第8章:出航、そしてポータル海域へ

朝は、驚くほど静かだった。


港には霧がかかり、船影がぼやけて見える。

例の中古船は、その中で変わらず浮かんでいた。


……いや。


「直ってる?」


船体の補修跡が減っている。

板の色も、昨日より揃っていた。


「応急処置ですけどね」


背後から、管理人の声。


「約束の前払い、ということで」


「……協会が?」


「ええ。気前がいいでしょう?」


信用できるはずがない。

だが、船は確かに応えている。


エンジンが唸り、船がゆっくりと港を離れる。


「目的地は?」


「ポータル近海」


管理人は、いつもより少し真面目な声だった。


「水深が不安定です。

急に“向こう側”が顔を出す」


「向こう側って」


「異世界です」


軽く言うな、と言いかけてやめた。


霧が晴れる。

海の色が、徐々に変わっていく。


青でも、黒でもない。

どこか、濁ったような――歪み。


「……来たな」


水面が、揺れた。


泡でもない。

波でもない。


空間そのものが、引き伸ばされるように、裂けていく。


「ポータル発生を確認」


管理人が、淡々と言う。


「鑑」


名前を呼ばれ、反射的に竿を握る。


「今回は、釣ってもらいます」


「何をだ」


一拍。


「――“帰り道”を探るための、目印を」


水の裂け目の奥で、

何かが、こちらを見ていた。


それが魚なのか、

それとも――


「覚悟は?」


答えは、分かっている。


俺は一度、深く息を吸い込んだ。


「……逃げるのは、もう飽きた」


竿を構え、糸を垂らす。


海が、応えた。

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