第11話 「褐色の羽黒」
ある夏の昼下がり。
航はスマートフォンの画面に目を落とし、思わず椅子から跳ね上がった。
「航、たすけて――」
短い文字列に、焦りがそのまま指先から伝わってくる。胸がざわつき、手が震んだ。
返信しようとした瞬間、通知が続けざまに震える。
「ゴメン、変なところで切っちゃった。文化祭の木工作品、
手伝って。かなり難しいの……」
──ほっと胸を撫で下ろす。
肩の力が抜け、思わず小さく笑った。
響らしい。唐突で、少し不器用で、それでも一生懸命なところ。
「まあ、そろそろ顔も見たいし、いいか」
「わかった、そちらに行くから準備しておいて。
それと……ゆっくりメールしような」
すぐに返ってくる柔らかい一文。
「今度は気を付けるね」
その素直さに、胸の奥がくすぐられるようだった。
*
航は工具箱とカッターをバッグに詰め、自転車で果樹園の段々畑を登る。
夏の甘い風を抜け、住宅街に入ったところで村上家の門に自転車を止めると──
「航、来てくれてありがとう! 上がって上がって!」
勢いよく玄関が開き、呼吸を弾ませた響が現れた。額には汗が光っている。
さっきまで本気で作業していた証だ。
「おう。どこまで進んでる?」
「えっと……見てもらったほうが早いかも」
響に案内されて階段を上がる。
あの日から、彼女はどこか軽やかで、明るくなった気がした。
手を取った夜の、少し神秘的な笑顔がふと脳裏をよぎる。
二階の部屋には、夏の光と風鈴の音が満ちていた。
机の上のスケッチブックを前に、響がページを開く。
そこには“赤い再生の炎”を背に宿したユニコーンがいた。
翼の赤は燃えさかるようでありながら、きらきらと尾を引き、
どこか祈りのように静かだった。
柔らかな線で描かれながらも迷いはなく、翼の一枚一枚まで丁寧だ。
響らしい繊細さと、芯の強さがそのまま形になっていた。
「……すごいじゃん。めちゃくちゃ綺麗だよ、これ」
「ありがとう。でも、立体にすると全然違うの……
切り出しや骨組みとか、もう、私じゃパンクしそうで」
眉をひそめながらも、声には前向きな色が混じる。
「おじいさんには相談したの?」
航はふと思い出す。以前、見かけた本物のような木製模型を。
響は少し言いにくそうに視線を落とした。
「最近、おじいちゃん、体が弱くなってきてて……あんまり負担かけたくなくて」
響に促され、一階の奥にある、かつて誠おじいさんが使っていた部屋へ。
畳の匂いが残る日本間は、今や木工の作業部屋となっている。
工具棚にはクランプや彫刻刀が整然と並び、
響のユニコーンはまだ粗削りの段階のパーツが置かれていた。
その横で、航の視線がふと止まる。
部屋の隅のガラスケース。
中には木製模型が収められ、圧倒的な存在感を放っていた。
木目の流れを活かしつつ、艦橋や砲塔の細部まで狂いがない。
まるで、そこに“航跡”までも見えるような迫力だ。
背後から朗々とした声が響く。
「その羽黒に興味があるのか」
杖をつきながら現れたのは、村上誠おじいさん。
足取りは弱々しいが、その声は海風のように凛としている。
「今日は寝てなくて大丈夫なの?」
響が心配そうに駆け寄る。
「ああ、今日はすこぶる調子がいい」
誠はガラスケースを見やり、微かに笑った。
「あれは戦艦ではなく、重巡洋艦・羽黒だ。
大きさで戦艦と誤認されることもあったがな」
航は息をのむ。
誠は二人をゆっくり見回し、静かに口を開く。
「この一角獣の要所は、その都度、わしが教えてやろう。
作業しながら聞くといい。話すことは山ほどある」
一拍置いて、誠は続けた。
「良くも悪くも──これは、わしの青春の物語だ」
夏の気配が、ゆっくりと部屋に満ちていく。
ここから、羽黒の過去が語られはじめる。
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