第2話 月下の契約
結衣は医療棟へ運ばれ、数日、熱にうなされて眠り続けた。
夢の中でも白い光が弾け、息ができず、誰かが叫んでいる。
何度も目覚めかけては沈み、沈んでは浮かび――その繰り返しの果て。
やっと目を開けたとき、そこは見知らぬ天井の下だった。
「……夢、じゃない……」
喉が乾いて声がかすれる。
舌が紙みたいに貼りついて、息をするだけで痛い。
ゆっくり体を起こすと、ベッド脇の机に水と果物が置かれていた。
窓の外は夜。深い闇の中に、三日月が浮かんでいる。
見慣れない景色。見慣れない匂い。
現実だと理解した瞬間、心の底が冷たく沈んだ。
扉が静かに開く。
あのときの男が入ってきた。
黒いローブ。整った横顔。灰色の瞳。
なのに彼の手には、温かい湯気の立つ皿があった。
「目が覚めたか。気分はどうだ」
声は相変わらず冷たい。
けれど、その冷たさが妙に落ち着く。
「……ここは、どこなんですか?」
「王立魔法学院。王国中から選ばれた若き魔術師が集い、
未来の宮廷魔術師や学者を目指して研鑽する場所だ。
――そして私は教師、ダリウス・クロウ」
「ま……魔法……?」
結衣の口から出た言葉が、自分でも信じられないくらい軽かった。
彼は小さく息を吐く。
「君のいた世界では、魔法は常識ではないらしいな。ここでは違う」
皿から立つ湯気が、現実だけを突きつけてくる。
熱と匂いが、逃げ道を塞ぐ。
結衣は呆然としたまま、彼を見つめた。
「君の名は」
「あ……桜島結衣です」
「ユイ、か」
呼ばれた音が耳に残る。
彼は一瞬だけ目を伏せた。何かを飲み込むように。
「本校の生徒が君を危険に晒した。
学院として謝罪し、元の世界へ戻す方法を探す。
――それまでは、ここでの生活に支障が出ないよう手配する」
淡々としているのに、逃げない声だった。
「明日、学園長から正式な謝罪と今後の話がある。
食べられそうなら、少しでも口にしておくといい」
「……ありがとうございます、ダリウス先生」
「礼は要らない。謝るべきは、こちらだ」
彼は皿を机に置き、扉へ向かう。
「……おやすみ」
「おやすみなさい、ダリウス先生」
静かに去っていく背中を見送りながら、結衣はスープを口にした。
優しい味が広がった瞬間、堪えていたものが溶けて、涙が零れた。
怖い。分からない。帰りたい。
それでも――生きるしかない。
窓の外の三日月が、灯火みたいに揺らめいていた。
◆
翌日。
ダリウスに案内され、結衣は学院の長い廊下を歩いた。
すれ違う生徒たちの視線が痛い。
好奇心と警戒と、少しの嫌悪が混ざった目。
「異世界の人間らしい」
「本物……?」
「触れたら呪われるとか……」
ひそひそ声が耳に刺さるたび、笑顔を作るのが辛くなる。
けれど、隣を歩くダリウスが一度だけ視線を向けると、
その瞬間、廊下の空気が凍った。
囁きが途切れ、足音だけが残る。
(……威圧感、すごい)
どうやら彼は、この学院で“怖い先生”らしい。
◆
「学園長、ユイを連れてまいりました」
扉の向こうには白髪の温厚そうな老人が座っていた。
背後に数人の教師が控えている。
「体調はどうかね」
「あ、はい。もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
「いや、迷惑をかけたのはこちらだ。
君をこの世界に呼び寄せたのは我々の生徒だからね。本当に申し訳ない」
学園長は柔らかく微笑んだあと、声の調子を落とした。
「ただ――その前に、君の魔力を安定させねばならない」
「魔力……? 私の世界では魔法なんてありません。魔力なんて、あるはず……」
「君の身体は、こちらの世界の魔力に“酔っている”状態だ。
このままでは再び倒れる。最悪の場合――魂が壊れる」
魂が、壊れる。
言葉が冷たく胸に落ちて、ぞくりと背筋が震えた。
「だが、方法はある」
学園長の視線が、隣のダリウスへ移る。
ダリウスは結衣を見て、短く言った。
「私と、魔力契約を結ぶ」
「え……私と、ダリウス先生が?」
「そうだ。契約を結べば、君の存在はこの世界で安定する。魔力酔いも防げる」
淡々としている。
なのに、逃げられない決断だけを正面から差し出してくる。
「ただし、魔力が繋がる。互いの生命が影響し合う」
「……そんな危険なこと、していいんですか?」
「他に手段はない」
短い沈黙。
ダリウスはわずかに目を細めた。
冷たさの下に、決意の硬さがある。
「恐れるな。何かあれば――私が処理する」
“守る”ではなく、“処理する”。
冷たい言葉なのに、不思議と安心が混ざっていた。
彼が逃げないと分かったからだ。
結衣は、小さく頷いた。
◆
夜。
月光の下、学院の中庭に描かれた魔法陣が淡く輝く。
風が芝を撫で、どこか遠くで水の音がした。
ダリウスが手を差し出す。
「手を」
結衣は震える指で、その手を取った。
思っていたより温かい。
掌が硬く、長い指がしっかりしている。
「名を」
「……桜島結衣」
「我、ダリウス・クロウ。異界の来訪者、桜島結衣と魔力を結ぶ」
詠唱の言葉とともに、魔法陣が一層強く光を放つ。
体の奥に熱が走り、息が詰まる。
心臓が跳ねて、鼓動の音が耳の内側でうるさい。
視界が真っ白になり――次の瞬間、胸の奥で何かが“重なった”。
ドクン、と鼓動が二つ。
それが一つに溶け合うような感覚。
自分の心臓の隣に、もう一つの拍動がある。
ありえないのに、確かに、そこに。
結衣は思わず息を飲んだ。
ダリウスの灰の瞳が、ほんの僅かに揺れた。
揺れを隠すように、すぐ冷たさで覆われる。
「……終わった。今夜は魔力が馴染むまで眠れないかもしれないが、心配はいらない」
「……はい。ありがとうございました」
彼が手を離す。
けれど掌には、まだ確かな温もりが残っていた。
――その夜、結衣は眠れなかった。
魔法。契約。異世界。何もかも信じられないのに。
胸の奥で小さな鼓動が響くたび、確信する。
私はいま、彼と繋がっている。
それは不安の中で見つけた、たったひとつの“足場”だった。
契約の魔導師と異界の少女 白玉蓮 @koyomi8464
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