第3節 孤高の玉座に響く虚ろな称賛

 シャンパングラスが触れ合う軽やかな音と、洗練された弦楽器の旋律。

 王都アルカディアの中心に位置する、貴族御用達の高級レストラン。

 その最上階を貸し切って行われているのは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのSランク冒険者――つまり、俺の昇格祝いパーティーだった。


「カナタ様! 先日のワイバーン討伐、素晴らしかったですわ!」

「いやいや、あのドラゴンを素手で殴り倒した武勇伝には敵いませんよ」

「ぜひ我が商会と専属契約を……」

「今度、父に紹介させてください!」


 俺の周りには、着飾った貴族の令嬢や大商会の主たちが群がっている。

 誰もが媚びるような笑みを浮かべ、俺の機嫌を取ろうと必死だ。

 テーブルには見たこともないような高級料理が並び、グラスには黄金色の酒が注がれ続ける。


 これだ。これこそが、俺が求めていた「成功」の景色だ。

 前世の俺が見たら、腰を抜かして失禁するレベルの豪華絢爛な世界。


「……ああ、ありがとう。君のドレスも素敵だよ」

「まあっ! 嬉しい!」


 俺が適当な愛想笑いを浮かべて言葉をかけるだけで、令嬢は頬を染めて身をよじらせる。

 簡単だ。あまりにも簡単すぎる。

 この世界では、力こそが正義であり、最強の力を持つ俺は絶対的な「王」だ。


 ――だというのに。


(……なんだろうな、この感覚は)


 俺はふと、手元のグラスを見つめた。

 黄金色の液面に映る自分の顔は、笑っているはずなのに、どこか能面のように冷めて見えた。


 美味い酒のはずなのに、味がしない。

 美しい旋律のはずなのに、雑音にしか聞こえない。

 周囲からの称賛も、まるで録音されたテープを再生しているかのように、心が動かないのだ。


 『精神耐性EX』のせいだろうか?

 いや、違う。このスキルは悪意や精神攻撃を防ぐものであって、喜びや感動まで奪うものではないはずだ。

 草原で風を感じた時は、あんなにも心が躍ったじゃないか。


「カナタ様? どうなさいましたの?」


 隣に侍っていた、公爵家の令嬢が心配そうに顔を覗き込んでくる。

 その瞳には、熱っぽい好意が見える。

 だが、俺の「耐性」越しの直感は、その奥にある冷徹な計算を読み取ってしまっていた。


(この女は、俺の力が目当てだ。俺がもし力を失ったら、一秒で掌を返すだろうな)


 ふと視線を向ければ、商会の男もそうだ。

 彼が見ているのは俺という人間ではない。俺が生み出す利益と、Sランク冒険者というブランドだ。


 前世では、誰からも必要とされず、無能のレッテルを貼られて死んだ。

 だからこそ、誰からも必要とされ、崇められる今が最高に幸せなはずなのに。

 なぜ、こんなにも胸に隙間風が吹くのか。


 ――孤独だ。


 唐突に、その言葉が脳裏に浮かんだ。

 大勢の人に囲まれているのに、誰とも繋がっていない。

 俺の「強さ」と「地位」に群がっているだけで、誰も「相川カナタ」という中身を見ていない。

 鉄壁の精神耐性は、他人の悪意を弾くと同時に、他人の本心に触れる機会さえも弾いてしまっているのかもしれない。


「……くだらないな」


 俺は小さく呟き、グラスの中身を一気に煽った。

 喉を焼くアルコールの熱だけが、俺が生きて存在していることを実感させてくれる。


 刺激が足りないのだ。

 俺の心を満たすには、こんな予定調和の称賛劇では足りない。

 もっとヒリつくような、魂が震えるような「何か」が必要だ。


「皆様、注目!」


 その時、司会の男が声を張り上げた。


「本日の主役、若き英雄カナタ様より、次なる冒険の目的地について発表がございます!」


 会場が静まり返り、期待に満ちた視線が一斉に俺に集まる。

 俺はゆっくりと立ち上がった。

 そうだ、ここで宣言してやろう。

 この退屈で、ぬるま湯のような安寧を打ち砕く、最高の舞台を。


「……北だ」


 俺は短く告げた。


「北? といいますと、まさか……」

「ああ。『極北の監獄塔』。そこに挑もうと思う」


 一瞬の沈黙の後、会場がどよめきに包まれた。

 悲鳴に近い声も上がる。


「正気ですか!? あそこは禁足地ですよ!」

「誰も帰ってきた者がいない、死の領域です!」

「カナタ様、お戯れを! 貴方のような英雄が、そんな場所で命を散らす必要はありません!」


 公爵令嬢が俺の腕にすがりついてくる。

 その顔は恐怖に引きつっていた。


 だが、その恐怖こそが、今の俺には心地よかった。

 誰もが恐れる場所。誰も成し遂げていない偉業。

 それこそが、俺の空虚な心を満たす唯一の薪になる気がした。


「止めても無駄だ。俺は行くよ」


 俺は令嬢の手を振り解いた。

 彼女はショックを受けたように固まっていたが、俺はもう振り返らなかった。

 ここに俺の求めるものはない。


「俺は最強だ。死の領域だろうが、魔王の住処だろうが、俺の庭みたいなもんだ」


 傲慢な笑みを浮かべ、俺は踵を返す。

 背中越しに聞こえる困惑と称賛の声をBGMに、俺はパーティー会場を後にした。


 この時の俺は、本気でそう思っていた。

 自分は特別で、世界の主人公で、どんな運命もねじ伏せられると。



 数日後。

 俺は王都を離れ、北へと向かう街道を一人で歩いていた。

 馬車も護衛もいない。必要ないからだ。

 襲いかかってくる盗賊や魔物は、すべて俺のストレス解消の道具にしかならなかった。


 気温が下がり、景色が緑から白へと変わっていく。

 吐く息が白くなる。

 だが、『無限再生』を持つ俺の体は、寒さによる凍傷すら瞬時に修復し、体温を維持し続けていた。

 コート一枚羽織るだけで、極寒の雪山を散歩感覚で進める。


「見えてきたな……」


 吹雪の向こうに、天を衝くような黒い影が現れた。

 断崖絶壁の上にそびえ立つ、黒曜石で作られたような巨大な塔。

 周囲の空間が歪んで見えるほどの、濃密な魔力が渦巻いている。


 生物の気配はない。鳥一羽飛んでいない。

 世界から切り離されたような、完全なる静寂。


 普通なら、本能的な恐怖で足がすくむ場面だろう。

 だが、俺の『精神耐性EX』は、その威圧感を「ただの風景」として処理してしまう。


「へえ、いい雰囲気じゃん」


 俺は口角を上げた。

 ようやく、俺に相応しいステージだ。

 この塔の最上階に何があるのかは知らない。

 財宝か、古代の魔導書か、あるいは封印された魔神か。


 何であれ、俺がそれを征服し、世界中に俺の名を轟かせてやる。

 そうすれば、この胸に空いた穴も少しは塞がるかもしれない。


 俺は雪を踏みしめ、塔への道を一歩ずつ登り始めた。

 その一歩が、二度と戻れない「鳥籠」への階段であることにも気づかずに。

 塔の頂で、白銀の髪を持つ天使が、薄目を開けて来訪者を待ちわびていることにも気づかずに。


 俺の自由な旅は、ここで終わる。

 ここから先にあるのは、甘くて、重くて、息もできないほどの愛の物語だ。

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