ご注文は不条理ですか? ― 考えるな!書けと言われました ―

あおがね瑠璃

第1話 第0話:破格の依頼は、だいたい碌なものじゃない


 その依頼は、メールの件名からして少し丁寧すぎた。

 金額だけが現実感を失っていて、何度か桁を数え直した。

 内容は、小説を書いてほしい、ただそれだけだった。

 条件も、納期も、特別なことは何も書かれていない。

 ただ一つだけ、なぜか胸の奥がざわついた。


 差出人の名前は聞いたことがなかった。

 企業名でも、出版社名でもなく、個人名らしきものが一つ。

 フリーライターをやっていると、こういう依頼は珍しくない。

 珍しくないはずなのに、そのメールは妙に整いすぎていた。


 文章がきれいすぎるのだ。

 敬語の使い方も、行間の取り方も、署名の位置も、すべてが正しい。

 まるで「正しい依頼文の見本」をそのまま貼り付けたみたいだった。


 金額をもう一度見る。

 やはり見間違いではない。

 相場の倍どころか、三倍近い。

 しかも着手金あり、と書かれている。


 俺は椅子に深く座り直した。

 こういうとき、人は二種類に分かれる。

 すぐに「怪しい」と切り捨てられる人と、

 切り捨てる前に、もう一度だけ読んでしまう人だ。


 俺は後者だった。


 生活は楽じゃない。

 専業のフリーライターになってから、

 安定という言葉とは縁がなくなった。

 今月の支払いを思い出し、

 頭の中で静かに計算をする。


 内容は、本当にシンプルだった。


 ――小説を書いてほしい。

 ――ジャンルは自由。

 ――細かい指定は、後ほど相談しながら決めたい。


 それだけ。


 おかしい。

 破格の報酬に対して、要求が軽すぎる。

 軽すぎて、逆に重い。


 小説、という言葉に、少しだけ指が止まった。

 俺はライターだ。

 文章を書く仕事で食べてはいる。

 でも、小説家ではない。


 いや、正確に言えば、

 なれなかっただけだ。


 返信を書くべきか、無視するべきか。

 しばらく画面を見つめたあと、

 俺はテンプレートではない文章で返事を書いた。

 失礼のないように、

 でも期待しすぎないように。


 送信してから、

 少しだけ後悔した。

 こういう依頼は、

 だいたい碌なものじゃない。


 それでも、

 画面に表示された「送信済み」の文字を見て、

 なぜか少しだけ肩の力が抜けた。


 そのときはまだ、

 「考えるな」と言われる日が来るなんて、

 思ってもいなかった。

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