第2話「死体は友達」
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転生から一週間が経った。
私は、まだ生きている。
「一週間かぁ……」
人間だった頃の一週間なんて、あっという間だった。学校に行って、授業を受けて、家に帰って、ゲームして、寝る。その繰り返し。何も考えなくても過ぎていく時間。
でも、今の一週間は違う。
一日一日が、命懸けだ。
毎日が生きるか死ぬかの連続で、気を抜いたら終わり。そんな日々を七日間も生き延びた。
「私、意外とやれるじゃん」
自画自賛。誰も褒めてくれないから、自分で褒めるしかない。
この一週間で、私はかなりダンジョンに詳しくなった。
どの通路が安全か。どの時間帯に魔物が活発になるか。どこに死体が発生しやすいか。
全部、自分の足で——いや、翅で調べた。何度も死にかけながら。
今では、上層の北側エリアはほぼ把握している。地図が頭の中にできあがっている。
「情報は武器。弱者の生存戦略の基本よね」
前世で読んだ小説の知識が役に立っている。最弱の主人公が生き延びるには、情報と知恵が必要だ。
私には力がない。攻撃力2なんて、何の役にも立たない。
でも、頭は使える。観察はできる。
だから、私は観察した。徹底的に。
どの魔物が強くて、どの魔物が弱いか。
どの魔物が縄張り意識が強くて、どの魔物が放浪するタイプか。
どの魔物が食べ残しをして、どの魔物が骨まで食べ尽くすか。
全部、頭に叩き込んだ。
「今日の狩場は……東の境界線にしよう」
東側には、二つの勢力がぶつかるエリアがある。ネズミ系の魔物と、蜥蜴系の魔物。毎日のように小競り合いが起きていて、死体の供給が安定している。
私のお気に入りの狩場だ。
いや、「漁り場」と呼ぶべきか。狩りなんて大層なことはしていない。ただ、おこぼれを頂戴しているだけ。
でも、それでいい。
生きることに、プライドなんていらない。
天井の隠れ家を出て、私は東へ向かった。
いつものルートを飛ぶ。天井近くを、壁沿いに。見つかりにくいルート。一週間かけて開拓した、私だけの道。
途中、何匹かの魔物とすれ違った。
小さなネズミ。私よりは大きいけど、上層では弱い部類。私を見たけど、興味なさそうに通り過ぎた。蠅なんか食べても腹の足しにならないと思ったんだろう。
「舐められてるなぁ」
でも、それでいい。舐められているうちが華だ。警戒されたら、逃げるのも難しくなる。
東の境界線に到着した。
今日はまだ戦闘は起きていないらしい。死体はない。
「待つか」
天井の隅に張り付いて、私は待機した。
待つのは得意だ。前世でも、一人で黙々と何かをするのは好きだった。図書室で本を読んだり、家でゲームをしたり。
あの頃は、それが「つまらない人生」だと思っていた。
でも、今思えば——平和だった。
本を読めば物語の世界に浸れた。ゲームをすれば、何にでもなれた。勇者にも、魔王にも、伝説の冒険者にも。
今は、そんな余裕はない。
「……懐かしいな」
ふと、そんなことを思った。
前世の記憶は、だんだん薄れてきている。教室の風景も、クラスメイトの顔も、ぼんやりとしか思い出せない。
でも、感覚は覚えている。
窓際の席で、午後の日差しを浴びながらうとうとする感覚。
図書室の静けさ。本のページをめくる音。
家に帰って、自分の部屋でゲームを起動する瞬間のワクワク感。
全部、もう二度と味わえない。
「……」
感傷に浸っている場合じゃない。
私は頭を振って、意識を現実に戻した。
今は生きることだけ考えろ。過去を懐かしんでも、何も変わらない。
その時、音が聞こえた。
キィキィという、ネズミの鳴き声。
ギシャアという、蜥蜴の威嚇音。
始まった。
私は息を殺して、戦闘を見守った。
ネズミが三匹。蜥蜴が二匹。
数はネズミが多いけど、蜥蜴の方が体が大きい。五分五分ってところか。
戦闘が始まった。
ネズミが一斉に飛びかかる。蜥蜴が尻尾を振り回して迎撃する。
一匹のネズミが尻尾に弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。動かなくなった。
でも、残りの二匹が蜥蜴に食らいついた。首元と、腹に。
蜥蜴が暴れる。ネズミが振り落とされそうになりながらも、必死に噛みつき続ける。
もう一匹の蜥蜴が加勢しようとする。でも、倒れたネズミが——死んだふりだった——飛び起きて足に噛みついた。
「おお……」
なかなかの激戦だ。
私は天井から、その光景を眺めていた。
彼らにとっては命懸けの戦い。私にとっては——食事の前の観戦。
残酷だと思う?
