第2話

王の主催により始まったパーティーは、普段社交界で行われるものより何倍も騒がしかった。穏やかで人好きするゴロンボ王の「今夜は無礼講で」という言葉を皮切りに、公爵も子爵も、立場など関係ないと言った様子で楽しそうに戯れ、酒を飲み、その空気とアルコール酔っている。あまりにも緩んだ空気に、普段であれば「貴族としての品がない」と怒りを覚えるセーラだったが、今日はそれがありがたいことこの上なかった。ーーここまで騒がしければ、少女が一人不審な動きをしたところで、そこまで目立ちはしないはずだ。

セーラは仲のいい令嬢達との雑談をキリのいいところで切り上げると、そのままそこを離れ、せかせかと働く使用人達の群れへ足を向けた。そうしてその中の1人、茶色のボードにワイングラスを載せたシェフ風の男に声をかける。


「ごきげんよう」


「……あ、アーテスト侯爵家の…!失礼しました、何か粗相がありましたか!?」


実質政治権を失ったとはいえ、アーテスト侯爵家が王族の次に強い立場であるという事実は変わらない。その一人娘であるセーラなど、普通であれば目を合わせることすら不敬に当たる存在だ。そんな彼女に話しかけられ、男は恐怖と困惑で顔を青くしながら、とにかく気を悪くさせないようにと細心の注意を払いながら口を開きそう言った。セーラはにっこりと微笑んで首を振る。


「いいえ。とても美味しい料理です、いつもありがとう。…それより、そこのワイン。二つもらっても?」


セーラの指さす先には、赤のワインが入ったグラスが何本も乗せられている。向こうには白ワインもあったが、薬を誤魔化すには濃い赤の方がいいだろう。


「…いえ、アーテスト家のご令嬢のお手を煩わせるわけには。わたくしが責任を持ちお席まで運ばせていただきます」


「いいのよ。ほら、ファルス殿下、人見知りでいらっしゃるでしょう。知らない方よりも私が持って行った方が、きっと美味しくいただいてくれるとおもうわ」


「ああ、なるほど!そうですね、婚約者様想いの素晴らしいお考えだと思います。…それではこちら、よろしくお願いします。」


すっかり騙された男は、赤のワインを二つ差し出した。セーラはそれを微笑みながら受け取ると、その場から離れ、人気の少ない席の方へ持って行った。

周りを見る。……誰も見ていない。

今のうちだ、と、ドレスの胸元から小瓶に入れた毒薬を取り出した。そしてそのままワインの中に入れ、マドラーで混ぜる。

しかしここでミスが起きた。薬の青が思ったよりも強く浸食し、ワインが紫色に変色してしまったのだ。

さすがにこれを馬鹿正直に飲む女はいないだろう。例えあのアホ面の一般人だろうが。

セーラはちらりと目を向ける。憎たらしいあの女は、質素なドレスに身を包み、ファルスと楽しそうに言葉を交わしていた。


……どうにか。どうにかしなければ。


紫色のワインを持ったまま必死に思考を巡らせていると、ぱたぱた、と音がした。音の方に目をやると、レインが安っぽい靴で軽い足音を立てながら扉の方へ早歩きでかけていた。


運はやはり、こちらに向いている。


セーラはニヤリと笑うと、そのまま自身も扉の方に向かった。

仕方がない。できるだけ手は汚したくなかったが、この毒薬を飲ませさえすればこちらのものだ。


彼女の口に無理やりこれを流し込み、毒であると告げる。そうして命の危機に焦る滑稽なあの女を見つめながら、解毒薬を見せつけてこういうのだ。「これが欲しければファルスから手を引け」、と___

この後の展開にほくそ笑みながら、セーラは扉を出る。同時にレインが会場から一つ先にある部屋に駆け足で入っていくのを見た。…あれは確か、物置だったはずだ。本来であればその不審な動きにおかしさを覚えてもいいはずだったが、もうすでに勝ちを確信して完全に慢心していたセーラは、自身の脳内に勝利の未来を浮かべながら、堂々とその扉を開いた。


