第3話 幽霊でも見たような顔して、

 転校生の紹介は僅か一分にも満たない、二言三言話す程度の本当に簡潔なものだった。

 しかし、その僅かな時間が、俺には途方もなく長く感じ、既に体力と気力は底を尽きかけている。

 今朝は日課のランニングを控えたと言うのに、新学期早々、激しい疲労が心身に圧し掛かる。

 それでもなんとか体育館での始業式を終え、重たい体を引きずるように教室に戻った後、俺は何の打算も思惑もなく、疲労困憊故に机に突っ伏していた。

 

 くそっ、校長め……相変わらず、無意味に長い話をしやがって。

 今日の校長の顔は、いつにもなく腹立たしく映った。

 普段ならば、絶対に湧いてこないような苛立ちが、ふつふつと湧き出て、溢れてくる。疲労と余裕のなさが原因であることは明白だ。


「はぁ……」


 頭が、と言うか、全身が重い。

 高校のテスト期間より、日課の数キロのランニングより、遥かに疲弊している。

 もう、顔を上げることさえ億劫だ。


 ああ、いっそこのまま机の木目と同化してしまいたい。稀にみる、人の顔を連想させる木目……アレになりたい。

 そんな風に、俺が満身創痍で死に掛けている背後では、楽しげな会話が繰り広げられていた。


廻間はざまさんはどこか部活に入る予定あるのかな? 前の高校でやってた部活とか……」


 耳が恋に落ちそうなほどに格好良い低音ボイスでそう問いかけるのは、去年同じクラスだった、バレー部所属の池田だ。良い意味であまりにも印象的な生徒なため、声だけで誰なのかピンときた。


 池田いけだ凪沙なぎさ

 校内一の美女は誰? と問われれば、何人か候補者が上がる。個々人で、美や可愛さに対する感覚は違うし、好みもある。だから、美しさ、可愛さで明確な一位を決めることは、殆ど不可能に近い。

 しかし、校内一イケメンな女子は誰? と問われれば、学年と言う垣根を超えて、池田凪沙が一位に君臨する。容姿、スペック、声、性格、立ち振る舞い……それら全てが、他の生徒とは群を抜いて極まっているからだ。

 もし仮に、そのどれか一つだけだったのならば順位は時と場合で覆るだろうが、池田はイケメンに必須の要素を全てを兼ね備えている。男子でさえ、多くは彼女の足元にも及ばない。

 俺もその、及ばない男子生徒の一人である。


 短い黒髪に、百七十を超える引き締まった長身、圧倒的イケメンな容姿に加え、男子に勝る身体能力。

 体育祭では一際目立っていたし、行事ごとでは必ずクラスの中心的な存在だった。 

 しかも、本人が出しゃばるわけではなく、自然に立ち振る舞った結果、勝手にそう言う流れになるのだから凄いとしか言いようがない。

 だから交流のない俺でさえ、その声を聞いただけで、声の持ち主が池田であると分かったのだ。


「部活かぁ……うーん、前の高校じゃ何処にも入ってなかったし、今の所は何処かに所属するつもりはないかな。バタバタしてて、考える間がなかったっていうのもあるけど」


 転校早々、校内一のイケメン女子に声を掛けられるとは……流石は廻間茜だと思うし、妥当だとも思えた。


 始業式の際、学年問わず、多くの生徒が廻間茜の姿を目にした。その結果、二年生を中心に、既に廻間茜は美人過ぎる転校生として、話題になりつつあった。


 だから、そう……そんな話題の転校生・廻間茜が俺のような、陰キャ男子校生の幼馴染であるはずがない。あるわけがないのだ。

 いや、むしろ九年前の噂から推測するなら、幼馴染である可能性が高まった捉えるのが正しい気もするが、きっと気のせいだろう。


「廻間さんって、もしかして運動は苦手?」


「うーん、得意か苦手かなら、得意よりかな。一応、ジムにも通ってたし、運動テストみたいなやつだと、どれも平均より上ではあったし。どっちかって言うと外で遊ぶ方が好きなタイプだしね!」


