいつが恋焦がれた理想だけど、あいつじゃない。恨まれた。憎まれた。人が恋しいのに、人気者から出てきた僕は嘘で固められた影だから誰も僕を見ない、わからない。あいつは僕に飲まれて死んでいった。僕はあいつを殺して本物になった。……嘘なんだ、全部。嘘の存在で偽物で影だ。それでも君は、見つけてくれた。好きになってくれたんだろう? ほら、泣かないで。君は僕みたいにならないで」

 私は泣いて先生を抱きしめていた。先生は嘘じゃない、少なくとも私にとったら本物よりも純粋にまっすぐ生きてる。私は先生にキスをした。

 先生はそっと私の背中に手を伸ばして抱きしめ返してくれる。それが優しさだって、弱さだっていい。それが恋しいと思うの。愛しいと思うの。嘘にこんな感情は抱かない。

「この体温も、この腕の感触も嘘なわけないじゃない。先生は影じゃない。先生は先生なんだ。わがままだけど、先生が好きなの。先生が好きなの」

 私はまるでうわ言のように繰り返した。先生は透明な雫を流しながら、私の名前を何度も呼んだ。……何度も何度も、呼び続けた。

 本当はね、私。先生が私のドッペルゲンガーだと思ったの。私にとても似ているから。先生と私は同じだから。先生は泣きながらいった。

「君に消えて欲しくない、君は僕のようやく見つけた光なんだ」

 私はいった。心から強く願うように。

「消えないよ」

 閉ざされた視界が開けていくのを感じた。私はわかったのだ。自分のドッペルゲンガーは何処にいるか……。自分のなりたかった自分の姿が……。

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