第2話 第1話:着手金が振り込まれました
返信は、思っていたより早く届いた。
丁寧な文章で、失礼のない挨拶から始まり、こちらの返事への感謝が述べられている。
文面は相変わらず整っていて、句読点の位置まで落ち着いていた。
内容は、拍子抜けするほど普通だった。
――ぜひお願いしたい。
――詳細は追って相談したい。
――まずは着手金を振り込む。
それだけだ。
添付されたPDFには、簡単な業務内容と振込予定日が書かれていた。
契約書というほど仰々しくはないが、
仕事として成立する最低限の形は整っている。
振込予定日は、今日だった。
俺は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
予定日が今日、ということは、
つまりもう――ということだ。
ネットバンキングを開く。
残高の表示が更新されるまで、ほんの数秒。
その数秒が、やけに長く感じられた。
数字が変わった。
一瞬、何が増えたのかわからなかった。
見慣れない桁が一つ増えていて、
それを理解するまで、少し時間がかかった。
着手金だった。
メールに書かれていた金額が、
本当にそのまま振り込まれている。
俺は椅子にもたれかかった。
疑う余地がなくなった、という事実が、
じわじわと身体に広がっていく。
仕事だ。
もう、これは仕事になってしまった。
すぐにお礼のメールを書いた。
形式的な文面だが、
少しだけ言葉を選んだ。
送信してから、
なぜか急に部屋が静かになった気がした。
その日のうちに、
追加のメールが届いた。
今度は、少しだけ具体的だった。
――まずは自由に書いてほしい。
――形式も、長さも、内容も任せる。
――あなたが「小説」だと思うものを。
条件は、それだけだった。
拍子抜けするほど、優しい。
むしろ、こちらが不安になるくらいだ。
俺はしばらく考えた。
いや、考えすぎないように、考えた。
自由に書いていい、という言葉ほど、
扱いに困るものはない。
それでも、これは悪くないスタートだと、
どこかで思っていた。
久しぶりに、新しいファイルを開く。
仕事用のテンプレートではない。
真っ白な画面だ。
何を書くか。
どう書くか。
どこまで書くか。
考えることはいくらでもあったが、
その日は、不思議と手が止まらなかった。
数時間後、
短いプロットのようなものができていた。
まだ箱書きとも言えない、
思いつきのメモに近いものだ。
これでいいのかは、わからない。
でも、送らなければ始まらない。
ファイルを添付して、
簡単な一文を添える。
――まずは、こんな感じで考えてみました。
送信。
その直後、
俺は初めて、この仕事の怖さを意識した。
もう、戻れないところまで来ている。
そういう実感だけが、
静かに残った。
条件は、まだ優しかった。
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