第9章:嵐、名を名乗らず
海は、近すぎた。
船の縁から身を乗り出せば、指先が触れてしまいそうな距離。
けれど、その向こう側がどれほど深いのか、俺は知らない。
「……なぁ」
声をかけたが、返事はなかった。
管理人は船尾に腰を下ろし、いつものように海を眺めている。
釣りの最中でも、市場でも、協会の中ですら崩さなかった、あの余裕のある姿勢だ。
「さっきの、あれ」
言葉を探しながら、海を見る。
さっきまで、そこに“何か”がいた。
巨大で、静かで、嵐そのもののような存在。
恐怖より先に、理解が追いつかなかった。
「……魚、なんだよな」
「ええ」
即答だった。
「正確には“恐魚”ですけどね」
冗談めかした調子。
だが、視線は一切こちらを見ない。
「五大恐魚の一角。
全て奪わんとする嵐――ゴーダッシュ」
その名を聞いた瞬間、胸の奥が軋んだ。
忘れるはずがない。
俺から、すべてを奪った存在。
拳を握りしめる。
今なら、殴りかかれる距離だったはずなのに。
「……あいつは」
声が震える。
「敵だ。俺の」
しばらく、波の音だけが続いた。
「さて」
管理人が立ち上がる。
「それを、本人の前で言えますか?」
「……あ?」
次の瞬間、海が割れた。
嵐が、そこにいた。
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