第3話 第2話:話は、まだ通じている

 返信が来るまで、半日ほど空いた。

 すぐに返ってこなかったことに、なぜか少し安心した。


 仕事のメールというのは、

 早すぎても、遅すぎても、ろくなことにならない。

 その点では、ちょうどいい間だった。


 件名は、簡潔だった。


 ――原稿について


 心臓が一度だけ跳ねてから、

 すぐに落ち着く。

 大丈夫だ。

 まだ何も決まっていない。


 添付ファイルはない。

 本文だけのメールだった。


 俺は深呼吸をしてから、

 画面をスクロールした。


〈依頼主からのメール〉


  ご連絡ありがとうございます。

  原稿、拝見しました。


  まず、全体としてとても丁寧に書かれていると感じました。

  読みづらさはなく、構成も整理されています。


  特に、冒頭で主人公が置かれている状況の説明は分かりやすく、

  読者が迷わず物語に入っていける点は評価できます。


  ただ、いくつか気になる点があります。


  全体として、少し「考えすぎている」印象を受けました。

  設定や背景を丁寧に説明しようとするあまり、

  物語が前に進む前に立ち止まってしまっているように感じます。


  小説において大切なのは、

  読者に考えさせることではなく、

  まず体験させることです。


  読者は、すべてを理解したいわけではありません。

  むしろ、理解できない部分があるからこそ、

  物語に引き込まれます。


  ですので、

  もう少し説明を削り、

  思い切って展開を優先してみてください。


  今回の原稿は、

  方向性としては決して悪くありません。


  少し肩の力を抜いて、

  「書きたいように書く」ことを意識してみてください。


 読み終えて、

 俺は画面から目を離した。


 ……なるほど。


 言っていることは、わかる。

 かなり、わかる。


 むしろ、

 自分でも薄々感じていたことだった。

 丁寧にやりすぎている。

 安全な書き方をしている。


 それを、

 ちゃんと言葉にして指摘してくれている。


 正論だ。

 優しい正論。


 ダメ出し、というほどでもない。

 方向修正の提案に近い。


 俺は少しだけ、胸をなで下ろした。


 話は、通じている。


 少なくとも、

 このメールを読む限りでは。


 「考えすぎている」

 「説明を削る」

 「展開を優先する」


 どれも、理解できる。

 納得もできる。


 むしろ、

 これを飲み込めない方が、

 仕事としては危うい。


 俺はもう一度、

 メールを読み返した。


 最後の一文に、

 少しだけ引っかかる。


 ――「書きたいように書く」。


 さっきまで、

 考えすぎるな、と言われていたはずなのに、

 今度は、

 自由に書け、と言われている。


 まあ、いい。

 よくある話だ。


 言い方の問題で、

 本質は同じだろう。


 そう思うことにした。


 俺は新しいファイルを開いた。

 今度は、

 さっきよりも勢いを意識して。


 説明は削る。

 展開を前に出す。

 考えすぎない。


 話は、通じている。

 少なくとも、今は。


 そのときの俺は、

 この「通じている」という感覚が、

 どれほど脆いものかを、

 まだ知らなかった。

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