第1話 「揺れる電車と、揺れない絆」
海沿いの始発駅を出た三両編成の列車は、
朝の潮風を残したまま岬の古びた灯台をかすめ、やがて森の中へ姿を沈めていった。
木々の影が窓に線を描き、車輪はぎしりと軋みながら単線を登っていく。
海の青さはいつのまにか緑に飲み込まれ、車内の空気までひんやり変わる。
航は、その移り変わりを黙ったまま胸に抱え込んでいた。
遠い日にした約束は、澄んだ空の彼方に溶けてしまったはずなのに、
その下にきらきら光る海をどうしても重ねてしまう――
悪い癖だ、と息を吐いた瞬間。
「なーにセンチな顔して物思いにふけってんだ。
写メでも撮って響に送ってやろうか?」
低く野太い声が横から落ちてきた。
振り返ると、仁が椅子の背にもたれてこちらを半眼で見ていた。
「ん、おかしいな。
大きな熊さんが話しかけてきてる。まだ寝ぼけてるのかな。
……で、今日は部活どうした?」
「誰が熊さんだ。
少林寺拳法同好会は柔道部の隅っこでやってるだろ?
オンボロ体育館の壁の修理で、端っこ全部ブルーシート張られて使えねえんだよ。」
「それに今メール送ったら響、弓道部の岩崎ブチョーに怒られるって。
今、朝稽古だろ。
こないだ“ぜんぜん当たる気がしない”って言ってたし。」
「まだ始めて三か月だしな。
筋は良いらしいから、中学から始めてりゃ結構いいとこまで行ってただろ。
あいつ。」
「そっか……。
……早く始めれば良いってもんじゃない、って――……すまない。」
ぽつり落ちた言葉に、仁が眉をひそめ、
次の瞬間、航の頭を指でぴしりとはじいた。
「なに謝ってんだよ。別に誰も怒っちゃいねえよ。」
その軽い一撃が、逆に胸の奥をざわつかせる。
「弱くなった自分」を見透かされている気がして、航は小さく息を吸い込んだ。
そのとき、ポケットが震えた。
――響からの“弓道場の朝メッセージ”。
『今日の朝日、弓の先が飲み込まれそうなくらい眩しかった。
でも一射だけ、自分じゃない誰かが引いたみたいにまっすぐ飛んだ。
そっちは電車? 寝てたら起きろ。
遅れても……まあ、待っててやるから。』
仁がすかさず覗き込み、口の端を上げる。
「ほら見ろ航、響が気になっているの知ってるんだろ、
最近お前のことえらい心配してたぞ」
「そうか……まあ普通だよ。」
ちょっと耳の先が熱くなるのをごまかすように、
航は画面を閉じて通学鞄にしまった。
森が途切れると、山のふもとの小駅が姿を見せた。
列車がホームに滑り込むと、ひんやりした空気が流れ込む。
ドアを出た瞬間、かすかな土の匂いと、遠くの工場から響く朝の機械音。
海沿いとは違う世界がそこに広がっている。
校門の前で、制服姿の響が手を振った。
肩から下げた弓袋と矢筒。
少し汗の残る額。
凛と張った空気をまとったまま、ふっと笑う。
「おはよう。……前よりだいぶよくなった?」
心配かけてるんだろうなと思いながらも響の顔を見ると安心する。
航は視線をそらしながら「さあ? どうだろ」と肩をすくめた。
三人並んで校門をくぐる。
響の歩幅は小さく揃っていて、仁はわざと大股で歩いて揺さぶり、
航はその真ん中で、二人の温度差に安心しながらも、心の奥ではひっそりと“海の匂い”を探していた。
言葉にはできない、潮の記憶。
波に溶けていった誰かとの約束。
その残滓が、校門へ続く坂道の途中でふっと胸を突いた。
航はその痛みに気づかれないよう、
「行くか」とだけ呟いた。
朝の光はまだ淡く、
立ち止まった心を、そっと前へ押してくれるようだった。
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