第1話「ログインは、まだ遠い」


【ERCAオペレーションログ/第二東京】


08:41

南砂町ショッピングモール二階区画

0〜1級雑魚型、標準型ネイアス複数反応

第四・第五分隊、出動


08:44

代々木中央公園

2級強化型、鳥獣を模したネイアス四体出現

第二分隊、出動


08:47

新宿駅地下B1構造層

3級自立思考型ネイアス確認


――十二社大斧じゅうにそうだいふ、単独出撃


ログは淡々と流れていく。

そこに感情はなく、危機感もなく、ただ事実だけが並んでいた。


第二東京では、これが日常だった。



同時刻。

ERCA第六訓練区画。


乾いた金属音と、空気を裂くような振動が交錯していた。


「遅い!」


教官の声が響く。


樫巳谷環かしみやたまきは、歯を食いしばりながらデバイスを握り直した。

腕に伝わる反動が重い。

見えない“壁”に弾かれた感触だけが残る。


「もう一度!」


隣で、鹿骨櫂ししぼねかいが一歩前に出る。

勢い任せに踏み込み、仮想標的へ熱量異常を叩きつけた。


「……当たった、けど浅いな」


石神井薫しゃくじいかおるが冷静に言う。

彼の防御展開は正確で、無駄がない。だが決定打に欠ける。


環は、二人の背中を見ていた。


置いていかれている、という感覚だけが、胸の奥に沈んでいる。


「はい、そこまで!」


教官が手を上げた。


環達が所属する分隊以外も、一斉に動きを止め、教官の方に視線を送る。全員が息を切らしながら、服装の乱れを正す。


整列をした分隊から、厳しい教官の指示が飛んでゆく。


「…櫂、前のめり過ぎじゃない?」


「…それは私も思った」


「…お前らが着いて来れないのが悪い」


各々、小声で反省をする。その時。

訓練区画の入口が、わずかにざわついた。


空気が変わる。


誰かが、来た。


教官が一瞬だけ言葉を切り、姿勢を正す。


入ってきた男は、軍服を着ていなかった。

ラフな上着に、だらしなく肩から下げられたデバイス。


それだけで、誰か分かった。


「……拝島鯨はいじまくじら……」


櫂が小さく呟く。


ERCA最強。

命令を聞かない男。

単独行動の象徴。


拝島鯨は、訓練場をぐるりと見回し、欠伸を一つした。


「ふーん……これが新人ね」


教官が説明を始める前に、彼は続ける。


「これ全員、実戦出す気?死ぬでしょ」


遠慮がない。

だが、否定もできない。


拝島は、櫂を見る。


「君、前に出すぎ。死に急ぎたいタイプ?」


櫂が言葉に詰まる。

次に薫。


「君は逆。守ってばっか。守れるのは、自分だけだよ」


最後に、環を見る。


一瞬、視線が合った。


――それだけ。


拝島鯨は何も言わず、興味を失ったように背を向けた。


「じゃ。また来るかもな」


教官が敬礼する前に、彼はもう出口へ向かっていた。


静寂が戻る。


「……今のが、最強かよ」


櫂が吐き捨てるように言う。


「組織としては、相当歪だね」


薫は淡々と分析する。


環は、しばらく黙っていた。


「……怖かった」


それだけが、正直な感想だった。


遠くで、警報音が鳴る。

モニターに戦況が映し出される。


だが、新人たちは動かない。

まだ、潜る資格はない。


第二東京は、今日も誰かが戦っている。


教官は腕を組み、三人を見下ろした。


「さっきの拝島の言葉、気にするな。

 あれは“最強”の物差しだ。お前たちの段階じゃない」


そう言いながらも、視線は厳しい。


「だが――現実でもある。

 第二東京では、迷った瞬間に死ぬ」


環は、思わずデバイスを握る手に力を込めた。


「樫巳谷」


呼ばれて、背筋が跳ねる。


「さっきの防御展開。反応は悪くない。

 だが、無意識に距離を取っている」


「……はい」


図星だった。


「怖いか?」


一瞬、言葉に詰まる。

だが、環は正直に答えた。


「……怖いです」


教官は、少しだけ目を細めた。


「それでいい。

 恐怖を感じない人間は、第二東京じゃ長く生きない」


続いて、櫂を見る。


「鹿骨。お前は逆だ」


「……っす」


「踏み込みが早すぎる。

 “当てる”ことしか考えていない」


櫂は歯を食いしばる。


「でも、前に出なきゃ始まらないと思います」


「始まる前に終わる奴が、何人いたと思ってる」


言葉が突き刺さる。


最後に薫。


「石神井。判断は早い。

 だが、味方を信じてない」


薫は一瞬だけ視線を逸らした。


「……合理的なだけです」


「戦場で“合理的”は、時に孤独だぞ」


沈黙が落ちる。


教官は訓練用の標的を再起動させた。


「もう一度だ。

 今度は三人で連携しろ」


警告音。

標的が複数展開される。


「……俺が行く!」


櫂が前に出る。


「待て、タイミングを――」


薫の制止を、環が横から繋ぐ。


「私が、間に入る!」


自分でも驚くほど、声が出た。


防御展開。

“何もないのに進めない感覚”が、空間に広がる。


櫂の攻撃が、その内側を通る。

薫の補助が、わずかに遅れて重なる。


――標的、沈黙。


「……今の」


櫂が振り返る。


「悪くない」


薫が短く言った。


教官は、無言で頷いた。


「今の感覚を忘れるな。

 お前たちはまだ“潜らない”が――」


そこで、再び警報。


今度は訓練用ではない。


モニターに映る、歪んだ影。


ネイアス。


教官が即座に通信を切り替える。


「新人は待機。

 繰り返す、新人は待機だ」


環は、画面を見つめる。


戦っているのは、別の誰か。

自分たちは、まだここだ。


それでも。


「……いつか、行くんだよな」


櫂が小さく言う。


「行くさ。

 潜らなきゃ、意味がない」


薫が答える。


環は、二人の間で、静かに息を整えた。


第二東京は、確かにそこにある。


――だが、まだ遠い。

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