第4話「余興」
NKVDの要求は、月日とともに形を変え、量を増していった。
「改革が遅い」
「農業の集団化が甘い」
「近代化を急げ。労働者を育成しろ」
やがて、それは一線を越える。
「――粛清が、足りない」
書記長アルマリク=アル=アフマールは、その言葉を聞いた夜、党本部ではなく、名もなき礼拝所を訪れた。
奥の間で、道師アルマナファド=アル=サミットは、いつものようにシーシャの管を手にしていた。
紫煙は天井に溶け、言葉は必要最小限だった。
「嵐が、騒がしくなっています」
アフマールがそう告げると、道師は短く頷き、何も言わずに、奥へと声を掛けた。
現れたのは、一人の若者だった。
名を、ザラ・アルサムトという。
道師は彼を指し示し、淡々と語る。
「この者は、音もなく背後に忍び寄り、
静かに標的の鼓動を葬り去る」
命令は、それだけだった。
二日後。
ドゥドマスタンに駐留するソビエト赤軍の陣地が、ざわついた。
NKVDの政治将校が一名、行方不明――
寝台も、外套も、そのままに。
騒ぎはあったが、捜索は形ばかりだった。
誰も、この国の夜を深追いしようとはしなかった。
報告を受けたアフマール書記長は、静かに息を吐いた。
「……道師。余興にしては、派手過ぎます」
その言葉に、返答はなかった。
その頃、モスクワでは、ヨシフ・スターリンが、珍しく一つの寝室を選んでいた。
暗殺を恐れ、毎夜寝所を変えることで知られる彼が、その夜に限って「ここだ」と決めた部屋だった。
だが、ベッドに近づいた瞬間、彼は異変に気づく。
白いシーツに、赤い染み。
恐る恐る、それをめくると――
そこには、人の小指が一本、丁寧に置かれていた。
添えられていたのは、一枚の写真。
行方不明とされた政治将校の、変わり果てた姿。
スターリンは、声にならぬ声を漏らし、
急ぎ側近を呼び寄せた。
現れたのは、NKVD長官ラヴレンチー・ベリヤ。
スターリンは、珍しく、臆病なほど震えながら命じた。
「ドゥドマスタンには……手を出すな」
それは命令であり、懇願でもあった。
その後、ソビエトからの無理難題は、嘘のように、ぴたりと止んだ。
改革も、集団化も、粛清も――
「現地の事情を尊重する」という一文で、棚上げされた。
夜、アフマール書記長は再び道師を訪ね、半ば冗談めかして言った。
「あのグルジア人は、もうワインは飲めんでしょうな」
道師は、いつものようにシーシャを吸い、紫煙の向こうで、ただ一言だけ返した。
「毒は、まだ用いない」
その声には、誇りも、残酷さもなかった。
あるのはただ、時を知る者の静けさだけだった。
こうして一つの余興は終わり、嵐は再び、遠ざかった。
ドゥドマスタンは、またしても生き延びたのである。
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