 亡くなった幼馴染……廻間茜も、噂によると運動が得意だったと聞く。

 概ね、彼女の言動は俺の知る幼馴染の情報と合致する。

 そう気が付いてしまった瞬間、疲労に塗れながらも、心臓は元気よく、力強く跳ね上がった。


「なら、うちの部活、見学だけでもしてみない? 私、バレー部所属でさ。今日早速、この後で部活があるんだけどさ」


「うーんと、今日は……」


 池田の提案を受け、廻間茜は悩み、答えを迷っていると、また別の高く明るい声が割って会話に入ってくる。


「ねぇ、廻間さんって、芸能人か何かだったりする?」


「おい、夏希なつき!」


 池田の発したその名前を聞き、その高い声の主に思い当たる。

 フルネームは確か、芦崎あしざき夏希なつきだったっけか。

 去年、俺とは違うクラスだったものの、何時も池田と一緒で、とても親し気な様子だったため、薄らとだが記憶に残っていた。

 バレーに青春を捧げる池田とは別タイプで、所謂、ギャルと言う表現の似合う、女子高生。

 地毛である明るめの茶髪の長髪が特徴的で、平均よりやや低い背丈なのだが、池田の隣にいるせいで、かなり低く、そして幼く見えることをいつも嘆いている。

 それこそ、常日頃から嘆きすぎて、面識のない俺でさえ知っている程に。

 実際、彼女単体で見るとそこまで低くは感じなかったため、言いがかりというわけではないのだろう。


「んでんで、結局どうな訳? やっぱ芸能人? あるいは、インフルエンサーだったり?」


「ううん、私は平凡な一般人だよ。テレビもSNSも見るだけだし!」


 どれだけグイグイと来られようと、廻間は変わらぬ明るさで返す。


「そうなんだぁ。廻間さん、めちゃ可愛いしさ、なんとなーく、この後予定があるみたいだし。さてはそう言うことか!?って、ビビって来たんだけど……私の推理は外れかぁ」


「夏希、それは推理じゃなくてただの勘だ。転校生ともなれば、色々用事もあるだろう?」


 池田の格好良い呆れ声のツッコミに、芦崎は「確かに……」と唸るように言う。


「すまない。話を戻すが、今日は難しいかな?」


「ううん、大丈夫だよ! でも、入部とかに関しては、あんまり期待はしないで貰えると助かるかな。別に、バレーに興味がないとかじゃないんだけどさ……」


「それは勿論、分かってる。二年からともなると、未経験で入部は厳しいだろうからね。それに、実を言うと入部云々は二の次で、仲を深めるキッカケにでもなれば、と言うのが本心だ」


 池田自身が、強豪で有名なバレー部員だからこそ、そのくらいは理解しており、本気で、熱意を持って勧誘しているわけじゃなかった。

 ある程度、断られることは承知の提案。


「ふむふむ、なるほどね。部活動見学そのものが、色々な人と仲を深める良い機会になるし、池田さんが率先して誘うことで、他の人も勧誘しやすくなる、って感じ?」


 流石は、根っからのイケメンだ。よく人の気持ちを理解している。

 クラスメイトにとって、既に廻間茜は遠い存在になってしまいつつある。男子連中は下手に話しかけて、下心があるとも思われたくないだろうし、同じ女子でも、どう話しかけるか、中々難しいところだろう。

 誰だって悪目立ちはしたくない。

 だから、部活勧誘は当然困難だし、一番初めに声をかけるハードルは高過ぎる。


 池田はイケメン、王子様と評されるものの、どちらかというと誰とでも親しげな生徒である。そんな池田が話しかければ、乗っかりやすい生徒はこの教室にも少なからず居るだろう。何より、池田ならば悪目立ちもしにくい。


