転生したら蠅(ハエ)だったので、汚い手段で成り上がります
@saijiiiji
プロローグ
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あれは、なんでもない月曜日の午後だった。
五時間目の古典。窓際の席で、私はいつものようにぼんやりと外を眺めていた。先生の声は子守唄みたいに心地よくて、正直、半分寝ていたと思う。
教室の中央では、クラスの人気者たちが内職しながらこそこそ喋っている。後ろの席では、真面目な子たちがノートを取っている。
私はどちらでもない。
クラスの端っこ。目立たない場所。誰とも深く関わらず、誰からも深く関わられない。そういうポジション。
別に虐められているわけじゃない。ただ、存在感が薄いだけ。
「空気」とか「モブ」とか、そういう言葉がぴったりの高校生活。
それでも、それなりに満足していた。面倒な人間関係に巻き込まれないし、一人の時間は嫌いじゃない。図書室で本を読んだり、家でゲームをしたり。そういう地味な幸せで十分だった。
だから、あの瞬間まで、私は自分の人生がそれなりに続くと思っていた。
窓の外を見ていた時、空が光った。
いや、光ったというより、裂けた。
青空に、真っ白な亀裂が走ったように見えた。
「え——Loss」
声を出す間もなかった。
次の瞬間、教室全体が白い光に包まれて——Loss
——そこで、私の記憶は途切れている。
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最初に感じたのは、冷たさだった。
じめじめとした、ひんやりとした空気。土の匂い。腐った何かの匂い。
「う……ん……」
目を開けようとして、違和感に気づいた。
視界がおかしい。
いや、視界が「広すぎる」。
普通、人間の視界は前方だけのはず。なのに、今の私には、ほぼ全方向が見えている。上も、下も、横も、後ろも——全部が同時に見える。
「は?」
混乱しながら、自分の体を確認しようとした。
手を——手を、見ようとして。
「…………え?」
手がない。
代わりにあったのは、細くて黒い、毛の生えた——脚。
六本の、脚。
「え、ちょ、待っ——」
パニックになりながら、私は自分の体を見回した。
小さい。異常に小さい。人差し指くらいのサイズしかない。
黒くて、丸っこくて、背中には薄い翅が二枚。
頭には——
「複眼……?」
触角が二本。そして、何百もの小さなレンズが集まったような、巨大な目。
私の視界がおかしいのは、この目のせいだ。全方向が見えるのは、この「複眼」という器官のせいだ。
知識としては知っている。理科の授業で習った。
昆虫の目。
「嘘、でしょ……」
私は——私は今——
「蠅じゃん……!!」
叫びたかった。
でも、蠅の体には、叫ぶための器官がない。声帯がない。出せるのは羽音だけ。
ブブブブブ、と自分の翅が震える音が、やけに大きく聞こえた。
「落ち着け、落ち着け私……」
深呼吸——できない。蠅に肺はない。体中の気門で呼吸しているらしい。これも理科で習った。まさか実体験することになるとは思わなかったけど。
「夢、よね。これ夢よね」
目を閉じる——閉じられない。蠅には瞼がない。
「最悪……」
とにかく状況を整理しよう。
一、私は死んだ。たぶん、あの光で。
二、気づいたら、蠅になっていた。
三、ここは——どこだ?
周囲を見回す。複眼のおかげで、暗くてもそれなりに見える。
石の壁。石の天井。湿った地面。
洞窟? いや、人工的な感じがする。通路みたいになっている。
そして、地面には——
「うわっ……」
何かの死骸。腐りかけた肉。骨。
その匂いが、なぜか——
「……お腹、空いてる……?」
腐肉の匂いを嗅いで、食欲を感じている自分に気づいて、さらに絶望した。
「蠅の本能、最悪すぎる……」
その時、視界の端に何かが浮かんだ。
半透明の、文字の羅列。ゲームのステータス画面みたいな——
「え、何これ」
名前:なし
種族:スモールレッサーフライ
レベル:1
HP:5/5
MP:3/3
攻撃力:2
防御力:1
素早さ:15
スキル:飛行Lv1、複眼Lv1
「…………」
数字を見て、私は固まった。
攻撃力2。防御力1。
「ゴミじゃん」
いや、スモールレッサーフライって何。スモールでレッサーって、小さくて劣ったって意味だよね。名前からして最弱感が凄い。
唯一まともなのは素早さの15くらい。これは複眼と飛行能力のおかげだろう。
「これ、異世界転生ってやつ?」
小説やアニメで見たことがある。死んだ人間が別の世界に転生するやつ。
でも、普通は——
「普通は人間に転生するでしょ!! なんで蠅なの!? チートとか特典とかないの!?」
ブブブブブ、と虚しく翅が震える。
