第3話

 伊加田さんはロータリーの少しだけ高くなっている場所にパイプ椅子を設置して、そこに座って目を閉じたままギターを弾いていた。


 その表情はとても穏やかで、教室で見る伊加田さんとは違う空気と音を纏わせていた。


「静かで……綺麗な音」


 気付けば、思った事をそのまま口に出していた。


 曲って、こんな音もあるんだ。一つの楽器と一つの声だけで、届くんだ。


 伊加田さんの歌声はとても澄んでいて、優しい春風のようだ。感情の音も慈愛と希求、高揚で満ちていて、聴いているだけで心が軽くなる。


 残念なことに、たった二つの音でさえも、私の耳には個々として聴こえてしまったが、それでも両方の音それぞれに私は聴き惚れていた。


 伊加田さんの演奏に、足を止める人は少ない。歩きながら一瞬顔だけ向けて、すぐに駅の中に入る人がほとんどだ。それでも、伊加田さんの音が落ち込むことはなかった。


 最後まで聴いていようと思ったが、気付かれるのも何となく避けたかった。彼女が私に気付く前に立ち去ろうとした時、伊加田さんの足元に手作りの看板を見つけた。


『らふと YouTubeにて活動中』


 女子高生ならTikTokで活動していそうなものなのに、伊加田さんはYouTubeで何かしているようだ。ギターのことかな?


 私は家に帰ると、すぐにYouTubeで伊加田さんを検索した。

 すると、予想通り伊加田さんは先程と同様に、ギターと自身が映っている動画を投稿していた。


「『#弾き語り』……ああ、あれってそういうジャンルなんだ」


 幼い頃に音楽から逃げた私は、一つのギターだけで完成する音楽に衝撃を受けた。


 何か、一つだけ聴いてみよう。そう思って動画一覧を見ると、ほとんどの動画タイトルに「弾き語りアレンジ」と書かれていた。


 そんな中、一つだけ「オリジナル」と書かれた動画があった。


『君が見る夕焼けの景色』


 これだけ、他の動画に比べて再生数が少ない。


 流行り曲が再生されやすいのは分かるが、流行りを知らないを私からしたら、どれもオリジナル。せっかくだしこれにしよう。


 動画を開くと、駅のロータリーで見た時と同じように座る伊加田さんが、ゆっくりとギターを弾き始めた。


『赤く染まる教室

 誰もいないはずの場所

 まるで景色の一部のように

 君だけが残っていた』


 タイトルの通り、夕方が舞台みたいだ。場所は教室か。


『声を掛けると

 壊してしまいそうで

 遠くから

 君の世界を眺めていた』


『あの日のこと

 ちゃんと覚えてる

 僕の事を知らないのに

 信じてくれたこと』


 伊加田さんの歌声からは感謝と歓喜に満ちた音が聴こえる。恋愛の曲なのか、そう思わせるくらい、表情は嬉しげだ。


『伝えたい言葉が

 溢れてくるのに

 僕はその横顔を

 見ているだけ』


 歌声の中に、悲壮が混ざる。これはきっと、私じゃなくてもわかる。それほどまでに感情を乗せているようだった。


『髪に隠したイヤホン

 世界を閉ざしてるみたい

 それでも

 僕は隣に居たいって

 伝えたい』


 あれ? 伊加田さん視点の恋愛ソングだと思ってたけど、見てる人が男?


『僕の見てる景色

 君の見てる景色

 たぶん

 重ならない』


 一際、伊加田さんの悲壮の音が強くなる。そう思ったのも束の間、伊加田さんはすぐに目線をカメラに向けた。


『それでも

 同じ夕暮れを

 君の隣で見たいって

 伝えたい』


『無理に応えなくていいよ

 分からなくてもいいよ』


『ただ

 世界を閉ざす回数が

 少しでも減るように』


『僕は君の隣で

 笑いたい』


 それは渇望のように力強く、抱擁のように柔らかい音だった。


 今までずっと視線を合わせていなかった伊加田さんが、最後だけ感情が水面下で爆発したかのようにこちら側を見て歌っていた。


 いつもなら、曲は聴いてしまえば壊れてしまうが、この曲だけは壊れなかった。


『顔を見て話さないと、気持ちがちゃんと伝わらないよね』


 お昼の伊加田さんとの会話を思い出す。

 そっか、これが顔を見て話すってことなんだ。


 普通の人は音で分からないからこそ、顔を見て気持ちを伝えようとする。伊加田さんはそれが更にストレートに飛んでくる。


 そういえば、彼女から不快な音が聴こえたことは、一度もなかったな。

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次の更新予定

2026年1月14日 12:00

イヤホンで曲を聴く 航 希 @wataru-nozomi

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