軽口

 今日もページを捲る。

 生徒が利用している時間すら、私の周囲には静寂がある。

 私は図書館特有の静寂の時間が好きだ。本の中にするりと入り込むように、没頭して意識を研ぎ澄ませる時間が好きなのだ。


 故にうるさくならないように、静寂を守るための魔法障壁を張っている。代わりに、図書館内に異変があるとリン、と涼やかな鈴の音が鳴るようになっているが、その音が鳴ることは滅多にない。


 ページを捲る。


 リン、と耳元で音がする。滅多にない、はずだった。

 鈴の音で顔を上げると、そこにはすでにジルリオ殿下が立っている。


 赤い夕焼け色の残光が散っていく。転移魔法による移動の痕跡だろう。あれ以来、彼は直接図書館にやってくるといつかは居場所がバレると思っているのか、こうして別所から転移魔法を使ってやってくるようになった。


 ここには私が雑音を煩わしく思わないための防音障壁が張ってあり、なおかつ異変を知らせる魔法が組み込まれている。隠れ場所としては最高なのだろう。ここに私がいなければもっと完璧だったに違いない。


「今日も来たのかい、殿下」

「よしてくれよ。この学園の中で俺はただのジルリオだ。貴女にまでそう言われると肩肘張ってたまらない。貴女こそ、偉大な魔女の使い魔様……だなんて言われたくないだろう」


 一瞬、私は眉を顰めて目を伏せた。


「仕方のないやつだ。ならばジルリオさん、早くそこに座りたまえ。今日はなにを読むんだ?」

「認識阻害魔法の公式理論文を持ってきた」

「これはまた……王子様は勉強熱心なことで」


 皮肉げに言ってやるが、王子はそのお綺麗な顔を歪ませることもなくニコニコとしている。可愛げもなにもない魔物の女を前にして、よくもこれだけ笑顔を保っていられるものだと逆に感心してしまうほどだ。


 しかし、半年経ってもここに通い詰めてくるくらいだ。本当に私が魔物であることなど気にしていないのかもしれない。

 いつもなら軽口だけを叩いて、あとは静かに読書をしたりジルリオが書き取りをしたり、たまに魔法理論についての見解を求めてきたりするだけの時間だったのだが……興味が湧いたので、こちらから話をしてみることにした。


「……ところで、君は気持ち悪くはないのかね。私は魔物だ。親の存在しない、魔力の塊から生まれた別の生き物なんだぞ。他の貴族連中はなるべく私に関わり合いにならないよう気をつけている。王子が近づくには危険極まりない存在だと思うがね」

「おや、貴女から話を振ってくれるのははじめてのことじゃないか? 珍しいこともあるんだね」

「……もしや、からかっているのか?」


 ジルリオは変わらず柔和な顔立ちで「まさか」と言う。


「そもそも、貴女はあの『偉大な魔女エルミナ』の使い魔だろう? この学園の理事だ。そんな人が貴女を図書館の管理人としているのなら、生徒の安全は保証されているということだ。俺は貴女という魔物を甘く見ているのではなく、偉大な魔女の功績と判断を信頼しているだけだよ」

「その事実があってなお、他の連中は私に近づかないというのに……やはり君は魔物を甘く見ているよ」

「貴女は卑屈すぎる。逆に聞くが、貴女はエルミナ様の判断が間違っていると?」

「そんなことはないっ!」


 魔物として生まれ落ちて、はじめてこれほど大きな声をあげたかもしれない。それほどの強い想いが喉を震わせた。


「ならいいじゃないか……少し驚いたが、この声も外には聞こえていないんだろうね?」


 目を丸くした王子が、すぐに気を取り直して微笑む。


「……聞こえていない。エルミナ様から教わった魔法の腕ならば、この程度造作もないことだよ」

「羨ましいね。まるで歴史に残る偉大な魔女の弟子じゃないか」

「……そう見えるか?」

「貴女は卑屈だけれど、エルミナ様に伝授された魔法の腕については自信がかなりあるようだ。エルミナ様のことをそれほど慕っているんだろうね。人をそれだけ慕える貴女なら、やっぱり信用はできると思うよ」