私もそう思う。
でも、これが弱者の生き方だ。強者の争いを眺めて、おこぼれを頂く。それしかできない。
戦闘は十分ほど続いた。
結果は——相打ち、に近い。
蜥蜴が一匹死に、もう一匹は瀕死の状態で逃げていった。
ネズミは二匹死に、残りの一匹も深手を負いながら撤退した。
広間には、三つの死体が残された。
「大漁だ」
私は慎重に降下した。
周囲を確認。誰もいない。勝者も逃げたから、しばらくは誰も来ないはず。
三つの死体。こんなに一度に手に入ることは珍しい。
「いただきます」
私は一番近くのネズミの死体に取りついた。
口吻を突き刺す。消化液を出す。溶けた肉を吸い取る。
もう慣れた作業。何も感じない。
《経験値を獲得しました》
文字が浮かぶ。
もう一匹のネズミにも取りつく。同じ作業。
《経験値を獲得しました》
最後に蜥蜴。こっちは体が大きいから、食べ応えがある。
《経験値を獲得しました》
《経験値を獲得しました》
《レベルが2になりました》
「来た!」
ついに。ついにレベルアップだ。
一週間かかった。長かった。でも、ついに——
ステータスを確認する。
名前:なし
種族:スモールレッサーフライ
レベル:2
HP:8/8
MP:5/5
攻撃力:3
防御力:2
素早さ:18
スキル:飛行Lv1、複眼Lv2、屍食Lv2
「おお……!」
全部上がってる。HPが8になった。これは大きい。攻撃力も3になった。まだゴミだけど、前よりはマシ。
そして——
《新しいスキルを習得可能です》
《以下から一つ選択してください》
一、毒耐性Lv1
二、病気耐性Lv1
三、危機感知Lv1
「選べるの!?」
これは大きい。かなり大きい。
どれを選ぶか。
毒耐性——毒を持つ魔物は多そう。あると便利。
病気耐性——病気……蠅は病気を運ぶ側だから、関係ある? よく分からない。
危機感知——危険を事前に察知できる。逃げ主体の私には相性良さそう。
「うーん……」
悩む。
毒耐性は確かに欲しい。毒を持つ魔物に襲われたら、今の私じゃひとたまりもない。
でも——
「危機感知、かな」
逃げることが私の生命線だ。危険を早く察知できれば、逃げる時間が稼げる。毒を受ける前に逃げられれば、毒耐性はいらない。
予防が最強の防御。
《危機感知Lv1を習得しました》
決定。
「よし。これで少しは安心……」
その時、それを感じた。
ぞわり、と。
背筋を何かが這い上がるような感覚。
「……これが、危機感知?」
習得した途端に発動した。
何かが来る。
何かが——近づいている。
私は反射的に飛び上がり、天井に張り付いた。
広間の入り口を見る。
足音が聞こえる。
重い足音。さっきのネズミや蜥蜴とは違う。
そして——現れた。
「……っ!」
大きい。
さっきの蜥蜴より、さらに大きい。
体長一メートル半はある。イノシシに似ているけど、牙が四本もある。目は血走っていて、鼻息が荒い。
明らかに、上層の中でも上位の存在。
そいつが、死体の匂いを嗅ぎつけてやってきた。
広間に入ってきて、死体を見つけ——
私を、見た。
目が合った。
「やば」
逃げた。
全力で逃げた。
天井を這い、通路へ飛び込み、必死に翅を動かした。
後ろから、轟音が聞こえる。
イノシシが追ってきている。壁にぶつかりながら、通路を突き進んでくる。
「なんでよ! 蠅なんか食べても腹の足しにならないでしょ!!」
でも、あいつは追ってくる。縄張りを荒らされたと思ったのか、単に機嫌が悪いのか。
理由なんてどうでもいい。逃げるしかない。
左に曲がる。右に曲がる。細い通路を選んで逃げる。
危機感知が警告を発し続けている。まだ危険。まだ追われている。
「しつこいっ!」
どこか、隠れられる場所——
あった。
壁に小さな穴。私がギリギリ入れるサイズ。
飛び込んだ。
体を押し込み、奥へ奥へ。
背後で、イノシシの牙が壁をえぐる音がした。
ガリガリ。ガリガリ。
穴を広げようとしている。
「嘘でしょ……」
でも、穴は深かった。イノシシの牙では、奥まで届かない。
しばらく粘っていたイノシシは、やがて諦めて去っていった。
「…………」
また、死にかけた。
レベルアップした直後に、これ。
「上層でも、油断できないな……」
改めて思い知らされた。
私は弱い。レベル2になっても、まだ最弱クラス。上位の魔物には、逆立ちしても勝てない。
「危機感知、取っておいてよかった……」
あれがなかったら、反応が遅れていた。もしかしたら、逃げ切れなかったかもしれない。
穴の中で、私は体を丸めた。
しばらくここにいよう。安全を確認してから、隠れ家に戻ろう。
「今日は大収穫だったのに、最後に台無しだよ……」
でも、生きてる。
レベルも上がった。新しいスキルも手に入れた。
「良しとしよう」
私は自分に言い聞かせた。
生きてるだけで、十分だ。
明日も、生き延びる。
それだけを考えて、私は穴の中で息を潜めた。
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