出戻り令嬢の論理的復讐 ~「ここは私有地です」と警告したら「ケチくさい」と逆ギレされたので、法と知能で完全論破して、ついでに実家の負動産も買い取らせてやりました~

品川太朗

第1話「出戻り令嬢、実家へ帰還」



 実家の縁側で啜るほうじ茶は、どうしてこうも五臓六腑に染み渡るのだろうか。


「……生き返った気がする」


 私、小鳥遊(たかなし)綾、二十八歳。

 三日前に離婚届を提出し、この実家へ戻ってきたばかりの、いわゆる「出戻り」である。


 結婚生活はわずか二年。

 だが、その中身は「地獄」という言葉ですら生温かいものだった。


 都心の一等地に立つ、夫の実家での同居生活。

 そこで私を待ち受けていたのは、地域でも有名な名家を気取る姑による、陰湿かつ苛烈なイビリの数々だった。


『ちょっと綾さん、廊下の雑巾掛け、まだ終わらないの? これだから育ちの悪い娘は困るわ』

『跡継ぎも産めない石女(うまずめ)に、食わせる飯なんてないのよ』


 朝は四時に起きて朝食の支度、夜は姑の足のマッサージが終わるまで眠れない。

 夫に助けを求めても、彼はスマホから目を離さずにこう言うだけだった。


『母さんも悪気はないんだから、綾がもっと上手くやってくれよ』


 ――あぁ、思い出すだけで吐き気がする。


 私はその「戦争」に敗れた。いや、心が壊れる前に撤退を選んだのだ。

 慰謝料なんていらない。とにかくあそこから逃げ出したい。その一心で判を押し、着の身着のままで逃げ帰ってきた。


 もう、戦わなくていい。

 誰にも罵倒されず、自分のペースで息ができる。

 この平穏こそが、傷ついた私への最大の治療薬だと思っていた。


 ……そう、今の話を聞くまでは。


「綾、ちょっといいかい?」


 障子の向こうから、母の遠慮がちな声がした。

 母は優しく、争いごとを好まない典型的な良妻賢母だ。私が離婚して戻ってきた時も、何も聞かずに温かく迎え入れてくれた。


 だが、今の母の顔色は優れない。眉間に深い皺が刻まれている。


「どうしたの、お母さん。そんな暗い顔して」


「実はね……例の土地のことなんだけど」


 例の土地。

 実家から徒歩五分ほどの場所にある、祖父が遺してくれた五十坪ほどの更地だ。

 将来的にアパートでも建てようかと話していたものの、父が亡くなってからは管理が行き届かず、雑草が生い茂るままになっていた。


「また、誰かがゴミでも捨てていったの?」


「それならまだマシなんだけど……。ここ一ヶ月くらい、ずっと知らない車が停まっているのよ」


 母の話によれば、近所のスーパーのパート従業員らしき女性が、我が家の土地を勝手に「マイ駐車場」として使い倒しているらしい。

 朝の九時から夕方の五時まで。毎日きっちりと、堂々と。


「一度、現場で注意したのよ。『ここは私有地ですから』って。そうしたら……」


「そうしたら?」


「『どうせ使ってないボロ土地でしょ? ケチくさいこと言わないでよ』って、逆に怒鳴られてしまって……怖くて、もう何も言えなくて」


 母の震える声に、私の奥底で燻っていた「種火」がパチリと音を立てた。

 優しい母を恫喝する? 人の土地を盗んでおいて?


「警察には? 通報したんでしょう?」


「ええ、したわ。でも……」


 母は悔しそうに唇を噛み、警察官に言われた言葉をそのまま口にした。


「『私有地内のトラブルには介入できません。民事不介入ですから、当事者同士で話し合ってください』……ですって」


 出た。民事不介入。

 法律の壁を盾に、警察が仕事をしない時の魔法の言葉だ。


 公道なら駐禁切符を切れるが、私有地では警察は手出しできない。

 レッカー移動させようにも、自力救済の禁止という厄介な原則があり、勝手に動かせば逆にこちらが器物損壊で訴えられるリスクがある。


 それを知ってか知らずか、相手は図に乗っているのだ。

 大人しい高齢女性が所有者だと舐めてかかり、「警察は動かない」と高を括っている。


「……お母さん」


「な、なに? 綾」


 私は飲み干した湯呑みを、コトリとテーブルに置いた。

 不思議と、心は凪いでいた。


 あの地獄のような嫁姑戦争の日々。毎日浴びせられた罵詈雑言。人格を否定され続けた二年間。

 それに比べれば、見ず知らずの他人の悪意など、そよ風のようなものだ。


 だが――許す理由は一つもない。


 やっと手に入れた私の安息の地(サンクチュアリ)を、土足で踏み荒らす輩がいる。

 しかも、私を守ってくれた母を泣かせた。


 私の脳内で、錆びついていたスイッチが「カチリ」と切り替わる音がした。


 戦闘モード。

 あの家で生き残るために身につけた、鉄のメンタルと冷徹な思考回路が、急速に再起動していく。


「その土地の権利書と、これまでの経緯をメモしたもの、ある?」


「えっ? ええ、あるけど……綾、何をするつもり?」


 私は母に向かって、久しぶりに心の底からの笑顔を見せた。

 それはきっと、母が知っている「優しい娘」の笑顔とは、少し違っていたかもしれない。


「安心して。警察が動かないなら、私たちが動けばいいだけよ」


 話し合い? 当事者同士の解決?

 上等だ。望むところである。


 相手が「民事」を盾にするなら、こちらも「民事」の恐ろしさを骨の髄まで教えてやるまでだ。


「さあ、お母さん。戦争(ケンカ)の時間よ」


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