「……そう」


 そう言われて嬉しくないわけではなかった。


 雇い主……エルミナ・グリモワールは歴史に残る偉大な魔女だ。

 数々の魔法理論を生み出し、この国の発展を助けてきた存在。人族と魔族を橋渡しし、平和の礎を築いた魔女。


 人と魔族の混血であるあの人は生まれたばかりの私を拾ってくれた。

 多くの女性が嘆き、苦しみ、受け取られず、あるいは捨てられて情念のこもったラブレターをまとめて焼き払った際に生まれ落ちた私は大いに気味悪がられた。


 それは私が人や魔族の姿に酷似していたからだ。

 魔物には通常、魂がない。魔力の塊でしかない魔物が意志を持つことはない。ただ生まれるきっかけとなった物からくる、本能のようなものに突き動かされて動き、ときに人を、魔族を襲う化け物。


 そんなものが人の姿をして生まれたのだ。不気味以外の何者でもない。

 だというのに、あの人は私を拾って育てた。我が子にするように。魔法を教え、言語を教え、マナーを教え、立ち居振る舞いを教えた。

 そして人間や魔族の子にするように職を与えた。


 偉大な魔女エルミナでなければ許されないような所業だったが、私は彼女に感謝している。

 私には変わらず魂などないはずなのに、こうして意志を持ち、意志を伝える手段を待ち、小説を読み、本能を押さえつけて発散する方法も与えられた。


 だが、それでも私はあの人の『使い魔』という立ち位置でしかなかった。

 それを、こいつは。ジルリオはまるで『弟子』のようだと……嬉しくないわけがない。


「ジルリオさん、君はいつもこうなのか? それはそれはおモテになることだろうな。君を追いかけ回すお嬢さんがたも、随分とまあ……おかわいそうに」

「それで困っているんだよ。俺は第三王子だから猶予はあるけど、学園卒業までには婚約者を決めないといけない。そこは自由意志だから助かってるんだけど……勉強のほうがどうも楽しくてね」

「ああ、本当におかわいそうに。肝心の王子様がこれではね」

「どういう意味だい?」

「私は失恋の想いから生まれた魔物。美味いご馳走がたらふく食えそうだなと思って」

「……人を食べるの?」


 びっくりした王子が本を抱え込んで盾みたいにしたので、思わず私は笑った。


「まさか! 失恋した悲しい気持ちを食べて私の力になったりはするが、本人をバリバリ頭から喰うわけではないよ!」

「そっか、ならいいんだ」


 ほっとした顔で王子が言う。


 ――私は図書館特有の静寂の時間が好きだ。

 本の中にするりと入り込むように、没頭して意識を研ぎ澄ませる時間が好きなのだ。


 ……だが、近頃はジルリオとこうして話す時間もそう悪い物ではないと思っている自分がいる。


 最初はうるさければ締め出してしまえばいいと考えていたが、不思議と彼との軽口は煩わしく感じない。この感覚は親代わりとなっているエルミナ様以来感じたことのないものだった。


 これが親愛というものなのだろうか。悲恋の元に生まれた私には愛情というものがどんなものなのか分からない。

 手紙に込められた情念の大半は愛情とは呼べぬほどの歪んだものだったり、悲恋の結末を受けて書き手の悲しみが染み込んでいて、愛を綴った際の気持ちはほとんど残っていなかったからだ。


 小説を読んで、学んでいけばいつか分かるのだろうか。


 ページを捲る。

 静寂の中ではない、ときおり彼の質問が飛んでくる放課後の時間で。


 生徒が帰っていく夜には書架の間で眠りに入り、一人ぼんやりと窓から差し込む月明かりを眺める。

 学園の中で寝て、起きて、いつも図書館で過ごす。それはいつもとなんら変わらない。だというのに、なぜか早く次の日になってほしいと願う自分がいた。

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