第5話「初めての殺意」
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転生から一ヶ月が経った。
三十日間、私は生き延びた。
「一ヶ月、か……」
感慨深い。本当に、よくここまで生きてこられた。
この一ヶ月で、私は随分と変わった。
レベルは4になった。スキルも増えた。ダンジョンの地理も、かなり把握できている。
何より、蠅としての生活に慣れた。
腐肉を食べることに抵抗がなくなった。天井に張り付いて眠ることが普通になった。複眼で全方位を見ることが当たり前になった。
人間だった頃の感覚が、少しずつ薄れていく。
それが良いことなのか悪いことなのか、分からない。
でも、生きている。それだけは確かだ。
「さて、今日も——」
いつものように、狩場に向かおうとした時だった。
ぞわり。
危機感知が反応した。
「え?」
隠れ家の中で?
おかしい。ここは安全なはずだ。一ヶ月間、見つかったことは一度もない。
でも、確かに感じる。何かが近づいている。
私は身を縮めて、様子を窺った。
天井の窪み。小さな穴。私しか入れないはずの場所。
でも——
穴の入り口に、何かが現れた。
触角。細長い体。無数の脚。
「っ……!」
ムカデだ。
小さなムカデ。私と同じくらいのサイズ。
こいつなら、この穴に入れる。
「まずい……」
逃げ場がない。
穴は行き止まりだ。出口は一つしかない。そして、その出口にムカデがいる。
ムカデがこちらに向かってくる。
ゆっくりと。確実に。
「来るな……」
無駄だと分かっている。言葉なんて通じない。
ムカデは獲物を見つけた。それだけだ。
「来るなって……!」
ムカデが飛びかかってきた。
私は咄嗟に横に飛んだ。狭い穴の中で、必死に体をひねる。
ムカデの顎が、私の体を掠めた。
「いっ——!」
痛い。体の一部が抉られた。
HP:12/12 → 9/12
「くそ……!」
ムカデが向きを変え、また襲いかかってくる。
避ける。また避ける。
でも、穴の中は狭い。逃げ場がない。
また噛まれた。
HP:9/12 → 6/12
「やめて……!」
また。
HP:6/12 → 4/12
「死にたくない……!」
涙が出ない。蠅に涙腺はない。でも、泣きたかった。
一ヶ月、必死に生きてきた。
こんなところで、こんな形で、終わりたくない。
ムカデが、最後の一撃を放とうとしている。
終わりだ——
その時だった。
何かが、私の中で弾けた。
「——殺してやる」
自分でも驚くほど、冷たい思考だった。
殺す。
こいつを、殺す。
どうやって? 分からない。でも、殺す。
そうしないと、私が死ぬ。
「殺す……!」
私は、ムカデに飛びかかった。
口吻を突き出し、ムカデの体に突き刺した。
いつも死体に突き刺しているのと、同じ動作。
でも、相手は生きている。
「ギィッ!?」
ムカデが悲鳴を上げた。
消化液が流れ込む。内臓を溶かす。
「死ね、死ね、死ね……!」
必死だった。
こんなことで殺せるのか分からない。でも、他に方法がない。
ムカデが暴れる。振り落とそうとする。
でも、私は離さなかった。
離したら、死ぬ。
だから、離さない。
どれくらい経っただろう。
ムカデの動きが、徐々に鈍くなった。
そして——止まった。
「…………」
死んだ?
恐る恐る、口吻を引き抜く。
ムカデは動かない。
本当に、死んでいる。
《経験値を獲得しました》
《スキル「消化液Lv1」を獲得しました》
「…………」
私は、ムカデの死体の横で、呆然としていた。
殺した。
私が、殺した。
初めて、自分の力で、生き物を殺した。
「……あは」
笑いが漏れた。
「あはは……」
何がおかしいのか、自分でも分からない。
でも、笑いが止まらなかった。
「生きてる……私、生きてる……」
死にかけた。でも、生き延びた。
自分の力で。
「私、やれるじゃん……」
殺せる。
私でも、殺せる。
その事実が、信じられなかった。
でも、目の前にムカデの死体がある。これが現実だ。
「…………」
笑いが収まった後、私はムカデの死体を見下ろした。
食べよう。
せっかくの獲物だ。無駄にするのはもったいない。
私は口吻をムカデの死体に突き刺し、食べ始めた。
自分で殺した、初めての獲物。
味は——いつもの死体と変わらなかった。
でも、不思議と、美味しく感じた。
《経験値を獲得しました》
《レベルが5になりました》
「……レベルアップ」
殺すと、経験値がたくさん入る。
死体を漁るより、ずっと効率がいい。
「……そうか」
私は、一つの真実に気づいた。
強くなりたいなら、殺さなければいけない。
死体を漁るだけじゃ、限界がある。
本当に強くなりたいなら——自分で狩らなければ。
「……できるかな」
不安はある。今回はたまたま上手くいっただけかもしれない。
でも、やるしかない。
生き延びるために。
強くなるために。
「やってやる」
私は、覚悟を決めた。
今日から、私は「漁る者」から「狩る者」になる。
最弱の蠅が、捕食者になる。
「見てなさいよ、この世界」
私は、ムカデの死体を食べ終えると、隠れ家を出た。
狩りに行くために。
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