文字どおり片腕となって

ハル

 

 キアン様がお生まれになって間もないころから、私はおそばにいた。

 ――当然だ。キアン様は族長のお孫様、私は族長の護衛隊長の息子。

 キアン様は私を兄のように慕ってくださり、私もまたキアン様を弟のように慈しんだ。ともに野山を駆け回り、海や川で泳いだり魚を釣ったりし、たあいないおしゃべりに興じた。


「オーエン、見て見て! つぐみの卵がかえってるよ。何て可愛い雛たちなんだろう」


「ぼく、いま、泳いでたよね? オーエンの手が離れても……」


「昨日の夕食の席でおじいさまがね……」


 新しい発見をされたときや、新しいことができるようになられたとき、ご家族の意外な一面を語られるときのキアン様の笑顔は、春の太陽のようにまぶしくも温かかった。

 キアン様に剣や弓や馬術をお教えしたのも私だ。

 少女のように華奢なキアン様だったが、どんな武術でも呑みこみが早く、やがて同年代の誰よりも速く剣を振るい、自由に馬を駆り、正確に弓を射ることができるようになられた。

 くわえてキアン様は黄金の髪に新緑の瞳をした美少年で、聡明かつ勉強熱心、詩や音楽にも造詣が深く、万人に分け隔てなくお優しかった。

 我々の社会は世襲制ではなく、族長の後継者タニストは話し合いによって選ばれる。だが話し合うまでもなく、キアン様が次期後継者に選ばれるのは明らかだった。

 その話題を持ち出されるとキアン様は決まって、


「私などに務まるだろうか……。むろん、万一……万一選ばれたら全力を尽くすけれども」


 微苦笑して答えられるのだった。我々の文化では特別美徳とされているわけではない謙虚さも、キアン様がお見せになるとこの上ない魅力に映った。


     ***


 十七になられた年、キアン様はじっさいに後継者に選ばれ、族長の仕事を学ばれはじめた。多忙になられたキアン様と私は、挨拶を交わすくらいが精一杯となってしまった。時間を忘れて遊んだり語り合ったりすることのできた日々は過ぎ去りつつあったのだ。

 そんなある日、とびきり美味しい蜂蜜酒ミードが手に入ったから飲まないかと、キアン様は私を私室に誘ってくださった。だが、ご指定の時刻に胸を弾ませて私室の扉を叩いてもお返事がない。心配になった私が無礼を承知で扉を開けると、キアン様は机に突っ伏してすうすうと寝息を立てていらっしゃった。引き寄せられるように近づいていってその顔を見つめる。針金雀児ハリエニシダのとげのように密生した繊細な睫毛、羅馬ローマの彫刻のように整った鼻、血をひとしずく垂らした乳のような頬、ヒースの花の色をした唇――。

 そのとき、私は猛烈な衝動に駆られた。


 キアン様を搔き抱き、その唇を貪り、胸の蕾を指や舌で転がし、股間のものをしごき立てたい。

 双丘のあいだにひそむ窄まりに自分のものを突き入れ、キアン様が息も絶え絶えになられるまで責め立てたい。

 キアン様が快楽と苦痛に喘ぎ、呻き、「やめて」「許して」といった哀願のことばを借りて私を求めるのを聞きたい――。


 知らず知らずキアン様の頬に唇を寄せていた私は、触れる寸前ではっと我に返った。


 私は何を考えているのだ。

 何をしようとしているのだ。

 命に代えてもお守りすべき族長の後継者に、赤子でいらっしゃるときから存じ上げている年少の友人に――。


 だが狼狽する一方、納得と諦観の混じったような気持ちを覚えてもいた。

 もうずいぶんまえから、私はキアン様に獣欲をいだいていたのだ。ただ、それに蓋をして必死に見て見ぬふりをしていただけなのだ。

 私の動揺が伝わったのか、


「う、ん……」


 キアン様は身じろぎしてゆっくりと目を開けられた。清らかな新緑の瞳に、穢れた私の姿が映る。


「ああ、オーエン、すまぬ。みずから呼びつけておいて居眠りしてしまうなんて……」


 目をこすって恥ずかしげに笑われるキアン様に、


「いえ……お疲れでいらっしゃるのでしょう」


 私は辛うじて平静を装ってお答えした。


「みんなの長となる者がこのていどで疲れるなんて、情けないな」


 キアン様は身を起こしてゆるゆるとかぶりを振られ、私の胸には、「みんなの長」ということばが研ぎ澄まされた剣のように突き刺さる。

 その後、キアン様はお約束どおり蜂蜜酒をふるまってくださり、近頃の出来事や族長になってからの目標などを聞かせてくださった。だが、上等な蜂蜜酒も私の舌には水も同然で、明朗なお声で紡がれる希望と機智に富んだお話も、私の耳にはろくに入ってこなかった。


     ***


 三か月ほどのち、キアン様を不幸が襲った。

 大嵐の被害を受けた海辺の村を視察に行かれ、その旅の帰り道、野盗に襲われて右手を切り落とされてしまわれたのだ。

 体に欠損のある者は族長になれぬため、キアン様は甚だ惜しまれながらも後継者の座を下ろされることになった。


「不安もあったが私なりにやりたいこともあったから……やはり残念だな」


 包帯の巻かれた手首を見ながら痛々しい微笑を浮かべられるキアン様に、


「片手を失われようと、後継者でなくなろうと、わたくしはずっと貴方のおそばにおります。貴方を支えつづけます。文字どおり片腕となって……」


 私はありたけの優しさと力強さをこめて申し上げた。


「ありがとう……」


 ふとキアン様は私に向き直り、


「その……幼い頃のように、おまえの胸を貸してくれないか? 少しだけでよいから……」


 林檎のように頬を赤らめて言った。


「貸すだなどと……わたくしの胸はいつでも貴方のものですよ。少しとおっしゃらず、何日でもどうぞ」


 私が左胸を叩いてみせると、キアン様はくすりと笑って私の胸に顔をうずめ、残された左手で私のマントを摑まれた。やがてその肩が震え、哀切極まりない嗚咽の声がもれはじめる。私は無言でキアン様を抱きしめて背中を撫でつづけた。


 善良で無垢なキアン様は、決して気づかれることはないだろう。

 ――私が野盗を金で雇い、キアン様を襲わせたのだということに。

 これで、キアン様は「みんなの長」ではなく「私だけのもの」になってくださる。

 いましがたのことばどおり、私は生涯キアン様を支えつづけよう。――私なくしては生活できぬほどに。私なくしては生きていかれぬように。

 愛するひとに取り返しのつかぬ傷を負わせ、その人生を狂わせたことへの罪悪感に、私は改めて慄然とする。だが、つづいてこみ上げてきた目眩めくるめくような歓喜が、その罪悪感すら搔き消してしまった。


〈了〉

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