株式会社KWSステーションは、殻に閉じ込めています

ともはっと

 私、水科 迅は、株式会社KWSステーションに働く社員だ。この度、課長職として抜擢された部署で、取締役兼任部長のドリーミィな話に屈せずに部署を盛り上げ、晴れて次長へと昇進した。


 そのお祝いということで、取締役兼任部長がサシ飲みに誘ってくれた。そこまではいいのだが、そもそもおっさんに誘われて飲みにいくなんて。それも上司である。毎日のようにいじめかと思うくらいに意味不明な発言で回りを惑わせ、毎日のように外回りという名のコンセプトカフェへ行く部長である。私も行ってみたいもんである。


 そんな部長に誘われてついた飲み屋で、部長は私にこう言った。


「迅くん。君は……殻に戻るべきなんだよ」


 言われてすぐ。

 私の意識は混濁する。


「部長、まさか……このお酒に何か……」

「君が殻に戻るための、儀式だよ。一度君に説明したじゃないか。カワウソの卵と殻について。殻に包まれることがどれだけ素晴らしいことか俺は説明したはずだ。そして、君は殻に包まれる、という認識をもった。それがまず最初の儀式」



 言われた。

 課長になってしばらくして。

 部長が殻はいいと、殻に戻って生まれ変わりたいと。殻を破るには、鋭利で、硬い爪が必要だと力説された。


 でも、あれは夢。

 夢だったはずだ。


「昨日は殻をまとう儀式をさせてもらった。そして君はその儀式の要の箱を開けた。そう。昇進のお祝いで渡したあの箱だ」


 もらった。もらっている。

 昨日、祝いだといって箱を渡された。その時、なぜか肩に白い粉もかけられた。箱に入っていたのは白い粉だった。


「これで儀式も終わりだよ。さあ、それを飲むといい。その酒を飲めば、君は晴れて俺の逃げたペットのカワウソとなる。さあ、殻へと戻るんだ」


 だから。何度も言うが、カワウソは、卵生じゃない。

 だけどそんなことを言ったところでこの人は何も話を聞かない。


 目の前の酒――神酒の中に沈殿していた白い粉が、ゆらりと揺れた。

 まるで呼吸するように膨らんだり縮んだり。それが何かの揺れによって起こされた波が見せた、幻だと思う。だけども、その波は私の脳に一つの言葉を見せた。



 殻。



 殻に戻る。




 殻に閉じこめられる。




 頭の奥で何度も反響する。




 違う。違う。

 私は殻に入りたいわけではない。

 そもそも殻に包まれたいとも思っているわけでもない。







「やっと戻ってきたね。俺のカワウソ……もう、逃げちゃだめだぞ」


 部長の声が遠くなる。まるで私のことを飼っていたペットのカワウソのように言う。

 違う。私はカワウソじゃない。あなたの逃亡したカワウソでは決して……


 ああ、そうか。部長は。

 部長は、脱走したカワウソが死んだといっていた。

 だから、代わりのカワウソを探していたのか。

 その代わりのカワウソが、自分――私。だったということか。


 視界がぐにゃりと歪む。

 白い粉が、まるで私の意識を引きずり込むように、底へ底へと沈んでいく。


 体にまとわりつく粉は私をゆっくりと包んでいく。白い、カルシウムの粉だ。一つ一つが結合し、固まり、私を包んでいく。



 ――ああ、これが。

 これが『殻』なのか。







□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■




 気づけば、私は暗闇の中にいた。

 狭い。

 息が詰まる。


 四方を固い何かに囲まれている。


 殻だ。

 殻の中だ。


 私は、殻に閉じ込められた。

 部長の声が、外側から響く。


「迅くん。殻の中は……静かで、落ち着くだろう? 私も落ち着いたもんだ。だから、ゆっくりと。ゆっくりとでいい。静かに、だけど、その時が来たら、ゆっくりと、殻の中からでてくればいいんだよ」


 落ち着くわけがない。

 息ができない。


 手を伸ばしても、何も掴めない。


 ――……手?


