魔法の手 ~父の危篤と、手が繋ぐもの~

空豆 空(そらまめくう)

魔法の手 ~父の危篤と、手が繋ぐもの~

――それは、私の幼い頃の記憶。


「ねえ、パパ。おなかいたい、なでて?」


「なんだ、莉緒。またお腹痛いのか。おいで、撫でてあげる」


 私は父の膝に座って、お腹を撫でてもらう瞬間が大好きだった。


「へへ。ぱぱのて、ごつごつしてて、きもちいい」


「パパの手は魔法の手だからな。すぐに治るよ」


 当時の父は忙しくて、あまり家にいない人だった。

 だからどう甘えたらいいのか、わからなかった。


 そんな私は、よく、お腹が痛くなる子供で。

 父に撫でてもらうと、途端に良くなる単純な子供でもあった。

 

――だから、私は当時、父の手を『魔法の手』と呼んでいた。


 伸びているところなんて一度も見たことがないくらい、いつも削れて丸くなった爪、ごつごつとしていて、皮膚が硬くなった職人の手。


 器用な父は、よく家の中の壊れたものも直してくれていた。

 けれど、それは決まって私がいない間で。


 そんなところも、魔法使いみたいだった。


 きっと疲れているはずなのに、「なでて」と言うと、必ず撫でてくれる父。

 それはほんの1分にも満たない時間だったけれど、当時の私にとっては、とても父からの愛を感じられる大切な時間だった。



 そんな父の手に憧れて、私は手に職を付けたいと思う大人になった。

 けれど、まだまだ未熟な私は、仕事をなかなかもらえない日々を送っていた。


 そんな時。ふと思い出す。


「人様から仕事をもらうにはな、先に信用してもらわないといけないんだよ。だから、どんなに小さな仕事でも受けるんだ。それがたとえ利益にならない仕事でも。そうして信頼を積み重ねたら、だんだん人は仕事を回してくれるようになってくる。稼げるのはそこからだ」


 そんな、父の言葉。


 そんな人だったからかな。私はあまり一緒に居たことがないはずの父が、大好きだった。


 だけど、大人になった私は、もう、どんなにお腹が痛くなっても、父に『撫でて』なんて言わなくなっていた。


 それは、とても当たり前のこと。

 実家から巣立った私は、ますます父と疎遠になっていた。


 けれど、急に会いたくなった。

 思えばそれは、虫の知らせだったのかもしれない。


『今度、仕事の休みをとって実家に帰るね』と電話した。

『おお、そうか。気を付けて来いよ』

 スマホ越しに聞こえる父の言葉は、ありきたりな言葉だったけれど、その声はやけに嬉しそうで。


(ああ、なんだ。父は忙しいとばかり思っていたけれど――こうして電話したら喜んでくれるんだ)


 そう思えたことが、私も嬉しかった。



 いよいよ帰省する日が迫ったある日。

 突然、母から父が入院したとの知らせが入った。


 意識不明の危篤。あと数日が山場かもしれない――


 あまりに急な知らせに、床が抜けたのかと思うほど頭が真っ白になった。

 息が苦しくて、心臓が凍りついたかのような痛みが走った。

 

 私は無我夢中で必要最低限のものだけをカバンに詰めて、新幹線に飛び乗った。


 実家は田舎。今から行ったって、途中で終電がなくなるかもしれない。

 ましてや病院に行けるのなんて、どう頑張っても明日。


 それでも私は、居ても経ってもいられなかった。


 新幹線の中で、母から聞いた父の容態をひたすらAIに問いかけた。

 回復する見込みがあるのかを知りたかった。大丈夫だと、信じたかった。

 けれど、画面には、厳しい答えしか返ってこなくて。


 あと一週間もしたら、会いに行く予定だったのに。

 ほんの数日前に電話した時は、元気にしていたのに。


――どうして。


 どうして私は、父が元気なうちに会いにいかなかったんだろう。


 ひどくひどく後悔をしながら、不安と恐怖でいっぱいになって……

 私は新幹線の中で、涙を堪えることができなかった。


 深夜になんとか実家にたどり着くと、母はまるで別人のように憔悴した顔をしていて、事の深刻さを痛いほど物語っていて。


 眠れるはずのない夜は、ただただ、ひたすら長く長く感じた。



 そうしてようやく迎えた翌日――


 病院のベッドの上にいる父は、まるで別人のようだった。


 目は開ききっていて、視点は合わず。

 首の向きが、あり得ない方向に向いていた。

 

