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 翌日の朝、庁舎は平常どおりに動いていた。

 少なくとも、動いているように見えた。

 防染課のフロアに入った瞬間、違和感はあった。ざわつきではない。沈黙でもない。人の動きが、微妙に同期していない。端末を開くタイミング、立ち上がる間合い、視線の向く先。どれもが半拍ずつずれている。

 線が、もう一段階内側に来ている。

 わたしはデスクに着く前に、全体の予定を確認した。今日の出動は三件。いずれも軽微。未許可彩度物品の集団携行、短時間、被害なし。位置は分散しているが、移動導線を重ねると、ある傾向が見える。人が集まりやすく、感情が滞留しやすい場所。学校の帰り道、商業施設の裏手、公共施設の境界。

 境界は、溜まる。

 クルリが近づいてきて、声を落とした。


「分隊長、最初の現場、時間が少し早まってます」


「了解。装備を」


 装備室でグレインと16式戦術短刀を受け取る。金属の冷たさは、今日はちょうどいい。過不足なく現実を引き戻すから。防染課が持つ武装は、抑止と切断のための最低限だ。イーゼルや展開型の16式戦術刀なんぞを持つ理由はない。持つべきではない。


 現場に向かう途中、サスから短い報告が入る。周辺の彩度ログに、微細な周期性。自然ノイズでは説明がつかないが、基準値は下回る。いつもの書式ならここで終わる。

 終わらせない。

 最初の現場は、通学路の脇にある小さな空き地だった。色は控えめだが、配置が整いすぎている。バッグのタグ、靴紐、腕章の端。原色ではない。だが、並べると意味を持つ。集合は短時間。解散も早い。だから「軽微」だ。

 わたしは前に出て肩書きを告げた。声は張らない。必要なのは、届くことだけだ。反応は薄く、彼らは互いを見て、配置を微調整する。昨日の広場より洗練されている。学習が起きている。

 計測機が短く震えた。数値は基準内で、形は線に近い。地面ではない。人の動きが線を描いている。

 わたしは短刀を抜いた。刃は光らない。狙うのは個人ではなく動線だ。二歩前に出て、動線の交差点を切る。物理的な意味は薄いが、構造は崩れる。配置が乱れ、意味が抜け落ちる。

 解散。回収。指導。終わり。

 終わったことにする。

 次の現場へ移動する車内で、クルリが窓の外を見たまま言った。


「分隊長、さっきの……誰か、指示してましたよね」


「断定はしない」


「でも、偶然じゃない」


「それは、分かっている」


 分かっている、という言葉が最近は軽い。分かっていることが増えすぎている。

 二件目は商業施設の裏手。警備の目が届きにくく、色はさらに薄い。代わりに、リズムがある。歩幅、間合い、滞在時間。誰かがテンポを決めている。テンポは、人を安心させる。

 ここでは、短刀を抜く必要はなかった。声をかける前に、リズムが崩れた。誰かが、どこかで「やめ」を出したのだろう。見えない指揮。見えない撤退。

 残るのは、基準内の数値だけ。

 三件目は、公共施設の境界だった。行政と民間の境。責任の境。色はない。だが、線ははっきりしている。境界に沿って、人が立ち、動き、去る。その軌跡が、空間に残る。

 ここで、初めて警告音が鳴った。短く、一度だけ。基準値に触れ、戻る。触れたという事実だけが残る。

 わたしは短刀を地面に突き立て、境界を断った。構造がほどける。線は消える。消えたように見える。


 現場を離れ、防染課に戻る。報告書を書く。どれも軽微。どれも基準内。どれも「問題なし」。わたしの指は、型をなぞる。型はわたしを守る。

 午後、分隊の全員が揃った。ソルバは椅子にもたれて、珍しく口数が少ない。サスは端末から目を離さない。カサルは装備を磨き続けている。空気が、薄い。

 「共有する」とわたしは言った。


「今日の三件、傾向がある。集団の配置と動線。偶然じゃない」


 誰も反論しない。誰も質問しない。分かっているからだ。

 ソルバが、やや遅れて言った。


「……次は、どこまで行くんです」


 その問いは、現場の問いではない。人生の問いに近い。


 「線が点になる前までだ」とわたしは答えた。


「点が塊になる前まで」


 「彩獣になる前、ですね」

 

「そうだ」


 沈黙が落ちる。誰も、彩獣の名を軽く扱わない。あれは、最後に出てくるものだ。最後に出てくるから、前段を止めなければならない。

 終業時刻が近づき、中央即応防染隊の予備連絡が再び入った。可否確認。わたしは、また「可」にする。選択肢を手放さないために。

 建物を出ると、夕方の街は穏やかだった。正しい色。正しい動き。正しい帰路。正しさは、いつも魅力的だ。疑う理由がないから。

 だが、正しさの下で、線は引かれている。薄く、賢く、軽微に。今日だけで、三本。明日はもっと増える。

 わたしは歩きながら、ソルバの誘いを思い出した。技能大会。逃げ道。表の舞台。そこに立てば、線から目を逸らせる。だが、逸らした瞬間に、線は太くなる。

 逃げ道はいらない。必要なのは、踏み外さないことだ。

 夜風が、制服の端を揺らす。わたしは呼吸を整え、歩幅を保った。軽微は、今日も積み重なった。積み重なったものは、いつか形を持つ。その手前に、立ち続ける。

 それが、今のわたしの役割だ。

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