「美少女転生とか、最強魔法使いとか、そういうのじゃないの……?」
現実は——現実は蠅だった。
最弱の。最底辺の。誰からも忌み嫌われる存在。
「私の人生、何だったんだろ……」
教室の隅で空気みたいに生きてきた私。
死んでまで、最底辺かよ。
自己憐憫に浸っている場合じゃなかった。
複眼が、何かの動きを捉えた。
通路の奥から、何かが近づいてくる。
大きい。私の何十倍もある。
ネズミ——いや、ネズミに似た何か。でも、牙が異常に大きい。目が赤く光っている。
魔物だ。
直感的に理解した。これは、普通の動物じゃない。この世界の「魔物」だ。
そして、そいつは——私を見ている。
餌を見る目で。
「やば……っ!」
考えるより先に、翅が動いた。
飛んだ。
全力で、全速力で、その場から離れた。
背後で、何かが地面を蹴る音。風を切る音。
「速い速い速い!!」
でも、私の方が速かった。
素早さ15は伊達じゃない。複眼で後ろを見ながら、私は狭い隙間に飛び込んだ。
岩と岩の間。ネズミの魔物には入れないサイズ。
ガリガリと、爪が岩を引っ掻く音がする。
「諦めなさいよ……!」
しばらくして、ネズミの魔物は諦めたのか、去っていった。
「はぁ……はぁ……」
呼吸は——できないけど、精神的に息切れしている。
「死ぬかと思った……」
いや、死んでたら、本当の終わりだ。たぶん。
「……私、これからどうすればいいの」
狭い隙間の中で、私は考えた。
状況を整理しよう。
一、私は蠅に転生した。
二、ここはダンジョンか何からしい。
三、私より強い魔物がうじゃうじゃいる。
四、ステータスは最弱。
……詰んでない?
いや、待て。
レベルという概念がある。ということは、レベルアップできる可能性がある。
スキルもある。ということは、スキルを増やしたり、強化したりできるかもしれない。
「種族名も『スモールレッサーフライ』……スモールじゃないフライとか、レッサーじゃないフライがいるってこと?」
進化の可能性がある。
希望がある。
「……よし」
私は、腹を括った。
状況は最悪。でも、絶望するのは早い。
前世の私は、確かに地味で目立たない存在だった。でも、それでも17年間生きてきた。理不尽なことも、嫌なことも、それなりにあった。でも、生きてきた。
「私は、死んでたまるか」
蠅でも、最弱でも、生きてやる。
「這い上がってやる」
見てろよ、この世界。
蠅だからって、舐めるなよ。
決意を固めたのはいいけど、まず何をすべきか。
「……お腹、空いたな」
現実的な問題が差し迫っている。
HP5。たぶん、空腹でも減っていくタイプのシステムだろう。
食べないと死ぬ。
「食べ物……食べ物……」
複眼で周囲を見回す。
さっき見た、腐りかけの死骸。あれを食べれば——
「……うぅ」
蠅の本能は「食べろ」と言っている。人間だった頃の私は「無理」と言っている。
でも。
「背に腹は代えられない、か……」
生きるためだ。
私は、狭い隙間から慎重に這い出した。複眼で全方位を警戒しながら、腐肉に近づく。
匂いが——正直、人間だった頃なら吐いてるレベル。でも、今の私には「美味しそう」に感じる。
「本能って、怖い……」
意を決して、腐肉に口吻——蠅の口——を付けた。
消化液を出して、溶かして、吸い取る。蠅の食事方法。知識としては知っていたけど、実際にやると本当に気持ち悪い。
でも、味は——
「……不味くは、ない……」
いや、美味しいとすら感じる。蠅の味覚は人間と違うらしい。
腐肉を摂取していると、視界に文字が浮かんだ。
《屍食》スキルを獲得しました。
「おっ」
《屍食》Lv1
死骸を食べることで、微量の経験値を獲得する。
腐敗した食物でも問題なく摂取できる。
「これは……使えるかも」
直接戦わなくても、経験値が稼げる。
死体を食べるだけでいい。
「漁夫の利作戦、いけるんじゃない?」
希望の光が見えた。
他の魔物が戦って、勝者が去った後、敗者の死体を食べる。私は掃除屋になればいい。生態系の分解者。地味だけど、確実な生存戦略。
「よし」
私は、最初の一歩を踏み出した。
蠅として。
最弱として。
でも、確かに——生き延びるために。
この日から、私のダンジョン生活が始まった。
食べて、逃げて、隠れて、また食べて。
最弱の蠅の、惨めで、地道で、必死な毎日。
誰にも頼れない。誰も助けてくれない。
たった一匹で、この地獄を生き抜くしかない。
でも、私は知らなかった。
この孤独な日々の先に、運命の出会いが待っていることを。
今の私は、ただの蠅。
でも、いつか——
——いつか、この世界に名を刻む存在になる。
蠅だけど。
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