第一章
彼はまだ知らない
「なんだ、あれ」
雨が降る森の中、
目線の先には、木々の隙間から僅かな月明かりがこぼれている一角に、ぽつんと佇む白髪の少女。
絹糸のような髪はすねに届きそうなほど長く、内側は少し青みを帯び、右目が
普段なら、どのような存在がいても視線をそらし、その場を立ち去るのだが。
今回は、何故か目が離せなかった。
少女は、雨の中にいるが、濡れている様子はない。ただ、静かに空を見上げ眺めている。
立ち姿はとても美しく、見入ってしまいそうになるが、纏う空気は完全に異質そのもの、遠くにいるのに言葉にならない恐怖感すら感じる。まるでスノードロップを見ているように。
(
どのように見ても、考えても結論は出ない。それでもせめて情報を持ち帰ろうと、木の陰から遠目でしっかりと少女を見ていた。見失わないように、何かあってもすぐに逃げられるように......。
ーーだが、今思えばそれは悪手だったのかもしれない。
律の目に雨の水滴が入り、瞬きをした瞬間には少女の姿は消えていたのだから。
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「先ほどから私を見ているようですが、何かございましたか?」
少女の声が聞こえた。
美しい音色のような声だった。もし学生時代に言われていたら言葉がつまり、一瞬で心拍数が急上昇すること間違いないだろう。
だが、今の律はそれとは別の意味で言葉を失い、心臓がはち切れんばかりに脈打っていた。
普段はこのように動揺することも無く、冷静に対処できていただろう。
しかし目の前の光景は、先ほどの声が聞こえた瞬間に雨粒がその場で止まり、辺りの木々も地面も、空ですら。遥か彼方の星々がまるで、その場にあるように青白く塗装され、辺りの空気ですらその声に呼応するように不自然な静けさに包まれている。
一周回って夢と言われた方が信じられる。そんなありえなくも、美しい景色に律は言葉を失っていたのだ。
脳は見ている物すべてを否定しようとするが、目から入る情報は容赦なくそれを事実と突きつけてくる。荒れ狂う濁流の中取り残されるように、無力感を必要以上に押し付けられるように......。
しかし、いつまでも呆然としているわけにはいかないだろう。律は重い空気の中、かろうじて残っている理性をかき集め、声の主を探し始める。
当然だが、正面には何も居ない。つまるところ背後にいるようなのだが、そのまま振り向けばその時点で死ぬと本能が叫んでいた。そのため身をひるがえして直接確認することは出来ない。
どうしたものかと律は考えたすえ、雨粒に反射した声の主を見ようと、静かに水滴を見つめ確認する。だが最初に目についた物は、髪がうっすらとしか見えなかった。
(別の雨粒を見た方が早そうだな......)
律は別の水滴を探し、やがて声の主の全身が映っている一滴を見つける。そしてそれは、確実で、一番恐れていた答えを教えてくれた。
(......勘弁してくれ)
映っていたのは、長い白髪に赤い瞳と青い瞳を持った。先ほどの少女だった。
全く察知できなかったと思わず心の中で愚痴をこぼすが、一番の問題はそこではない。こんな大層なことをして音もなく背後を取る点だ。とても友好的な対応とはいえない。見ていた弁明をしろということだろうか。それとも、もうあきらめて死を受け入れろということだろうか。
息を飲みつつ、どちらだろうかと考えた結果、律はダメもとで弁明をすることにした。
「いや、なに、人影があったから警戒していただけだ」
当然だろう?と取り繕う。多少雑でも、この状況を乗り越えられるのならば御の字だろう。それに実際に警戒していたのは事実なのだ、真偽がわかる者でもこれなら問題ないだろう。
律は少女の様子を雨粒越しに伺う、すると彼女は律の手に視線を落としていた。
「......そうですか。わざわざ背後に回る必要はなかったようですね」
少女はゆっくり律を見ながら正面へ移動する。
どうやら第一関門は通り抜けたようだ。しかし安心はできない。雨は依然、空中に浮いており状況は何も変わっていないと、空気が律に言い聞かせていたのだから。
少女が律の周りをゆっくりと回る。しかし途中「ん......?」と、何かに気づいたのか急に眼前まで近づいてきて、じっと目を見てきた。
外見はとても整っており、男性であったならば確実に頬を染めるか、呆けていたであろう。だが、現在見られている律は、少女の気まぐれ一つで文字通り首が飛ぶようにしか映っておらず、とてもじゃないがそのような気分はおきようがない。