「池田さん、ありがとね。本当に助かるよ! 何気に、不安だったから。転校先のクラスでぼっちになったらどうしようって……」


「えっ、マジで? 廻間さんならそんなことないと思うけど? ほら、狙ってる男子とか、めっちゃ居そうだし」


 芦崎の言葉を聞き、数名の男子の肩がびくりと震えた。


「そう? 誰も話しかけてくれないから、てっきり、嫌われているのかと」


 廻間の悲しさを抱擁した声色が、大勢のクラスメイトの……悪目立ちしたくない、下心があると思われたくないと言うストッパーを、一気に緩める。そして、ストッパーが外れる者が、チャンスを感じる者が現れる。

 決意を固め、話しかけようと意気込む一部男子は……しかし、始業のチャイムによって阻まれてしまう。


「もう時間か。それじゃ、また放課後ね」


「廻間さん、またねぇ」


 そうして、短い休み時間が終わる。

 廻間茜と女子二人の話に耳を傾けていたせいで、気が休まった感じがしない。

 くそっ……ほぼ無意識に、俺の全神経が彼女へと向き、勝手に会話を拾い上げる。

俺の体のはずなのに、俺の意思など聞いてはくれない。


「はぁ……」


 おかしなことに、休み時間を経て、俺の心身はより憔悴していた。

 俺は前にも増して重くなった頭を、残された僅かな気力を振り絞り、持ち上げるのだった。



 新学期初日は授業がなく、昼前には帰りのホームルームが始まる。

 和泉先生は、相変わらずの気だるげな様子で、さっさとホームルームを終わらせると、深いため息を吐いた。

 俺もまた、ため息をこぼした。


 ああ、やっとだ。

 長い一日から解放される。

 そう思うだけで、心が軽くなり、気力が回復する。

 

 そらから直ぐに、転校生・廻間茜の周囲には数名の女子生徒が集まった。池田の行動には意味があったらしく、多くの女子生徒が自分の部活も見学するよう誘っていた。

 一方の男子生徒は相変わらず、遠目から機会を疑っている。

 まぁ、これほど多くの女子に囲まれれば、もう付け入る隙はないだろう。


 さて。すぐ後ろの席が騒がしいのは普段ならば、喜ぶべき状況ではない。しかし、今回に限っては好都合である。


 廻間茜が、俺の幼馴染か、或いは奇跡的な、それこそ天文学的確率の元に生まれた、全くの別人かは不明だが、あれだけの数の人に囲まれ、会話の中心に置かれれば、抜け出すことは容易ではあるまい。