「こんにちは」


セーラは全てを手にしたような、余裕そうな笑みを浮かべながらそういう。レインは困惑したような様子でこちらを見た。


「貴方は……」


「私はセーラ・アーテスト。…ファルス殿下の婚約者といったらわかりますか?」


「ファルスの?」


レインが驚いたように目を見開いてそういう。ーーファルス。平民の女如きが、第一王子である彼を、あろうことか呼び捨てで呼んでいる。それも、まるで婚約者たるセーラに親しいことを見せつけるように…!!セーラはあまりの怒りにまかせ、レインの体に肩からぶつかり、そのまま床に転ばせた。ずてん、と女が鈍い音を立てて尻餅をつく。


「い、痛い!」


「このアバズレ!お前、誰の男に手を出したと思っているの!」


女は卑しい泥棒のくせに、まるで被害者のような顔をしてこちらをみた。大きな丸い瞳が、涙でなのかうるうると濡れている。こうして可哀想な女のようなふりをしてあざとく可愛い子ぶり、そうして彼を誑かしたのだろう。言いようのない怒りが煮えたぎり、腹の奥から喉まで競り上がってくる。このクソ女、この売女!!

セーラは彼女の前髪を乱暴に鷲掴み、無理やり上を向かせた。そうしてかたかた震えながら弱々しい力で抵抗する女の口元に、持っていた紫の液体を無理やり流し込む。入り切らなかった分がたらりと口の端から垂れ、妖艶な表情が垣間見える。ああ、ファルスもこの女のこのような性的な姿に誘惑され、色仕掛けに落ち、私と婚約を破棄したのだろう。許せない、許せない許せない許さない!!この女!

その弱った女にとどめの拳でも入れてやろうと、セーラは手を強く握りしめ力を入れた。しかしその瞬間、特に油断していなかった足元を払われて、その場で体制を崩した。


「……っは、!?」


レインは起き上がると、崩れて倒れたセーラのドレスの襟元を掴み、そのまま勢いよく口つけた。そのまま徐に舌が口内へ侵入してきて、ざらざら、と口腔内をうごめく。

きもちわるい。得体の知れない、これまで感じたことのない蕩けるような快楽が、さらにその嫌悪感を強めてくる。そうしてそのまま、生ぬるい暖かい液体が口内にたれてきた。やめろ、と声を上げようとしたところで、精一杯閉じていた喉が開き、流れ込み____しまった、と思う間もなくごくんという感覚がした。飲み込んでしまったのだ。

勢いよく頭を彼女の胸元にぶつけて突き飛ばし、指を口の中に入れる。精一杯喉をつくが、空の嗚咽が出るだけで、中身が出てくることはない。何度やっても、何度やっても。

そんなセーラをレインは愉快そうな顔でニヤニヤ眺めていたが、やがて飽きてつまらなくなったのか、一変冷たい表情を浮かべて彼女の横腹を蹴り飛ばした。その軽い体は衝撃によって跳ねるように転げて、白い壁に打ち付けられる。彼女はそのあとゆっくりそばに近づくと、セーラの前に小瓶をみせつけて、中の液体をゆらゆらと動かしながら、まるで慈悲深い聖女様のように麗しく微笑んだ。


「これが欲しいなら、私の犬になってよ」


ーー透明なガラスの小瓶。中の桃色の液体。間違いない、自分が用意していた解毒薬だ。

まさか、まさか奪われたのか?いや、そんなわけがない。あれはちゃんと部屋の棚に置いたはずだ。……いや、でもこれは完全に、でも、そんなはずは…………

セーラが何の返事もしないことに痺れを切らしたのか、レインはその蓋を開けた。それからそれをゆっくりと傾けようとする。


「っえ、あ、ちょっと、」


ピンク色の液体がどんどん斜めに滑り落ちそうになっていく。粘度が高いからか、ギリギリまでいってもまだ落ちていない。それでも時間の問題だ。悔しいし、辛いし、憎い。それでも、命は惜しい。セーラはあまりの屈辱にわなわなと震えながら、口を開いた。


「………なるっ。犬になる、なるから!」


「犬のくせに、人の言葉を喋るんだ?」


「……わ、わん。」


その言葉に、女は楽しそうに笑った。

それから顎の下をこすこすと摩られる。

セーラはそれをぼんやりとした目で受け入れながら、どうしてこうなってしまったのだろうと無気力に思った。

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