第2話「やっとのダイブ」


ERCAに入隊してから、半年が経った。


環は装備ラックの前に立ち、支給されたスーツの継ぎ目を確かめながら、静かに息を吐いた。

新品だったはずの装備には、細かな擦り傷が増えている。訓練の数だけ、時間が積み重なった証だった。


「緊張してんのか?」


背後から軽い声が飛んでくる。

振り返ると、櫂がヘルメットを指先で回しながら立っていた。


「……してないって言ったら嘘になる」

「正直でよろしい」


櫂は笑う。いつも通りの、少し軽い調子だ。

だが、その目だけは冗談を言っている時のそれではなかった。


「初任務だもんな。第七分隊としては、記念すべき一歩だ」


「“記念”って言い方、やめて」


環がそう返すと、今度は別の方向から声がした。


「でも、事実」


薫だった。

壁にもたれ、端末で任務情報を最終確認している。冷静で淡々とした口調は、半年経っても変わらない。


「今回のネイアスは、行動パターンが単純。脅威度は低め。

 訓練通りに動ければ、問題はない」


「そういうのが一番怖いって、教官が言ってたけどな」



――入隊から二日後。



「今日、お前達には、第二東京の事を頭に叩き込んでやる。覚悟しておけ」


教官の凄みに圧倒されまいと、全員が背筋を正す。


「第二東京――通称“隔離区画”だ」


教官はそう言って、背後のスクリーンを起動させた。

地図が映し出され、東京の中心部が赤く塗り潰される。


「ネイアスが初めて確認された地点。

 そして、最初に“切り捨てられた”場所でもある」


ざわざわと空気が揺れた。


「民間人はすでに退避済み。

 今も街の形は残っているが、人間が住む場所じゃない」


瓦礫、崩落した高層ビル、歪んだ道路。

映像に映る第二東京は、かつての都市の影だった。


「今この場所で動いているのは、ネイアスと――俺たちERCAだけだ」


教官の視線が、新人たち一人ひとりを貫く。


「勘違いするな。

 ここは“守る街”じゃない。“抑え込む場所”だ」


教官はスクリーンを切り替えた。

次に映し出されたのは、歪んだ輪郭の影だった。


「――ネイアス」


空気が張り詰める。


「正式な分類は未だ不明。

 生物でも、機械でもない。思想も、感情も確認されていない」


映像の中で、影は不自然な動きをしていた。

歩いているようで、滑っている。

止まったかと思えば、次の瞬間には別の場所にいる。


「共通しているのは一つだけだ」


教官は淡々と告げる。


「人間の生活圏を“壊す”」


誰かが息を呑む音がした。


「理由は不明。交渉不可。説得無意味。

 発見次第、排除。それがERCAの方針だ」


教官の目が細くなる。


「覚えておけ。

 ネイアスは“敵”じゃない」


一瞬の沈黙。


「“災害”だ」



――現在に戻る。



環は二人のやり取りを聞きながら、胸の奥に溜まるものを感じていた。不安なのか、期待なのか、それとも――まだ名前のつかない感情なのか。


半年間、彼女たちは訓練に明け暮れた。

ネイアスの映像を見て、戦術を叩き込まれ、失敗しては怒鳴られ、立ち上がってきた。


それでも「実戦」は、訓練とは違う。


「……明日さ」


環が口を開くと、二人がこちらを見る。


「無事に戻ってきたら、何かしようよ」


「何かって?」

「ご飯でも、甘いものでも」


櫂が一瞬きょとんとした後、にっと笑った。


「いいじゃん。帰還祝いだな」

「フラグっぽい言い方しないで」


薫が即座に突っ込む。

そのやり取りに、環は少しだけ肩の力が抜けた。


「大丈夫だよ」


自分に言い聞かせるように、環は呟いた。


「私たちは、ちゃんと訓練してきた。

 新人かもしれないけど――第七分隊だ」


その言葉に、櫂は真面目な顔でうなずく。


「だな。行こうぜ、初任務」


薫は端末を閉じ、静かに言った。


「生きて帰る。それだけでいい」


寮の部屋に、短い沈黙が落ちる。

だがそれは、重たい沈黙ではなかった。


やがて消灯の合図が鳴り、明日への時間が、確実に近づいてくる。


環はベッドに横になり、天井を見つめる。


――まだ、自分は何者でもない。

ただの新人隊員、ただの一人だ。


それでいい。

今は、それでいい。


初めての任務は、静かにその幕を開けようとしていた。

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