第6話 ・・・幕開け
四月の朝は涼しいと言うよりは肌寒い。
薄らと日が登り、住宅街が静かに青白く照らされる中、目を覚ました住宅たちは朝の静寂を崩さぬよう、ひっそりと支度を進めている。
そんな夜とはまた違う静けさを五感で感じながら、俺は足を動かす。
早朝の人気のない道を、俺は呼吸を速めながら、長袖のジャージを着て走っていた。
俺は、主に精神面の健康のため、週に三回の朝のランニングを自身に義務付けている。
この日課により、
それでも、意味はあったと思っている。
適度な疲労が生活リズムを整え、程よく健康的な体型を維持してくれている。
何より、お陰様で、こうして登校前に約五キロ走っても、高校生活に支障がないくらいの体力は付いた。日々、練習に励む運動部に勝るとまでは言わずとも、帰宅部の割にはある体力と筋力は、俺のちょっとした誇りだったりする。
単純に、時間の経過が大きいのかもしれないが、緩やかに、悪夢を見る頻度も落ちていたわけだし、やはり、意味はあったと思う。
「……悪夢、か」
髪を伝い、滴る汗をタオルで拭いながら、呟く。
そう。時間経過と地道な努力により薄れたはずの悪夢は、昨日、明確な形を持って、俺の目の前に現れた。
悪夢は俺の記憶から飛び出し、現実を侵食し始めている。
「って、違う。そうじゃないだろ」
姉貴に言われた言葉を思い出す。
そうだ。これは俺の捉え方次第で、ラブコメにも、ホラーにも化ける。
「認めたくないが、姉貴の言う通り。ポジティブに捉えることも出来るんだ」
自分に言い聞かせるよう呟いていると、背後から足音が聞こえた。
「なんだ、今日は妙に独り言が多いじゃないか」
「姉貴……起きてるなんて珍しい」
「安心しろ、これから寝るところだ。昨日は友人と遅くまでゲームをしててな」
そう言いながら、姉貴は眠たそうに欠伸をする。
「それで? 廻間茜のことでも考えてたのかな?」
俺の独り言を聞いてか、表情から察してかは知らないが、その通りである。
「当たり前だろ……」
学校には廻間茜がいる。そう考えるだけで、心が騒ぐ。
九年もの間、体を蝕んだ悪夢は、俺の心身に深く根付いている。分かってはいたが、一晩経ったくらいで慣れるようなものじゃない。
拭えぬ不安に俯く俺に、姉貴は語りかける。
「大丈夫さ。向こうだって、小学一年生とか、もっと昔の事を明確に記憶してるなんて期待してないだろうし。また一から、仲を深めるくらいでいいと思うぞ? ってか、もう十年近く前の幼馴染に、そこまで固執するのもどうかと思うし」
「……確かに、そうだな」
別れるに至った事情が事情な故に、そして廻間が美人過ぎるが故に、全く考えもしなかったが、もし仮にこれが逆だったなら?
幼馴染として、再び関わろうとする気を感じない廻間茜に、俺が半ば強引に幼馴染として迫る構図だったら?
……うん、通報ものだな。
最悪、警察のお世話になる可能性まで見える。
俺は俺で、過剰に彼女を意識している側面はあるだろう。必要以上に警戒しているのかもしれない。
しかし、向こうも向こうでそれなりにおかしな行動をしているのも、また確かだ。そう思うと、不安は少しだけ軽くなった。
ほんの少し気分が、顔色が明るくなった俺を見て、姉貴はにやりと笑う。
また、良いように乗せられた。
くそっ……本当に、何処までも頼もしく、憎い姉貴だ。
悔しさと有り難さを抱えたまま、シャワーを浴び、制服に着替え、俺は高校へと向かう。
◇
教室に入ると、既にそれなりの人数が登校していた。
そして教室の端には彼女が、廻間茜がいた。
軽く目を擦るが、その姿が消える事はない。
ここは、間違いなく現実だ。悪夢の中じゃない。
流石に、動揺はなかった。それでも、今なお、彼女の姿を見るだけで鼓動が高鳴る。
もしかして、これが……恋?
