第二話:鉄の檻

 礼拝堂の門を抜けた先、円形の広場を埋め尽くす霧が、渦を巻いて弾けた。

 そこにいたのは、かつて騎士と呼ばれたものの成れの果てだ。

 騎士が引き摺っていた巨大な鉄塊が、石畳を削りながら振り上げられた。

 男は応えない。先ほど聖女に記憶を焚べ、得たばかりの熱を四肢に巡らせ、地を蹴った。

 身体は軽い。一歩の踏み込みで、間合いを詰める。

 だが、騎士の振り下ろしは、その熱を嘲笑うほどに速く、重かった。

 ――衝撃。

 石畳が砕け、回避した男の頬を鋭い石片が切り裂く。

 男はすれ違いざま、渾身の力で剣を騎士の脇腹に叩き込んだ。

 火花が散る。だが、刃は忘失の錆が幾重にも重なった鎧に弾かれ、手応えは皆無だった。

 捧げた記憶一つ分の熱では、この牢獄の門番を穿つには足りなかったのだ。

 

 騎士の反撃は、あまりに無慈悲だった。

 横なぎに振るわれた鉄塊が、男の正中線を捉える。

 剣の腹で受けようとしたが、衝撃は鋼を突き抜け、男の肋骨を容易く粉砕した。

 身体が宙を舞い、石柱に叩きつけられる。

 吐血と共に、意識が急速に混濁していく。

 

 傷口から、周囲の灰が入り込み、急速に錆へと変わっていく。

 それは敗北の代償であり、この世界に留まる者が逃れられぬ呪い。

 

 脳裏にあった女の横顔が、砂嵐のような雑音に変わる。

 自分がなぜ剣を握っているのか。なぜこの門を抜けたかったのか。

 その確信が、指先からこぼれ落ちる砂のように、さらさらと失われていく。

 これは奉納ではない。呪いによる、理不尽な剥落だ。

 騎士が、止めを刺すべく鉄塊を高く振り上げた。

 男の瞳から、意思の光が消える。

 …………。

 次に意識を浮上させたとき、視界に映ったのは、見覚えのある崩れた天井だった。

 

 男は、女神像の足元で横たわっていた。

 ゆっくりと顔を上げると、白布で目を覆った聖女が、静かに彼を見下ろしている。

 男は自分の右腕を見た。

 手首までを、醜く赤黒い錆が硬く覆っている。

 死を繰り返すたびに、彼は物へと近づいていく。

 かつての熱はすでに冷え、四肢には呪いの重みが沈殿していた。

「……おかえりなさい。迷える人よ」

 聖女が、慈しむように、細い手を差し伸べる。

「今のあなたは、戦う力さえ錆びついている。……さあ、私に聞かせてください。あなたがまだ持っている、その尊い記憶を。さらに多くを焚べぬ限り、その錆は落ちませぬ」

 男は、震える手で彼女の指先を握った。

 より深く自分を削らなければ、あの鉄の壁を越えることはできない。

 出口を求めるほどに、自分が人間であった証を失っていく。

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