第2話「不法駐車主婦との初対峙」


 翌朝。私は朝食を早々に済ませると、問題の土地へと向かった。


 時刻は八時四十五分。母の情報通りなら、そろそろ「奴」が現れる時間だ。


 祖父が遺したその土地は、住宅街の角地にあり、確かに手入れが行き届いているとは言い難かった。

 夏草が腰の高さまで伸び、フェンスの一部は錆びついている。


 だが、だからといって他人が勝手に使っていい理由にはならない。


「……来たわね」


 八時五十分。

 一台のシルバーの軽ハイトワゴンが、慣れた手つきで敷地内に滑り込んできた。

 バックモニターがついているのか、ギリギリまでフェンスに寄せ、堂々とエンジンを切る。


 運転席から降りてきたのは、四十代半ばと思しき女性だった。

 茶色く染めた髪は根本が黒く伸び(いわゆるプリンだ)、派手なピンクのエプロンをつけている。近所のスーパーの制服だろう。


 彼女は車を降りると、当然のように鍵をかけ、歩き出そうとした。

 私はその前に立ちはだかる。


「おはようございます。ちょっとよろしいですか?」


 私が声をかけると、女は露骨に「げっ」という顔をした。

 眉間のシワ。歪んだ口元。昨日の今日で、また家の人間が出てきたことが不満らしい。


「……何よ。昨日の今日で、また文句?」


「文句ではありません。警告です。ここは私有地です。無断駐車はやめてくださいと、母からもお願いしたはずですが」


 私は努めて冷静に、事務的な口調で告げた。

 感情的になったら負けだ。元姑との生活で学んだ鉄則である。


 しかし、女は鼻で笑った。


「はぁ? 固いこと言わないでよ。見ての通り、草ぼうぼうの空き地じゃない。誰も使ってないんでしょ?」


「使っているかいないかは関係ありません。ここは個人の所有地です」


「だからさぁ! あたしが車を停めることで、草が生えるのを防いであげてるのよ? むしろ感謝してほしいくらいだわ」


 驚くべき理論だ。

 不法侵入しておいて「草むしり代わりになるから感謝しろ」とは。

 この手の人種は、自分に都合のいいルールを脳内で作り出す天才だ。


「感謝するつもりはありません。直ちに移動してください。でなければ、警察に通報します」


「けいさつぅ? あはは、昨日も来たけど、何もしなかったじゃない!」


 女は勝ち誇ったように笑った。


 警察が民事不介入であることを、この女は完全に学習してしまっている。

 「やったもの勝ち」という成功体験が、彼女のモラルを完全に麻痺させていた。


「あんたんとこのお婆さんにも言ったけどねえ、こっちは生活かかってんのよ。近くのコインパーキングなんて高くて止められないし、パート代なんてたかが知れてるの。金持ちが貧乏人いじめて楽しい?」


「……不法行為を正当化する理由にはなりません」


「うるさいわねぇ! 大体あんた、誰よ。……ああ、そういえば聞いたわよ」


 女は私の顔をジロジロとねめ回し、下卑た笑みを浮かべた。


「あんた、小鳥遊さんちの出戻り娘でしょ? 旦那に捨てられて帰ってきたんだってね」


 ピクリ、と私の眉が動いたかもしれない。

 町内の噂ネットワークは光の速さだ。


「三十にもなって親のスネかじり? 暇でいいわねぇ。あたしはこれから仕事なの。あんたと違って忙しいのよ」


「……」


「邪魔しないでくれる? そこ、どいて」


 女は私の肩をドンと突き飛ばし、足早に去っていった。

 スーパーの方角へ消えていく背中には、「勝った」という優越感が滲み出ていた。


 残された私は、砂利の上に立ち尽くす。


 ……普通なら、ここで悔し涙を流すところだろうか。

 あるいは、怒りに震えて怒鳴り散らすところだろうか。


「ふふっ」


 漏れたのは、乾いた笑い声だった。


 甘い。甘すぎる。

 元姑の言葉のナイフは、もっと鋭利で、もっと内臓をえぐるような毒を含んでいた。

 それに比べれば、今の女の悪態など、道端の犬に吠えられた程度のこと。


 私はポケットからスマホを取り出した。

 録音停止ボタンを押す。

 今の会話は、すべてクリアに記録されていた。


「『感謝してほしい』に『金持ちのいじめ』……そして私の素性を知った上での侮辱。いただきました」


 私はスマホの画面を見つめ、冷ややかに呟く。


「交渉決裂ですね。――これにて、心置きなく『駆除』できます」


 私は女の車のナンバープレートと、タイヤの位置、そして今の時刻を写真に収めると、静かに踵を返した。


 警告はした。チャンスは与えた。

 それを蹴ったのは、あちらだ。


 さあ、準備を始めよう。

 明日、この場所は「駐車場」ではなく「処刑場」に変わる。

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