第3話「作戦立案と小さな罠」
家に帰ると、母が心配そうな顔で玄関まで飛んできた。
「お帰りなさい、綾。どうだった? 話、聞いてくれた?」
「いいえ、予想通り。聞く耳持たず、でした」
私は靴を脱ぎながら、淡々と報告する。
母は「やっぱり……」と肩を落としたが、私はその背中を軽く叩いて励ました。
「落ち込む必要はないわ。話し合いができないなら、次のステップに進むだけだから」
私はリビングのテーブルに、帰りにホームセンターで購入してきた「資材」を広げた。
金属製の杭が四本。
頑丈なトラ柄のロープ(黄色と黒の縞模様のやつだ)。
そして、『私有地につき立入禁止』と書かれた赤字の看板。
最後に、南京錠付きのチェーン。
それを見た母が、目を丸くする。
「綾、これ……本気なの? まさか、あの方の車を傷つけるつもりじゃ……」
「まさか。そんなことをしたら、こっちが器物損壊で訴えられるわ」
私は冷静に説明した。
日本の法律は、個人の財産権を守る一方で、「自力救済の禁止」という原則がある。
いくら違法駐車とはいえ、他人の車を勝手にレッカー移動したり、タイヤをロックしたり、傷をつけたりすれば、逆にこちらが不利になる。
相手はその「民事不介入」と「自力救済の禁止」のグレーゾーンに胡座をかいているのだ。
「だから、車には指一本触れない。私が触るのは、あくまで『うちの土地』だけよ」
私は杭を一本手に取り、その切っ先を確かめるように撫でた。
「車が停まっていない時に柵を作るなら問題ないけれど、車がある状態で出られなくするのは、監禁罪や威力業務妨害に問われるリスクがゼロではない。……でもね」
私は不敵に笑った。
「相手は『勝手に停めている』のよ。こっちは『自分の土地に杭を打つ』だけ。もし出られなくなったとしても、それは『他人の土地の奥深くに勝手に入り込んだ人』の自業自得。警察が民事不介入と言うなら、これもまた民事の範疇よ」
警察が動かないなら、警察が介入できない状況を逆手に取る。
これは賭けだが、相手の性格を考えれば勝算は高い。あの女は法律に詳しくない。ただのゴリ押しで生きている人間だ。
「それと、もう一つ大事な仕掛けが必要ね」
私は自室からパソコンとプリンターを引っ張り出し、名刺作成ソフトを立ち上げた。
既存のデザインテンプレートを使い、シンプルな名刺を作る。
そこに入力するのは、私の名前と携帯番号。
そして、あえて大きく『実家の住所』。
「名刺? 何に使うの?」
「挨拶用よ。これからバリケードを作るけれど、連絡先も書かずに閉じ込めたら、相手は『緊急避難』だとか言って柵を壊す正当性を主張しかねない」
私は刷り上がったばかりの名刺をカッターで切り分けながら、意図を明かす。
「だから、連絡先を渡すの。『出したいなら、ここに連絡してこい』ってね。そうすれば、相手は柵を壊す前に、必ず私にコンタクトを取らなきゃいけなくなる」
そして、ここからが本当の狙いだ。
「相手は逆上して、きっと怒鳴り込んでくるわ。電話か、あるいは直接この家にね。……それこそが、私の狙い」
公衆の面前での言い争いは避けたい。目撃者の証言がどう転ぶかわからないからだ。
だが、電話なら録音ができる。
家に乗り込んでくれば、住居侵入や脅迫の証拠が取れる。
相手を、私の土俵(テリトリー)に引きずり込むための招待状。それがこの名刺だ。
「お母さん。明日の朝、あの車が来たら作戦決行よ」
「……綾。あなた、本当に変わったわね。昔はもっと、おっとりしていたのに」
「そうね。あの家での二年間が、私を変えたのよ」
私は熱いお茶を一口すする。
元姑は、私に「笑顔で毒を吐く技術」と「周到に外堀を埋める忍耐力」を叩き込んでくれた。皮肉なことに、そのスキルが今、実家を守るために役に立っている。
「さあ、明日は忙しくなるわよ」
私は杭とロープを玄関先に並べた。
準備は整った。
あとは、獲物がかかるのを待つだけだ。
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