契約の魔導師と異界の少女
白玉蓮
第1話 それは突然の出来事だった
それは、夕方の匂いがする時間だった。
大学の講義が終わり、いつもの道をいつもの速さで歩く。
駅前の花屋へ向かう途中、歩道橋の上から見下ろす車道は、
夕焼けを吸い込んだアスファルトが橙色に鈍く光っていた。
スマホを開く。友達からの通知。
指先が画面に触れかけた――その瞬間。
視界が、白く弾けた。
「……え?」
言葉になる前に、耳を裂く破裂音が空気を割る。
熱を孕んだ光が目の奥まで刺さり、肺がきゅっと縮んで息が吸えない。
世界が裏返るみたいに歪み、足元が、消えた。
落ちる。
いや、落ちた、はずなのに。
次に感じたのは、冷たい石の感触だった。
「……成功した? まさか、本当に……」
「い、いや、これどうすんだよっ!?」
誰かの声が、近い。慌ただしくぶつかり合っている。
ゆっくり目を開けると、見知らぬ天井があった。煤けた石造り。
空気が乾いていて、どこか薬草みたいな匂いがする。
床には光る紋様――魔法陣のようなものが浮かび上がり、
その中心に、私は倒れていた。
私を囲む十数人の若者たち。
黒いローブ、手には杖。
舞台衣装みたいなのに、顔色は真剣に青い。
「な、なんで……人が出てきたんだよっ!?」
「おい、魔力が制御できてない、まずいって!」
……魔力? 制御? 何を言ってるの。
声を出そうとしたのに、喉がひゅっと鳴るだけで言葉が出ない。
体が痺れて、動かない。
魔法陣が、脈打つように明滅した。
嫌な予感が背筋を走る。
光が奔流となって床から立ち上がり、私の足元から駆け上がってくる。
皮膚の下を直接焼かれるみたいに熱い。息が、詰まる。
「っ……熱い……! やだ、助けて……!」
声を上げても、誰も動けない。
ローブ姿の生徒たちは杖を握りしめたまま立ち尽くし、
目を見開いているだけだ。
――このまま、死ぬの?
焦げた匂い。視界がチカチカする。意識が薄れていく。
そのとき。
「……下がれ」
低く、静かな声が落ちた。
それだけで空気が凍る。
喧騒も悲鳴も、喉の奥で止まった。
黒いローブを纏った長身の男が、ゆっくりと前へ出てくる。
肩幅が広い。足取りに迷いがない。
黒髪を後ろで束ね、横顔は整いすぎるほど整っていた。
灰色の瞳が、燃える光を真っ直ぐに射抜く。
男は手を一振りした。
たった、それだけ。
光の奔流が、嘘みたいに割れて消えた。
残ったのは薄い煙と、胸の痛い静寂。
ようやく息が吸える。
肺が空気を欲しがって、ひくりと震えた。
怖かったはずなのに。
彼の冷たい目がこちらを捉えた瞬間、
なぜか――恐怖より先に、安心が来た。
それに気づいた途端、糸が切れたみたいに意識が落ちた。
*
「禁忌魔法を使ったな。……愚か者ども」
氷のような声が、石壁に響いた。
生徒たちが一斉に頭を下げる。杖の先が震えている。
「だ、ダリウス先生……!」
男――ダリウス・クロウは、床に倒れた少女へ視線を落とす。
異質な服。異なる気配。学院の生徒ではない。
外から“落ちてきた”存在だ。
召喚陣の乱れと、魔力の匂いがそれを裏付ける。
「……異界からの召喚か」
眉間に皺が刻まれた。
指先が僅かに動く。
生徒たちを包む光が淡く瞬き、次の瞬間、彼らの姿は掻き消えた。
「謹慎だ」
残されたのは、煙と沈黙、そして彼の腕の中にある命だけ。
ダリウスは膝をつき、少女を抱き上げる。軽い。
呼吸は浅いが、脈はある。焼けた匂いが微かにする。
「……こちらの不始末だ。すまない」
声は淡々としていたが、謝罪だけは確かだった。
彼は少女を抱いたまま、医療棟へ向かって歩き出した。
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