「なにか?」
「君、私の髪何色に見えてます?」
「白色だな」
「......そうですか」
せめて、空気を変えたいがために投げた言葉であったのだが、意外と効果はあったらしい。こちらの回答に少女は意外そうな表情を一瞬ではあるが見せてくれたのだから。
少女は律から少し距離をとり、目を細める。
「君は、人類ですよね?」
「見ての通りだが?」
「何故こんなところにいるのです?辺境も辺境でしょう、ここ?」
「確かに辺境ではあるが、近くに住処があるものでな。普段は仕事上首都にいるが、落ち着ける場所も必要だろう?」
少女は「なるほど......」と言いながらさらに一歩引き、そこでようやく警戒を緩めたようだ。
空中に止まっていた雨も、青白い景色も消え、本来の雨が降る静かな森に戻っていったのだから。
その周囲の変化に律はそっと胸をなでおろす。
(どうやら正解を拾ったようだ)
割と死を覚悟していたのだが、今しばらくバルハラへの道は遠いらしい。もしくはまだ来るなと奴が引き留めてくれたのだろうか......。
まぁひとまずはいい、それよりも先ほどの少女が行っていた空間への干渉、あれにはかなり驚かされた。おそらく神霊種、それも上位に近いものなのだろう。そうでなければ、これほどの影響力はなかなか出せるものではない。
律は安堵が混じったため息を着きつつ、視線を少女に向ける。
「人類以外と話すのは、とても久しぶりだ」
「そうなのですか?」
「あぁ。立場上話すことはあるが、二年に一度程度だし、好んで話したいとも俺は思わないからな」
「そうですか」
......少女に非常に淡白なようだ。先ほどの意外そうな顔以外、少女の表情は無。機械とまでは行かないが、表情筋がほとんど動いていない。会話自体に興味が無いのだろうか。
「そっちはどうなんだ?」
「人類と話すのは滅多にありませんね」
「......興味本位で聞くが、どれくらい?」
「そうですね......ざっと六万年ぶりと言ったところでしょうか?」
「それは......どれくらいなんだ?」
「そうですね、人類で言うと3日ぶりと言った感じでしょうか?」
「なるほど......」
分かりやすいが、分からない。
人類にも理解しやすくしているのであろうが、圧倒的に規模感が離れている。もう少しこう、何か別の物で例えてほしいものだが......。彼女の表情からして、それは高望みなのだろう。
「そもそも人間はすぐに死んでしまいますので、あまり話そうとは思えないのですよ」
その一言が、先ほどの表情が動かない大きな理由なのだろう。すぐに死ぬと分かっていれば早々に興味がなくなるのは理解に容易い。
長命種ゆえの特異な悩みとも受け取れる。人類たる自分は永遠に分かることはない悩みだとは思うが、育てていた部下が自分より早く旅立ってしまう。そんな感覚に近いのだろうか......。
それならなんとなく理解ができる気がする。
□ ◇ □ ◇ □
しばらくの静寂がその場を包み込んでいた。律も少女も話すことは無く、静かに森を眺めていたのだが、ふと僅かな月明かりを見た律はこの場所に長いこと留まっていたことに気づく。
「そろそろ行くわ。いい加減帰らないと風邪ひくし」
「そうですか」
「また会ったら話そうか」
「そうですね。機会があれば」
少女は、最後まで素っ気ない口調で律に返事をする。
ここまで素っ気ないと少し傷ついてしまうが、彼女にとって人類の寿命はおそらくまばたき程度。今、話していた時間はそれよりも短いのだ、当然の対応ではある。普通の会話を期待するだけ無駄だろう。
律は少女に背を向け、自宅に帰り始めようと数歩、歩いたところ、そういえば彼女は何故、ここに居たのだ?と思い再度振り返る。
「なぁ......ん?」
しかし少女の姿はもうなかった。少女がいた場所に残っていたのは、静かな森と雨の音だけ。最初から何も居なかったように......。世界がそう囁いているように。
「何だったんだ...」
気配もいつの間にか消え、痕跡もない。律にはまるで、狐につままれたような空虚感だけが残る。
(......まぁいいか)
神霊種とは人類の常識の外の存在だ、確かにこれくらいはできるだろう。だがあれだけ取っ掛かりがないのも、初めてだ。上位の神霊種とはこんなに気まぐれな存在なのだろうか......。何とも不思議である。
「もし、次があれば、認識できるようにはしたいものだな」
数億年後の君へ 櫛名 @kusina_
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