ラブレターに恋は難しい

時雨オオカミ

図書館の魔物


「ご令嬢、貴女との婚約は破棄させてもらう!」


 今日も私は、そんな一言で始まる文字の羅列を読んでいる。


 貴族学校の図書館は、授業時間になると驚くほど静かだ。重たい扉の向こうでは教師の声と生徒の気配が律儀に動いているはずなのに、ここには時間そのものが置き去りにされているようで、あまり騒がしい空間を好まない私にとって、この時間は聖域のようなものである。


 背の高い書架が迷路のように並び、その最奥、柱と書棚に挟まれた影の溜まり場――人の目が自然と逸れるその隅こそ、私のお気に入りの場所だった。


 高い位置にあるステンドグラスから差し込む光を頼りにページを進める。

 テーブルの上には今日読んだ本がずらりと並び、これから読む予定の本の山はそれより少ない。

 お貴族様の生徒にうっかり見られてしまえば、眉を顰めて批判されるに違いない扱いを本にしているというのは自覚済みだ。

 だがそれでも彼らは私に直接なにか文句を言いに来ることはない。なぜなら、私こそがこの図書館の主であるからだ。


 私は図書館の魔物。

 学校側から雇われている、人権のない存在。

 魔力溜まりに触れた無数の燃やされたラブレターから誕生した、親の存在しない生き物だ。


 親が存在し、縦の血の繋がりからなる魔族とも、普通の人間とも違う。通常では知性など持つことが叶わない生物。しかし、私という魔物は知性を持ってここにいる。


 所謂、差別階級というやつではあるが、職を手にしているので生活は充実していると言っていい。なにせこんなにも本に囲まれて生活することができるのだから。


 そんな私の興味は皮肉にも『恋愛』にある。

 私は叶うことのなかったラブレターの集合体のような魔物である。他人の恋愛に興味を抱くのは自然なことだろう。


 ページを捲る。


 紙面の中のご令嬢は婚約破棄されながらも強かに立ち上がり、自身を本当に想ってくれるお相手と出会うことになる。婚約者の話す偽りの真実の愛とは違い、これこそ真実の愛と言うべきものだろうと分かる出会いと恋。一度裏切られたからこそ反発し、距離を取る令嬢が少しずつ、心の氷を溶かされていくように惹かれていく様子。


 物語の中の恋はいつもキラキラと煌びやかで、綺麗で、羨ましい。とても憧れる。

 しかし、紙面の上で視線を滑らせるだけで、私は決してこの学校でお貴族様と関わろうとは思わなかった。現実と理想は違うのだ。

 この物語の中の主人公が元からお貴族様であり、現実の私が差別階級に属する魔物であるように。


 だから私はいつも図書館の管理とともにこうして恋愛小説を読む。

 ありとあらゆる恋愛小説を読んでいるが、そのどれも面白かった。紙面の中の叶う恋も、叶わない恋も、私の憧れと諦観を優しく撫でて慰めてくれた。


 叶わなかった恋のラブレターから生まれた魔物。だからこそ、私の恋愛は決して叶うことのない運命だろうから。

 魔物である私をお貴族様の通う学校の図書館管理者にするという、随分と大胆なことをしでかしている雇い主には頭が上がらない。トラブルを起こすわけにもいかないから、いつも図書館の隅で腰掛けている。

 ときおり聞こえてくる、人間や魔族の少年少女たちの恋愛話は私をワクワクさせたが、決して踏み込むことはない。どんな目を向けられるかなど知れているからだ。


 そんな日々を過ごしているのが当たり前だった私の前に異変が現れたのは、勤務歴がそろそろ五年以上となるくらいの年のことだった。


 午前の授業が終わったあとのお昼の時間。

 静かな図書館に慌ただしい早歩きの音が響いたと思ったら、私のいる隅っこの席のある場所に人が飛び込んできた。


 息を切らせて、しかし校則違反にならない程度に早く歩いてきたその人は書架に背を預けて息を潜める。


 私と目が合うと、驚いた顔で指先を口元に当てた。

 私も頷いて口を両手で塞ぐ。それからまた、本を開いた。目を逸らすように。


 書架の向こう側でパタパタと無数の足音が聞こえてくる。

 どうやら誰かを探しているようだが、私がいつもいる場所は生徒たちも認知しているのだろう。決してこちら側にはやってこない。生徒たちの大半は魔物などとは関わり合いになりたくないのだ。


 やがて話し声と足音が遠のいていき、図書館を出ていく。

 すると、張り詰めるように剣呑な顔をしていた男子生徒がゆっくりと息を吐いた。


「ご協力感謝する。図書館の魔物殿。いや、レトラ殿だったか?」

「おお、驚いた。まさか私の名前をご存知だとは……ふふ、面白いものを見させていただいた見物料を払ったほうが良いのか迷うところだが……苦労をしているね、魔族の第三王子――ジルリオ様は」


 まさか名前を出されるとは思っておらず、一瞬彼を見つめてしまったがすぐに書籍に視線を戻した。そしてからかうように彼の身分を口に出す。


「不敬……と言いたいところだが、助かったのは事実だ。貴女はいつもここに?」

「でなければお嬢さんがたがここに近寄らない理由にはならないであろうよ」

「それもそうだな……ありがとう。たまに、静かにしたいときにここを利用してもいいだろうか」

「構わないよ。私の読書の邪魔をしないならね」

「助かる」


 それが彼との出会いだった。

 運命的で、ワクワクする出会い。しかし決して期待などするべきではない、ロマンスの欠片もない協力関係。


 だが、私の世界は明確にこの日からなにか違うものに変わっていった。

 ときおり訪れる彼が、私の正面で本を読むようになったからだ。


 だが、その変化が決していいものにはならないと確信していながら……私はそれを受け入れた。


 どうでもよかった。それよりも、叶わない自分の願望を慰めるために恋愛小説の中に浸るのに必死だった。


 そんな日々が半年以上、続いた。

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