第1話「ここはどこだ」
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転生から三日が経った。
三日間、私は生き延びた。蠅として。たった一匹で。
「……我ながら、よくやってると思う」
誰に言うでもなく、私は呟いた。もちろん声は出ない。蠅に声帯はないから。でも、心の中で喋らないと気が狂いそうになる。
人間だった頃の私は、別に喋るのが好きなタイプじゃなかった。むしろ無口な方。でも、完全な孤独というのは想像以上に堪える。
話し相手が欲しい。
誰でもいいから、言葉を交わしたい。
でも、そんな贅沢は言っていられない。今の私にとって、他の生き物は全て「敵」か「餌」だ。
この三日間で分かったことがある。
一、ここは巨大なダンジョンらしい。
二、私がいるのは「上層」と呼ばれるエリアらしい。
三、上層ですら、私にとっては地獄。
「らしい」というのは、魔物たちの会話を盗み聞きして得た情報だからだ。
そう、この世界の魔物たちは喋る。人間の言葉かどうかは分からないけど、私には理解できる。
これも転生特典の一つなのかもしれない。唯一まともな特典が「言語理解」って、地味すぎない?
でも、この能力のおかげで色々なことが分かった。
このダンジョンには「階層」がある。上層、中層、下層、そして最深部。下に行くほど強い魔物が棲んでいて、上層は一番弱い魔物たちの住処らしい。
一番弱い。
その「一番弱いエリア」ですら、私は食物連鎖の最底辺にいる。
「はぁ……」
今日も私は、天井の隅っこに張り付いていた。
小さな窪みを見つけたのだ。他の魔物には見つかりにくい、私だけの隠れ家。三日かけて、ようやく「安全な場所」を確保できた。
といっても、完全に安全なわけじゃない。いつ見つかるか分からない。でも、何もないよりはマシだ。
「さて、今日も行きますか」
狩りに——いや、漁りに。
狩りなんて大層なものじゃない。私がやるのは、死体漁り。他の魔物が殺した獲物の残骸。食べ残し。そういうものを探して、こっそり食べる。
それが私の生存戦略。
惨めだと思う?
私も思う。
でも、生きてる。それが全てだ。
天井から離れ、私は慎重に通路へと飛び出した。
複眼で全方位を警戒。左、右、上、下、前、後ろ。全部同時に見える。この目だけは本当に便利だ。
異常なし。
羽音を最小限に抑えながら、私は「狩場」へと向かう。
狩場といっても、私が狩るわけじゃない。他の魔物たちがよく戦闘をするエリア。つまり、死体が発生しやすい場所だ。
この三日間で、ダンジョンの構造が少しずつ分かってきた。
上層は迷路のようになっている。通路が複雑に入り組んでいて、所々に広い部屋がある。魔物たちはそれぞれ縄張りを持っていて、縄張りが重なる場所で争いが起きる。
私が目指すのは、そういう「境界線」だ。
飛ぶこと数分。
目的地に近づいた時、音が聞こえた。
ガツン。ギャアア。ガリガリ。
戦闘の音だ。
私は天井に張り付き、様子を窺った。
広間で二匹の魔物が戦っている。
一匹は、さっき私を襲ったのと同じタイプのネズミ魔物。もう一匹は——なんだろう、イタチに似てる。細長い体に、鋭い牙。
どっちもそこそこ強そう。私の何十倍もある。
「頑張れー、どっちでもいいから早く終われー」
心の中で無責任に応援する。
戦闘は数分で終わった。イタチの方が勝った。ネズミの喉元に噛みついて、動かなくなるまで離さなかった。
イタチは勝利の雄叫びを上げ、ネズミの肉を食べ始めた。
私は天井でじっと待つ。
焦っちゃダメ。まだ早い。
イタチが腹を満たすまで待たないと。満腹になれば去っていく。そうすれば、残りは私のものだ。
待つこと十数分。
イタチは食べるだけ食べて、満足そうに去っていった。
「よし」
私はゆっくりと降下した。
周囲を確認。誰もいない。
ネズミの死骸に近づく。半分以上食べられているけど、まだ肉は残っている。
