第4話

 僕の横をすり抜けたテレスが向かった先は、僕がこの家に訪れて最初に入った部屋だった。


 思いつく限りの場所に、古い懐中時計や錆びついた銀食器など、一見するともはやガラクタと思えるような物が、ところせましと陳列されている部屋。


 ここに入った時は、音の出所を探すことで頭がいっぱいで、あまり良く見ていなかったが、よくよく見ていくと、状態が万全であればそれなりの価値がありそうな物がちらほらと見受けられた。


「......えっと、面白い物っていったい」


 何となく近くに置いてあった、よくわからない小さな入れ物を手に取りながら質問する。


「人の家の物を勝手に弄りながら、その家主に質問とは、君はなかなか肝が据わっているね」


 ちょうど部屋の中心で立ち止まったテレスが言う。


「いや、それほどでも」


 そう言って僕は、手に持っていた小物をもとあった場所に戻した。


「ちなみに言っておくと、今のはべつに褒めてはいないからね」


 テレスが冷ややかな視線を送ってくる。


「知ってるよ」


「それは良かった。もしも気付いていなかったらどうしようかと思ったよ」


 どこか呆れたような声で、テレスが肩をすくめた。


「それで、面白いものっていったいなんなのさ」


 僕は、自分の失態を一刻も早く、うやむやにするために質問を続けた。


「そうだね。せっかちな君のためにも、あまり焦らさずに見せてあげるとしよう」


 テレスがゆっくりと両手をひろげる。


 どこからか、楽しげな話し声が聞こえてきた気がした。


 しかしそれは、決して気のせいなどではなく、少しずつ少しずつその存在を確かなものにしていく。


 沸き立つ暖かな光が、辺りをゆっくりと満たしていく。


 誰かから渡され、その生涯が終わるその時まで、絶えず時を刻み見守ってきた。


 暖かな家族の団らんを、いろどり続けてきた。


 美しく暖かな音色で、誰かの心を励まし続けてきた。


 楽しかったこと。


 悲しかったこと。


 嬉しかったこと。


 寂しかったこと。


 気がつけば薄暗く冷たい空間は、暖かな温もりと光で溢れかえっていた。


「......きれいだ」


 自然と口から言葉がもれた。


「これは、忘れられたものたちの記憶。生涯を連れ添い渡り歩いてきた、その永いようで短かった歴史のほんの一部だよ」


 光と思い出の中で、テレスが微笑む。


 世界から忘れ去られた物たちの幸せの記憶。


 最後は捨てられ、忘れられる運命だったのだとしても、報われる最後ではなかったとしても、その暖かな光景と楽しげな会話が、今はとても心に染み渡っていく気がした。


 暖かく優しい光に見とれていると、唐突にかわいた音が鳴り響いた。


「さて、今日はここまでにしておこう」


 あまりに唐突で、尚且つ光に見とれていたため、しばらくはその音が、テレスの手のひらを叩いた音だと気がつかなかった。


「あまり長く見すぎても、良いものではないからね」


 先程まで部屋を満たしていた光が、嘘のように消えてなくなってしまった。


 僕はしばらく何も言えずに、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。


「それではあらためて問うけれど、私になにか聞きたいことはないかい?」


 テレスが、仕方ないといった感じに口を開いた。


「あ、ああ、えっとさっきの光はいったい?」


 テレスの言葉に、僕の意識は一気に現実へと引き戻された。


「つい今しがた説明したとおりだよ。世界から忘れ去られたものたちの記憶だ。それ以下でもそれ以上でもない」


 先程までとは違い、今の薄暗い状況ではテレスの表情を読み取ることはできなかった。


「まったく、一度説明したことはせめて四日は忘れないでいてもらいたいものだね」


 きっとまた、呆れたような表情を浮かべているのだろう。


 今の台詞を聞けば、表情が見えなくても容易に想像できてしまう。


「さっきは、光に夢中だったから」


 とりあえずここは大人に叱られる子供を見習って、自らの名誉と保身のために、安っぽい言い訳を述べておくことにした。


「たしかに始めて目にするものに、心奪われる気持ちはわからなくはないけれどね」


 よかった。


 どうやらテレスも分かってくれたらしい。


 やはり、人間話し合えば理解しあえるものだ。


 僕は表では平静を装いながらも、心のなかでほっと胸を撫で下ろした。


「けれどね、それでも常に隣人の声には耳を傾けておくものだよ。でなければ君はいずれ、かけがえのない大切な言葉を聞き逃すことになるだろう」


 そんな僕の安堵を打ち砕くかのように、テレスがいい放つ。


 その声はむしろ先程よりも、幾分怒りが増しているようにさえ思えた。


 やはりこういうときは、下手に言い訳なんかせずにおとなしく叱られておけ、というテレスからの忠告なのだろうか?


 いつの世も、子供はこうして叱られかたを学んでいくものなのだ。


「ごめんなさい」


 故に、ここはそんな先人たちと自分の経験を尊重して、おとなしく謝罪の言葉を口にすることにした。


「わかればよろしい。そうやって素直に人の言葉を受け入れられるのは、君の長所だからこれからも大切にしたまえ」


 側にあった丸椅子に、テレスがちょこんと腰を下ろす。


 背丈ほどもある黒髪が背もたれを流れて、床へと届きそうになっていた。


「それで? いよいよ何を聞くか思いついたかい?」


 何度も繰り返された問いに対して、再度頭の中をフル回転させる。


「えーと。とりあえず、聞きたいことが思いつくまで、君の側にいてもいいかな?」


 絞り出した答えは、とてもテレスの満足のいくものではなかったかも知れないが、それでも今は、この少女の側に居たいと思ったのだ。


「まったく君と言う男は......。存外私は、とんでもない願いを聞いてしまったのかも知れないな......」


 椅子の上でどこか嬉しそうに揺れるテレスが、上がったままの口角を隠しもしないまま呟いた。


「では、改めまして。不思議な国へようこそ。君の道行がせめて幸福なものでありますように」


 そう言って差し出された右手を、僕はしっかりと握りしめた。

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アリスとテレス 稲屋戸兎毛 @INAYADO_TOMOU

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