忘却の花 -三つ目の願い-
北畠 逢希
第1話
愛とは何だろうか。それについて語られている本を開くと、お互いに相手に与えあうことを苦に思わない感情だと記されていた。恋とは違い、どちらか一方の思いではなく、相手と自分の双方向で感情が動くことで、成り立つのだとも。
(──難しいな)
ノクスは読みかけの本を閉じて、ソファから腰を上げた。
その時、部屋の扉が開いた。
「失礼するよ。ご飯が出来たとセバスチャンが呼んでいるのだが」
現れたのは彼女だった。扉の隙間からひょっこりと顔を出し、きらきらとした笑顔を浮かべている。
ノクスは慌てて本をベッドの中に隠し、わざとらしい咳払いをしてから彼女のもとへ向かった。
「そうか。なら下に行こう」
「急いで何を隠したんだい?」
「単なる調べ物だ」
さあさあ、とノクスは彼女の肩をそっと押す。一番見られたくない相手に見られるわけにはいかない。
だが、そのいかにもな態度が彼女の好奇心を刺激したのだろう。ふうん、と彼女は小首を傾げていたが、次の瞬間にはノクスを押しのけて部屋の中へと入ってしまった。
「お、おい」
引き止めようと伸ばした手は宙を掻いた。
彼女はベッドの前に行くと、今しがたノクスが被せたシーツを捲り、中に隠していたものを取り出す。
「なんだい、これは。──“愛とは何か”って……それにこれも」
ああ、とノクスは項垂れた。
ここ数日間読み耽っていた本のタイトルが次々と暴かれていく。
「女性の喜ばせ方、花束の作り方、一緒にお料理、これで迷わない服の褒め方……」
彼女は目についたタイトルを読み上げていく。六冊目を手に取ったところで肩を震わせ始めた。──絶対に笑っている。
「……面白いか?」
そう問うと、彼女は目尻に薄らと涙を浮かべながらノクスを振り返った。
「いや、その……面白いかと訊かれたら、面白いのだが……何だろう、君がここにある本を真面目に読んでいる姿を想像したら、色々とね」
「色々とは何だ。僕はどんな本でも真面目に読む人間だ。そうしないと作者に失礼だろう」
「いや、そういうことじゃなくて……ぷふっ、あはははっ」
彼女は大きく口を開けて、快活に笑いだした。静かな部屋に、彼女の元気な笑い声が響く。
ノクスは軽く肩をすくめ、彼女の頭に手を乗せた。そのまま撫でくりまわしたい衝動に駆られたが、手を離すことで押さえ込んだ。
「……仕方ないだろう。何もわからないんだから」
「それで調べ物を?」
「そうだ。仕事のついでに書店を巡って、買い集めてきたんだ」
「恋やら愛やら女性についているアレコレを?」
「そうだが、何か悪いか?」
分からないから知りたい、知りたいから勉強をする。だから資料を買い集め、勉強をしていたのだ。彼女に知られないように知識を得て実践したかったが、もうそれは叶いそうにない。思いきりバレてしまった。
「ふふ、悪いことじゃないよ。そもそもそれは、私のためにしていることなんだろう?」
「それは──そうだが」
ノクスはポリポリと頬を掻いた。
彼女は満面の笑みを飾り、ノクスの手を掬い取る。
「嬉しいよ。ありがとう」
「いや、その……」
「早速何かひとつ実践してみてくれないかい?」
ノクスは固まった。何を言われるのかと思えば、である。
休日である今日は愛について語られている本を読んでいた。そこにはああしたらいいとか具体的なことは書かれていない。だから今できることはないのだが──。
ノクスは暫しの間考え込んだのちに、彼女の右手を取り、指を絡ませていく。この繋ぎ方は、世間では恋人繋ぎと呼ばれているらしい。
さて、彼女はどんな反応を見せてくれるだろうか。
隣を見てみると、彼女は喉をくっくと鳴らしながら笑っていた。
「……何故笑う?」
「楽しいからさ」
「楽しそうな笑い方には見えないが」
「じゃあ、面白いから」
じゃあとは何だろうか。ノクスは眉根を寄せながら、繋いだ手に力を籠める。
「おや、怒ったのかい?」
「……そうだな」
「怒らないでくれたまえよ。私のこと、下まで背負わせてあげるから」
ノクスはぱちくりと瞬きをした。
「それで僕の機嫌が直るとでも?」
「うん。だって君は私のことが大好きだろう?」
ノクスはふいっと顔を逸らし、繋いだ手を引いて歩き出した。
「ちょっと、何か言ったらどうなんだい!」
「言う必要性を感じないな」
ある哲学者はこう語った。──想いは言葉にしなければ伝わらないものである、と。だが彼女と過ごしているうちに、そんなことはないと思うようになった。
確かに、言葉にしなければならない時もあるが、伝え方はそれだけではないはずだ。
「たまには、僕が今何を考えているのか当ててみてくれ」
「うーん、今日も重いな、とか? あ、お昼ご飯はなにかなーかい?」
「……貴女は僕を何だと思ってるんだ」
ノクスは小さく笑いながら、彼女を背負って階段を降りていく。首の後ろに彼女の柔らかな吐息がかかる。それすら幸せなことだと感じてしまうから、恋というものは厄介だ。
「正解は────」
「だ、だめだ! 私が当ててみせるから!」
「……日が暮れると思うんだが」
下の階に着くと、彼女はいそいそとノクスの背から降り、左手を握ってきた。食堂までは目と鼻の先だというのに、手を繋いで行くのだろうか。
「難しいなあ。君が今考えていること、か」
「難しいことじゃない。いつも考えていることだ」
「それじゃあやっぱり、答えは──」
ガラス扉から午後の陽光がうらうらと差し込んで、彼女を柔く照らす。光に縁取られた横顔は、絵に残したくなるくらいに美しく、ノクスの足をその場に縫い留めさせた。
突然足を止めたノクスを、彼女が不思議そうに振り返る。
ノクスは手を伸ばし、彼女の頬をそっと撫でた。
「答えはまだ、言わないでくれ」
どうして、と彼女は言わなかった。いつものように優しく微笑み、素直な子供のように一度だけ頷く。
ノクスは彼女の手を握り直し、再び食堂へと向かって歩き出した。
繋いだ手と手に隙間はない。どちらからともなく、指を絡ませ合っている。
こうして伝わる想いもあると、彼女は知っているだろうか。
忘却の花 -三つ目の願い- 北畠 逢希 @Akita027
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