 何かわからないチューブが繋がっていて。

 顔色に、生気を感じなかった。


 一目で、リアルの植物状態というものは、こんなにも残酷なんだと思った。


『眠っているよう』なんて、そんな生易しい状態ではなかった。


――ただ、生きていると訴えるように、意味もなくうめき声をあげて、目を見開いて口も開いたまま。乾燥しきった唇が、その残酷さをより際立たせているようだった。


 それでも、どうしても、私は父が回復すると信じたかった。


 焦点は合わないけれど、返事もないけれど、何の反応も返って来ないけれど。それでも。


「お父さん。莉緒だよ。会いたくて、帰ってきたよ」

「お父さん。ちょっといい温泉、予約したんだよ」

「一緒に旅行行こうねって、言ってたでしょ?」


 精一杯、話しかけて、そして。

 戸惑いながらも、これが最期になるかもしれないと、父の手を握りしめた。


 相変わらずごつごつした硬い手。

 よく、私の腹痛を一瞬で治してくれた魔法の手。


 けれど、どんなに強く握っても、反応は返ってこなくて。


(ああ、神様。今すぐ私の手に魔法を宿して)


 そんな子供染みた祈りを捧げながら、ひたすら、父の手を握った。

 反応はなかった。けれど、その手に温もりを感じて。


(まだ父は生きている! 戻って来れる!)


 急にそんなことを思って。


「お父さん! 莉緒だよ。まだ全然親孝行できてない。だから、戻って来て」


 両手で祈るように、その手を握った。


 病院の先生の話では、原因は不明とのことだった。

 ただ、脳にダメージがあることは確かだと。

 だからその原因を探るためにあらゆる検査をしたけれど、決定的な原因は特定できなかったと言われた。


 けれど、決定的な原因がないということは、何かのきっかけで良くなるかもしれないということ。まだ年齢も若いので回復の可能性はある。信じて待ちましょうとのことだった。


 憔悴しきったままの母は、見たこともないような暗い顔をしていて。

 励まそうと母の背中に触れると、途端に震えはじめて、ぽろっと涙を流した。


「うちのおとうちゃん死んでしもたら、……私はどうやって生きていったらいいの……」


「お母さん、そんな顔しないで。回復するのを信じよう。いっぱい、触れて、声をかけてあげよう」


 母はそのまま、私の肩でひたすら泣いた。そんな母を見たのは初めてだった。

 いつも朗らかに笑っている母が、とても弱々しくて。人はこんなにも生気が抜けてしまうのかと思った。


「お母さん、また明日もお見舞い行こう。きっとお父さん、喜んでくれるから」


 母は声もなく頷いた。


 私は母の手を握りしめた。


 その手は父の手よりも柔らかくて。

 そして私の手によく似ていた。


 震えていた母の手を、私はぎゅっと握りしめた。

 すると母もまた、ぎゅっと、握り返した。


「せやな。私が泣いてたらあかんな。明るく、元気に、ポジティブに!」

 

 母は無理して笑顔を作ると、母の座右の銘を口にした。


「うん、そう! 明るく、元気に、ポジティブに! それがお母さんらしいよ」



 その翌日、父の容態は一見変わらなかったけれど、母の様子が全然違っていた。


「おとうちゃん。今日も来たよ。莉緒も一緒。東京から、わざわざ来てくれたんよ。昨日は寒かったけど、ちゃんと寝れたん? おとうちゃんいないと寂しいわ。早く元気になって家帰ろ?」


 父の手を握りしめて、たくさん話しかけるようになっていた。


 私が昔の話をしてあげるといいんだってと言っていたから、母は父の耳元でたくさん、昔の話をするようになった。


(ああ……大丈夫だ)


 私はその様子を見て、不思議とそんな気持ちになった。


 

 そして数週間後。


 後ろ髪を引かれながらも帰省先から戻って、無理やり日常の中に戻っていた私の元に、母からLINEが届いた。


『莉緒、さっきお父さんの手を握りしめたら、ぎゅって握り返してくれた!』

『え! ほんまなん!?』

『うん、本当! 声は出ないけど、手を握ったら握り返してくれるし、音楽を聞かせたら涙を流す』


 それはあまりにも奇跡のようなメッセージ。

 私は涙が込み上げて、身体が震え出した。


「ああ……。よかった!」


 私は小さく呟くと、スマホを両手で握りしめた。





――――――――――――――――――――――

読んで下さりありがとうございました。

これは、半分くらい本当にあった実話です。


普段はラブコメばかり書いている私ですが、カクヨムコン11のお題フェスの第5回目のテーマが『手』だと知って、思わず書きたくなりました。

手って、すごいですよね。言葉にしなくても、伝わる想いがある気がします。


私の手から生み出した文章が、誰かの心に何かを残すことができたら幸いです。


空豆 空(そらまめ くう)

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