 私は、自分の手を見た。


 指が、震えている。

 爪が、いつもより長く見える。


 いや、違う。

 長くなっている。

 殻を破るための爪。

 部長の言葉が蘇る。


 ――殻を破るには、鋭利で、硬い爪が必要だ。


 やめろ。

 やめてくれ。


 私はカワウソじゃない。

 私は人間だ。

 私は――


















 ――トン、トン。






   ――トン、トン。





         ――トン、トン。



 外側から、私を包む殻を叩く音がした。





 ――トン、トン。




 殻の外側。間違いない。もう一度、叩く音がした。





 このリズム、どこかで聞いたことがある。

 ああ、そうだ。あれは……







「――水科、聞こえるか?」






 男の声。

 ああ、この声は覚えている。

 これは、先輩だ。



 獺野 透うその とおる



 私が上を目指したい。彼のような課長になりたい。彼のような先輩になりたいと思った。思わせてくれた、あの、今は落ちぶれてしまった先輩だ。



 私は震える手を。

 その鋭利で、硬い爪がついた手を殻の内側に押し当てた。


 ばきん。

 ぱきん。

 パキパキパキ――



 私の手が触れた殻が、割れていく。

 ああ、こんなにも簡単に殻は破れたんだ。

 そうか。部長が言っていた。殻に包まれるんはいい、と。だけど、殻を破るには鋭利で、硬い爪が必要だと言っていた。


 そう。私は持っている。

 それを――鋭利で、硬い爪を。今、この手に。







「水科」



 ぱきりと割れた先に見えた光から。


 手が、すっと、差し出された。


 人間の手。

 まるで救いの手かのように。後光を受けながら、その手は私の手を掴んだ。

 私の、鋭利で、硬い爪のついた手をしっかりと掴む。



 温かい、人の手。

 だけど、その手は、どこか湿り気があって、やわらかい毛の感触が混じっている。


「水科。お前は、こんなところで閉じ込められて終わるやつじゃないだろ?」


 先輩が、いつか聞いた、あの頃と同じように。

 優しくも、飄々とした調子の声だ。


「俺みたいに。部長の手によって、カワウソになんてなるんじゃない。そうだろ?」


 先輩の笑う声が聞こえる。いつもと同じ、楽しそうな声だ。


 ああ。そうだ。

 私は、カワウソなんかじゃない。私は――




 ――人間だ。





「それでいい」



 先輩の手が、指と指に水かきのような膜のついたその手に、ぐっと力が込められて、手から手首へと掴む場所が変わると、そのまま一気に引き上げられた。



 ああ。これで。

 この手に掴まっていれば、そのまま引き上げてもらえれば。

 私はまた、人に、戻ることができる。

 殻から掬い上げてくれる。

 殻から救われる。




 その手は。

 私にとって。

 まさに、救いの手であり、希望の手でもあった。
























「先輩……獺野、先輩……」











 気を失っていたのか。

 目をあけるとそこは知らない料亭の裏口だった。


「起きたか。水科」


 獺野先輩が、私の肩を支えている。

 その手は人の手。

 だけど、うっすらと服から見えた腕――袖口から見える腕には、茶色い毛が生えていた。


「先輩……もしかして、あなたは……」

「あのまま殻に閉じ込められてたらお前もこうなってたんだからな? もう部長の夢の世界に引き込まれたりなんかするんじゃないぞ」



 夢。

 夢……?


 夢で、私はカワウソに。実際にカワウソにされそうになっていた? 卵生でもないカワウソの卵なるものに入れられて……?



「先輩……部長から、逃げたんですか……?」


 カワウソが逃げた。

 そう部長は言っていた。

 だけど違う。

 逃げたのは先輩。獺野先輩で。その先輩は……


「逃げたカワウソは、俺だ」


 部長の言っていたカワウソとは、先輩のことだ。


「部長に誘われて行っていた実験で、殻の儀式に閉じ込められて。その後、殻を破って逃げたけど、結局、体はこのザマさ」


 先輩は袖口をめくる。そこにはびっしりと茶色の毛。見間違いではなかった。まるで自分を守る体毛のように、茶色の毛並みがそろう。


「俺は戻れないけど、水科。お前はもう大丈夫だ」

「先輩……」

「お前、もう二日くらい会社休んでることになってるぞ。無断欠勤ってやつだ」


 いやまあ。

 無断欠勤っていうか、毎日のように遅刻してたから、そこまで気にはしてないけども。


「芒野くんが心配してたぞ。だから戻れ」


 静君が? それは大変だ。静君を飲みに誘うって決めてたのに。二日も空けてしまったら静君は一緒に飲みに行ってくれるだろうか。


 そう思っていると、先輩の手が目の前に広がって暗闇を作る。

 真っ暗な目の前。

 そう思った後から、私は記憶がない。











「あら、迅くん。今日は休みじゃないのね」


 会社。

 いつもと変わらない会社に、私は相変わらず遅刻しながら出勤した。


「やあ、静君。君は相変わらず朝から元気だね」

「朝?……いまもう昼よ?」

「そうだっけ?」

「しばらく休んでたけど、体の具合は大丈夫?」

「ん? ああ、なんか普通に風邪ひいてたみたいでね。普通に会社に休むことも伝える忘れてたよ」

「ならいいけど」


 そう言われてごまかしたけど、変だな。

 私、休んでたっけ?

 普通に出勤してたと思うんだけどなぁ。

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