「いただきます」
口吻を突き刺し、消化液を注入し、溶けた肉を吸い取る。
三日間で慣れた作業。最初は吐きそうだったけど、今は何も感じない。
《経験値を獲得しました》
視界に文字が浮かぶ。
経験値。少しずつだけど、確実に溜まっている。あと少しでレベル2になるはずだ。
「もうちょっと、もうちょっと……」
黙々と食事を続ける。
その時だった。
ぞわり。
背筋を何かが這い上がるような感覚。
「……っ!」
本能的に飛び上がった。
直後、私がいた場所を何かが通過した。
舌だ。
長い、長い舌。
「見つかった……!」
振り返ると、通路の奥に何かがいた。
トカゲ。
巨大なトカゲだ。体長は二メートルはある。さっきのネズミやイタチとは比べ物にならない大きさ。
鱗が岩のようにゴツゴツしている。目がギョロリとこちらを見ている。
カメレオンみたいな舌。あれで獲物を捕らえるタイプだ。
「なんでこんなのが上層にいるのよ!」
パニックになりながら、私は全力で逃げた。
後ろからトカゲが追ってくる。足音が響く。ずしん、ずしん、と地面が揺れる。
速い。
私より遅いけど、でも——
また舌が伸びてきた。
「うわっ!」
ギリギリで躱す。風圧を感じた。
「しつこい!」
狭い場所、狭い場所を探さないと。
左に曲がる。右に曲がる。複眼で後ろを見ながら、必死に逃げ道を探す。
あった。
岩と岩の間に、小さな隙間。私なら入れる。トカゲは無理。
飛び込んだ。
体を押し込み、奥へ奥へ。
背後で、トカゲが岩に激突する音がした。
ガリガリと爪が岩を引っ掻く。入れないと分かって苛立っている。
「諦めなさいよ……」
しばらく粘っていたトカゲは、やがて諦めて去っていった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
精神的に息が切れる。
死ぬかと思った。
三日目にして、一番の危機だった。
「あんなのがいるなんて、聞いてない……」
たぶん、あれは上層の中でも上位の魔物だ。普段は別のエリアにいるんだろう。たまたま、ここに来てしまった。
運が悪かった。
でも、運が悪いだけで死ぬ。それがこの世界だ。
「気をつけないと……」
もっと慎重にならないと。もっと警戒しないと。
油断したら死ぬ。
改めて、そう思い知らされた。
隙間の中で体を丸め、私は落ち着くのを待った。
しばらくして、心が落ち着いてきた。
「……ステータス、確認しよう」
名前:なし
種族:スモールレッサーフライ
レベル:1
HP:5/5
MP:3/3
攻撃力:2
防御力:1
素早さ:15
スキル:飛行Lv1、複眼Lv2、屍食Lv1
「あ、複眼がLv2になってる」
いつの間にか上がっていた。たぶん、ずっと使い続けていたから。
スキルは使えば使うほど成長するタイプらしい。これは覚えておこう。
「レベルアップまで、あとどれくらいかな……」
経験値の具体的な数字は見えない。でも、感覚的にはあと少しな気がする。
明日も漁りを続ければ、レベル2になれるかもしれない。
「よし、今日はもう戻ろう」
安全第一だ。欲張って死んだら意味がない。
私は慎重に隙間から這い出し、自分の隠れ家へと戻った。
天井の窪み。私だけの場所。
「ただいま……って、誰もいないけど」
虚しい独り言。
でも、言わずにはいられない。何か喋っていないと、自分が自分でなくなりそうで。
「今日も生き延びた。えらい、私」
自分を褒める。誰も褒めてくれないから、自分で褒める。
「明日も生き延びる。絶対に」
そう言い聞かせて、私は目を——閉じられないけど、意識を落とした。
蠅は眠るのだろうか。
分からない。でも、意識が途切れる瞬間がある。それを「眠り」と呼ぶことにした。
明日も、生き延びる。
それだけを考えて、私は眠りに落ちた。
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