「…………」
な訳ないな。ただ、トラウマを刺激され、体が無意識に反応しているに過ぎない。ポジティブに考える、そんな姉貴のアドバイスを実行しようとしたが、柄にもないことはするべきじゃなさそうだ。
震えを気合で抑え込み、一歩、一歩と自席へと向かう。これ程に足の重い登校は、生まれて初めてだった。
廻間茜の周囲には昨日同様、芦崎と池田の姿があり、何やら楽し気に話し込んでいる様子だった。
昨日から随分と仲が深まったことが、その距離感と雰囲気から、一目見るだけでも分かる。
彼女らは、俺に気がつくと座りやすいよう、少し捌けてくれた。
しかし、それは一瞬の出来事。当然ながら、俺に視線が、意識が留まることはない。
とっくに、彼女らの視線は廻間へと向いている。
周りの視線だって、俺なんて捉えちゃいない。
それでも気を緩めることなく、なるべく音を出さぬよう、静かに椅子を引く。
そして、緊張に負けることなく、見事な着席を決め、流れるように、いつもの防御の構えへ移行する……寸前で、背後から声がかかった。
「
廻間茜の明るくも、透き通るような声が、教室に響いた。
刹那、教室内のほぼ全ての視線が、俺へと突き刺さる。
「っ……」
流石にこれを聴こえないふりは無理がある。そう、一瞬で理解し、俺は伏せようとした頭を止める。
廻間茜はその美貌で、転校二日目にして、学年で一位二位を争う美人として注目され、既にクラスの垣根を超えて噂になっていた。しかも、廻間は接しやすい、明るくフレンドリーな性格だ。
そこに、校内一のイケメンである池田の助力も相まって、廻間は既に多くのクラスメイトとの接点を得ていた。そうでなくともあの美貌だ。
廻間は今現在、この高校一の注目の的と言っても過言じゃない。
そして、常に注目の的であったが故に、昨日の時点で俺と廻間に接点がないことは、クラスの大半が何となく分かっていた。
さて。そんなクラスメイトは果たして、今、どのように思い、何を考え、視線を向けているのだろうか。
何せ、名前呼びだからな。
苗字ならまだしも、名前で、しかもあんなに親しげに語りかけられれば、他人じゃないことくらいは誰の目にも明らかである。
視線が、疑念が突き刺さる中、自分でも信じられないほどの速度で、思考が行われる。
俺は止めどなく湧き出る緊張感を胸の奥に押し込めながら、自然体を意識し振り返る。
「お、おはよう」
たったそれだけの、会話とも言えないようなやり取りは、しかし、クラスメイトの目には異様に映った。
特に、昨日同様、廻間の近くにいた芦崎は驚き、その大きな瞳をまんまるくしている。
「えっ、二人って知り合いなの!?」
廻間と比較的距離の近い芦崎が驚き、疑問を抱く気持ちは十分に理解できた。
ただの挨拶ならば、まだ、分かる。廻間は明るい印象だろうし、前の席の生徒に挨拶をするくらい、普通に見えるだろう。
問題はやはり、名前呼び。昨日、会話を聞いていたから分かるが、廻間は初対面の相手を、名前呼びするタイプではない。
名前呼びは親しい間柄である証。そのくせ俺と廻間は、昨日教室では一切言葉をかわしていない。それが、疑問をより色濃くしている。
「えーと、まぁ……」
「うん、
言葉を濁す俺に対し、芦崎は包み隠さず、明るく言葉を返す。
「えっ、そうなの!?」
言葉にはしないが、芦崎だけでなく、池田もまた驚いた顔をしていた。
「って言っても九年ぶりなんだけどね。実際、朝陽は私の事、少ししか覚えてなかったみたいだし」
「あはは……その件はごめ」
「でもさ、昨日は確証がないからって、普通に帰ろうとしたんだよ? 何なら、更に一回惚けたし。それはちょっと酷いと思わない?」
やりやがったな、と思った。
芦崎や池田に同情を求める仕草は、台詞だけを見れば鬱陶しく聞こえるはずなのに、何故か可愛げで。不快感のようなものは、これっぽっちも沸いては来ない。
まさしく、神業であった。
「えーと? 九年前ってことは、小一かぁ……。確かに、しっかりと覚えてる自信ないかもだけど。でもまぁ、逃げるっていうのはさすがに」
「だよね! 私、ちょっとショックだったもん!」
「それは本当にすまない」
どうして俺が謝る必要があるのか、納得のいかない部分はある。
普通、あんな別れ方をしたのなら、俺の言動こそ妥当だろう。俺じゃなかろうと、あの別れ際は忘れられないトラウマになるはずだ。むしろ、これで平然と『久しぶりだね!』と返す方が、よっぽど頭がおかしいだろう。
――どう言うことだ?
