第7話 「夕暮れファイターズ」

夕方、心地よい余韻を抱えながら、航は響の手を握り、家まで歩いた。


赤く染まる空に、沈みかけの太陽が雲を朱色に縁取り、遠くの山影を長く伸ばす。

微かに潮の香りが混ざった夕風が、二人の髪をそっと揺らした。


村上家の門の前に立った瞬間、ふと背後にかすかな気配を感じ、振り返る。

しかし、夕暮れの道には誰もいなかった。


「気のせいか」と自分に言い聞かせる。


響は嬉しそうに手を握り返すだけで、何も気づいていない。

航はそれ以上考えず、門へ歩を進めた。


門をくぐろうとした瞬間、二階の窓から仁が片手を振る。


「おーい響。今日は航と一緒か。その感じ、もう付き合い始めたな?」


「うん。航と今日から付き合う」

響は手を恥ずかしげもなく掲げて見せる。


「あー仁、詳しい話は明日する」

「いや、今行く」


仁は階段をどたどた降りながら叫ぶ。


「勝負だ、航! 受けろ!」


「はあ? 何言ってんだよ仁……とうとう頭いっちまったか?」

「違ぇよ。こないだ言った“ハンデ戦”。今日やる」


そう、航が攻撃を避ければ一本、当たれば一本。

しかし仁は少林寺拳法初段、航はスイマー。フェアとは言いがたい条件だ。


「こないだ近いうちって言ったじゃないか」

「昨日今日で告るとは思わねえって! ビビったわ」

「なんで今日なんだよ」

「けじめだけじめ、そうだな俺のけじめでもある」


航は何のことか分からない顔で構える。


「バカ兄、航にケガさせたら承知しないから」

響が真顔で釘を刺す。


「ケガなんかさせねえよ。受け身はちゃんと教えてるしな。一本勝負だ」


「……いいよ、来いよ、仁」


第一合


先に動いたのは仁。大きく前傾し、浴びせ蹴り——。


航は踏み込みと逆方向に滑るように動き、回避する。


仁は右、左と連続して蹴りを振り下ろす。

航は左足を右手でいなし、次の蹴りは体をひねってかわす。


着地した仁が息を弾ませ、少し笑う。


「かわし切るか。腕上げたな」

「初動デカい浴びせ蹴りなんて初見殺しだろ。何回も見てるし、手加減したな?」

「バレたか。じゃ、次は本気だ。これかわしてみろ」


正面からの中段蹴り。


航は瞬時に後方へ体を引く——が、途中で仁は蹴りを止め、

左回し蹴りが脇腹に“ボフッ”。


軽い痛みとともに、揺さぶられた感覚が残る。


「完全に裏かかれた……すげぇな」

「俺の十八番だ。当然だろ。次が——真剣勝負だ」


二人の間に、夕暮れの光と影が交錯する。

航は仁の目の奥に、昔から変わらぬ冷静さと、どこか楽しそうな挑発の色を見た。


第二合(本番)


「絶対ぶち込む」

「その意気だ」


仁は左手を前に掲げ、右拳を脇腹の後ろに引く——正拳突き。


速さだけが勝敗を分ける、一瞬の世界。

航も同じ構え。


空気が沈む。耳鳴りのような静寂。心臓の音が一瞬消えたようだ。


「——えいやあ!!」


二人が同時に踏み込み、叫ぶ。声が重なる。


仁の正拳がみぞおちに伸びる瞬間、航は体をひねって左手で受け流す。

右手で払いながら裏拳——パシィン!


鋭い音が夜気に跳ねた。


一歩さがった仁が頬をさすり、笑う。


「航お前、ほんと強くなったな」

「どうだかな。仁もよけられたはず。なんか頬に裏拳がすいこれたような気がしたぞ」

「気のせい、気のせい。お前が強くなった、それだけだ」


仁は息を整え、わずかに目線をそらしながら言葉を選ぶ。


「……まあ——響を泣かせないように、死ぬほど頑張れよ。それが今日の“けじめ”だ」


背中を軽く叩き、少し照れた笑みを浮かべる仁。


「兄ちゃん、あほなこと言って……航が負けたらどうするつもりだったの」

響は少し不満げに眉をひそめる。


「航は倒した。響、わたるのことをよろしくなって、言うにきまってるだろうが」

あっけらかんと言い放つ仁。


航は「ん? どゆこと……それじゃどっちも結果同じじゃないか」と抗議する。

「昔も、そんな感じでアイスの当たり棒をせしめられたな……まったく、

食えないやつだ」


「それとエミリーから伝言。響、航のことよろしくって。心配してるんだろ」

「やっぱり、エミリーは航のこと……勝手な人」と響。

「まあ響、あんまりエミリーのこと悪く言うな。航と響が付き合い始めたことは俺が言っといてやる」

「悪いな、仁に任せるお前が言うのが一番いいと思う・・・」


二人は少し照れくさそうに顔を見合わせる。

夕暮れの光が、響の髪に金色の縁取りをつくっていた。


その時、居間の掃き出し窓が開き、声が聞こえた。


「仁、響、ごはんだぞ。航君も食べていくかい」


村上誠さん——響と仁のおじいさんだ。


「ありがとうございます、今日は大丈夫ですので、これから帰ります」

「そうか、気をつけてな。いい試合だったぞ」


「じいちゃん、見てたのか」

「わしも昔はやんちゃしてた時があったからな」


ほっほっほと笑いながら、窓の奥に消えた。

あたりはもう夕闇に染まり、街灯の明かりが道にぽつぽつと灯り始めている。


軽く挨拶をして、その場を後にした。


村上家で感じた気配は誰だったのか——気になりつつ、家路についた。

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