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翌日から、現場が増えた。正式な意味での「事件」ではない。どれも、軽微違反。
未許可彩度物品の携行、公共空間での彩度偏向、短時間の集団滞留。
処理は簡単だ。回収して、指導して、報告書を書いて終わる。
終わるはずだった。
午前中に二件、午後に一件。そのどれもで、わたしは同じものを見た。
線。
以前よりも短く、以前よりも薄い。だが、確実に存在している。
自然発生の彩因は形を持たない。濃淡はあっても、方向性はない。線になるのは、意図があるときだけだ。
わたしは、それを毎回「基準値以下」として処理した。処理できてしまうこと自体が、問題だった。
防染課に戻ると、デスクの端末に未読通知が溜まっていた。
すべて、上からの連絡だ。
管区本部。
本省。
調整課。
内容は似通っている。
・最近、軽微違反の件数が増えている
・第一管区として、過剰対応は避けたい
・現場判断で処理可能な範囲に留めること
言葉は柔らかい。
だが、意味は一つだ。
――問題を大きくするな。
わたしは端末を閉じた。問題は、すでに存在している。ただ、それを問題として扱うかどうかが、選択されているだけだ。
午後、ハイマが防染課のフロアに現れた。予定外の訪問。それだけで、嫌な予感がした。
彼は周囲を一瞥し、わたしのデスクまで来る。
「時間あるか」
「五分なら」
「十分欲しい」
「……来い」
会議室ではなく、倉庫に近い小部屋を使った。記録が残らない場所だ。
ハイマは端末を机に置き、投影を出さずに話し始めた。
「線の出現頻度が上がっている」
「把握している」
「第一管区だけじゃない」
その言葉に、わたしは息を詰めた。
「どこまで」
「断片的だが、複数の管区で同様の報告がある」
「正式には?」
「全部、軽微処理だ」
わたしは笑いそうになった。
笑えないのに。
「共通点は」
「若年層の集団行動。原色に近い彩度。短時間」
カラーギャング。
名前を与えられた時点で、現象は理解されたことになる。
理解されたものは、管理対象だ。
「誰がやっている」
「分からない」
ハイマは即答した。
「少なくとも、現場の連中じゃない」
「裏に、誰かいると」
「誰かというより、仕組みに近い」
仕組み。
その言葉は、個人より厄介だ。
「彩因の操作は、免許制だ」
彼は続ける。
「第一種、第二種、第三種。厳密に管理されている」
彩因を扱うには、資格が要る。
その代表例が絵画免許だ。
この国では、色を作ることは、思想を作ることと同義だからだ。
「免許保持者が、違法行為を?」
「単独なら無理だ。痕跡が残りすぎる」
「じゃあ」
「免許外の人間が、免許保持者の成果物を使っている可能性がある」
間接的な操作。
それなら、線が短く、薄い理由にも合致する。
「まだ仮説だ」
ハイマはそう前置きした。
「だが、放置するとまずい」
「上は?」
「嫌がってる」
分かりきった答えだった。
「小さい火は、消さない方が管理しやすい。
消そうとすると、火があると認めることになる」
「……それで」
わたしは聞いた。
「あなたは、どうしたい」
ハイマは一瞬だけ言葉を探した。
「正確な記録が欲しい」
「公式で?」
「非公式でいい」
非公式。それは、責任が存在しないという意味でもある。
「集めたデータは、どうする」
「今は分からない」
彼は正直だった。
「だが、集めなければ、何も始まらない」
わたしは椅子にもたれた。
規定では、やってはいけない。現場判断としては、やれなくもない。結果が出るかどうかは、分からない。
それでも、線は増えている。
「分かった」
わたしは言った。
「現場で拾える範囲で拾う」
「無理はするな」
「無理をしなければ、拾えない」
ハイマは、それ以上何も言わなかった。
部屋を出ると、クルリが待っていた。
「分隊長」
「何」
「今日の現場、また……」
「線か」
彼女は頷いた。
もう隠す段階は過ぎている。
「記録は?」
「個人ログに」
「消すな」
それだけ言う。指示としては、最低限だ。
だが、意味は重い。
その日の帰り道、街はいつもより静かだった。静かすぎる、と感じる程度には。
色は、抑えられている。
人は規定どおりに動いている。それでも、どこかで誰かが線を引いている。小さく、目立たないように、軽微に。
軽微なものは、積み重なる。積み重なったとき、それはもう軽微ではない。だが、その瞬間を指し示す規定は存在しない。
存在しないものは、扱えない。
わたしは足を止め、空を見上げた。
色のない夜空だ。この世界は、正しい。少なくとも、正しいふりをするのが上手い。その正しさの下で、線は今日も一本増えている。
それを見ているのがわたしだけでないことを願うべきなのかどうか――その判断すら、まだ、規定には書かれていなかった。
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