ここまで認識の差があると、己の記憶を疑いさえしてしまう。
「そうそう、それでね。昨日のことは、今日の帰りに飲み物おごってくれるってことで示談したんだんだよね」
「そう、だな」
今日の帰り、とは初耳だが、約束したのは確かであるため、否定の言葉はない。
「なるほど。昨日の野暮用とやらはそれか。急に教室を飛び出した時はびっくりしたよ」
「朝陽って、意外とやるんだね。クラスメイトから色々な部の見学の誘いを受ける中、そんな約束を取り付けるなんて」
芦崎が俺を名前呼びなのは、恐らく俺の苗字を知らないからだろう。一方の名前なら、さっき廻間が読んだばかりだし。
慣れない名前呼びに、むず痒さを感じながら、俺は事態を無難に治める術を模索する。
「俺としては忙しいようなら今日じゃなくてもいいんだが」
九年前の記憶を有する廻間に対し、当時の廻間の顔しか思い出せていない俺じゃ、どう頑張っても会話や温度感に差が生じてしまう。
姉貴の言葉が過る。きっと、逃げるべきではないんだろう。
理解はしている。理屈としては納得している。
しかし、今日はちょっとその気分じゃなかった。俺にはまだ、廻間茜と対峙する心構えが出来ていない。もう少しだけ、整理する時間が欲しい。
「うーん……なら、一日毎に一杯追加で」
「随分と悪質な利息だな」
「それが嫌なら、今日奢ることだね」
悪質な取り立てだが、悔しいことに従う他なかった。
一応、こうなるに至った原因はこちらにあるわけだし、何より、もし仮に廻間茜が、昨日の出来事を都合よく切り取り、吹聴したらどうなろうか。悲しいことに俺のクラス内のカーストは間違いなく転校生・廻間茜の下である。
つまり、そう言うことである。
「なら、私も一緒に行きたい! ちょうど暇してたんだよね!」
「おい、夏希……」
池田は俺と廻間を見て、申し訳なさそな表情を浮かべる。九年ぶりの再会、積もる話もあるだろうし、部外者が邪魔しちゃいけない的なことを考えているのだろう。流石は校内一のイケメン。気遣い満点である。
しかし残念ながら、未だ記憶の大部分を悪夢で、トラウマで蓋される俺に、積もる話はない。
聞きたいことはあるにはあるが、ストレートに聞く気はなかった。何せあの大事故だ。俺同様、何らかのトラウマを抱えていて、必死に思い出さないよう、努力している可能性もある。大きなショックで、忘れている可能性だってある。
実際、廻間は久しぶりとは言う割に、別れ際に関する話を、一切持ち出しては来ない。あれほどの大事に、一切触れない。
悪夢に魘される辛さも、トラウマに苦しめられる地獄も、俺は痛いほど知っている。
だからこそ、地雷を踏むような可能性のある問いは、尚更出来なかった。
「ねぇ、ダメ?」
芦崎の問いに、廻間はにっこりと微笑む。
「勿論いいよ! 断る理由なんかないしね。凪沙も、気を遣ってくれてありがと」
「そうか……ならいいんだが、結城はいいのか?」
「まぁ、いいんじゃないか?」
俺としても、断る理由はない。むしろ、二人きりになるよりは、有り難く感じているくらいだ。
「そうだ、凪沙も来る?」
廻間にそう誘われるも、池田は残念そうな表情を浮かべながら、首を横に振った。
「すまない。私は、今日も部活があるから。今年の大会もレギュラーで出るし、サボるわけにはいかなくて」
「流石、時期部長。真面目だねぇ」
「時期部長、ね……正直、興味ないんだけどな」
池田はそう言い、苦笑いを浮かべる。
何だろう。俺は以前にも、この表情を見た気がする。池田との接点なんて、今日この日まで無いに等しいはずだが……。
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可愛すぎる転校生は、亡くなったはずの幼馴染だった・・・ 水月 穹 @suigetu17
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