 この教室から逃げるなら、今だ。

 日課である早朝のランニングの甲斐もあり、俺は逃げ足には自信がある。


 よし。

 俺は静かに席を立ち、カバンを肩にかける。

 そして、ゆっくりと、自然体であることを意識しながら、気配を消し、教室を後にした。

 教室から離れると、体が更に軽くなるのが分かった。


「ふぅ……」


 様々な感情の籠った、重苦しいため息が溢れる。

 さて。後は帰るだけだ。

 まだ、他のクラスはホームルームが終わっていないのか、廊下には人影がない。


「あの先生雑、だからな」


 他の教室の担任が、しっかり何かを告げているのを見ると、心なしか不安になる。

 何か、伝えるべきを伝えていないのではないだろうかと。

 しかし、今の俺に、そこに思考を、感情を割く余裕はない。

 俺は逃げるように、廊下を歩く。走ると目立つので、あくまでも早足で。音を立てない範囲で、最大の速度を出す。

 静かに廊下を抜け、階段を下る。


 あと少し。

 あと少しで、


「ねぇ、なんで逃げるの?」


 教室で聞いた声が、俺を呼び止めた。

 途端に、階段を転げ落ちかねないほど、激しく、心臓が跳ね上がった。

 俺は階段を下る足を止め、恐る恐る後ろを振り向いた。


 ……どうして。

 そこに居たのは、転校生……廻間茜だった。

 階段上から見下される形で、俺は廻間と向かい合う。

 廻間の肩は大きく上下しており、息は少し荒かった。

 急足の俺を追うため、廊下を走ってきたのだろう。目立たぬようにと廊下を走れなかった己の弱さを悔やみながら、逃げの言葉を探す。


「えーと、逃げるって何のこと?」


 咄嗟の惚けに、廻間は不服そうに眉を顰める。


「どうして、転校してきた幼馴染を前にして、声をかけることもなく、足早に帰ろうとしてるのかって聞いてるの」


「……幼馴染」


 無意識に、廻間茜の放った単語を繰り返してしまう。

 目の前の廻間茜が、俺の知る廻間茜と良く似た他人か、或いは俺の知る廻間茜本人か。

 その二択の答えをハッキリさせる単語だった。今、最も聞きたくなかった単語だった。

 聞かずに帰りたかった。

 混乱に陥った脳は、必死の思考を阻害し、次第に歯切れが悪くなってしまう。


「いや、その……」


 信じられない。理解できない。

 まさか、本当に、目の前の彼女は俺の幼馴染、廻間茜だというのだろうか?


「どうしたの? そんな幽霊でも見るような顔しちゃって。そう言えば、私が教室に入った時も、そんな顔してたよね」


 その通り過ぎる、比喩だった。


「それは……」


 言えない。

 言葉の通り……幽霊を見たからだよ、なんて思っていても言えるはずがない。

 素直に心中を語ることも出来ず、とは言え、困惑する頭じゃ気の利いた言い訳も思いつかない。困り、黙っている間に、俺に言い訳の手札は無しと判断した廻間が話を再開する。


「ねぇ、私、結構ショックだったんだよ? 九年ぶりだからさ、最悪、忘れられてるかもって覚悟はしてた。勿論、それも悲しいけど、そこはまぁ、仕方ないって割り切るしかないしね。それならそれで、絶対に思い出させてやろう!って決めてたけど」


 廻間は階段をコツコツと優雅に降りながら、俺との距離を詰める。

 手を伸ばせば触れられる程の距離まで、降りてくる。


「でもさ、覚えていたのに避けられるとは思ってなかったなぁ」


 廻間茜はチクチクと俺を刺すように、言葉を浴びせ続ける。


「それは、ごめん」


 返す言葉は見つからない。

 ただ、謝罪するくらいしか、俺には出来なかった。

 記憶という手札が、例の幼馴染の最期くらいしか無い俺は、廻間へと返す言葉がなく。

 よって、彼女の有利に会話は展開してゆく。

 廻間は怒りの表情から一変、何処か嬉しげな様子に変わっていく。


「分かった。今回は許してあげるわ。でも、そのお詫びに今度帰りに飲み物奢って」


 奢りはあくまでの口実。あえて帰りと指定してきたし、そっちが本命なのだろう。

 逃す気はないと言う気概が、言動の節々から伝わってくる。


「……あ、ああ、分かった」


 思考を加速させるも、逃げ筋は見えなかった。

 俺の返答に、廻間茜は満足気に笑う。


「よし! それじゃ、私、今日はクラスの子との約束で、部活動見学する事になってるから、もう行くね。また明日」


「ああ……」


 また明日、か。

 軽快な足取りで階段を登る廻間の背中を見送った後も、しばらくはその場に立ち尽くしていた。

 俺は今、どこに立っているのだろうか。

 悪夢と現実の間の、どこに足が着いているのか。

 普通に考えれば、俺は今現実にいる。そのはずなのに、再び確信が揺らぐ。夢の中にいる気がして。目が覚めれば、それだけで今にもあの、灰色に戻れる気がするのだ。

 しかし、いくら待てども、目が覚める事はない。

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