第23話
「……随分と、派手なことをしたそうね」
目の前には、紅茶を嗜むサビーナ様。
紅茶の湯気の向こうで、その目だけが笑っていなかった。
私は彼女に呼び出され、この部屋へと足を運んでいた。
「座りなさい」
促され、私はサビーナ様と向かい合うように腰を下ろす。
「使用人たちの間でも、噂になっているわよ」
「…そうですか」
目の前のカップに、静かに紅茶が注がれる。
「毒は入ってないわ」
紅茶の水面を見つめていた私に、サビーナ様は何気なく告げた。
私はカップに手を伸ばし、温もりの残る磁器に指先を触れさせる。
一口、口に含む。
香りは穏やかで、わずかに渋みが舌に残る。毒の気配など、どこにもない。
「ルミナからも聞いたわ」
その名を聞いた瞬間、私はあの時のルミナの顔を思い出した。
「……」
私は静かに、カップを置く。
「彼女は…何か言ってましたか?」
「いいえ」
私の問いにサビーナ様は即答をした。
「…言わなかったわ。でもね」
サビーナ様は、紅茶に視線を落としたまま続けた。
「泣き跡が残っていたのよ。それに、あなたの話になると声を抑えるのが下手でね」
「……そうですか」
それだけ答えて、私は視線を伏せた。
「私はルミナの母です」
静かだが、はっきりとした声。
「――あの子に害が及ぶのであれば、私は容赦しない。……それは、あなたも分かっているでしょう?」
「ええ」
短く、肯定する。
サビーナ様は、ゆっくりと顔を上げた。その視線が、真っ直ぐに私を射抜く。
「……噂の言葉。あれは、真実なの?」
問いは曖昧だが、指しているものは一つしかない。―――私がルミナに告げた、「憎んでいた」という言葉。
私は、息を置いた。
「……それはお答えできません」
「…答えない、という答えね」
サビーナ様は、ため息ともつかない息を吐いた。
「それは、肯定とも否定とも取れる。……随分と、不器用な選び方をしたものだわ」
「そうですね」
私は、顔を上げる。
「ですが、これが私の決断です」
サビーナ様の指先が、カップの縁をなぞった。
「あなたは、自分がどう見られるかを分かってやっている?」
「はい」
私はその問いに即答する。
「嫌われても?」
「構いません」
沈黙が落ちる。紅茶の表面が、わずかに揺れた。
「……それが貴女の決意なのであれば、私からは何も言いません」
サビーナ様は一口、紅茶を口に含む。
「ですが――」
カップを置き、視線だけをこちらに向ける。
「ルミナを、あまり悲しませないことね。私は、貴女の義母でもなければ、味方でもないのですから」
サビーナ様は、私をじっと見つめていた。
怒りでも、警戒でもない。ただ、私の覚悟を量るような視線。
「理解しております」
私は短く答えた。それ以上、付け加える言葉はない。
サビーナ様は何も言わず、静かに紅茶へ口をつけた。
――それが、この対話の終わりを示していた。
「―――そういえば」
サビーナ様が、ふと思い出したように口を開いた。
「例の侍女は、今どうなっているの?」
私は一瞬だけ、視線を伏せてから、答える。
「現在も、別邸の地下に拘束されています」
「公爵様は?」
「処遇については、こちらに一任すると」
紅茶の器が、かすかに音を立てた。
「…そう」
サビーナ様は、少しだけ間を置いてから、私を見る。
「では、その侍女の処遇は――貴女に任せるわ」
その言葉を受けて、私はすぐには答えなかった。
「……どんな処遇でも構わないと?」
私の問いに、サビーナ様は静かに頷いた。
「構わないわ」
「…それでは、私の方で決断させていただきます」
私は、地下牢にいる彼女の顔を思い浮かべる。
――利用するには、十分すぎる。
―――――――――
薄暗い地下の一室は、湿った石の匂いがこもっていた。
灯されたランプの光が、鉄格子の影を床に落としている。
「……あら」
低く、掠れた声。
拘束された侍女は、顔を上げて私を見た。
「貴女が…来たのね」
私は数歩、彼女に近づく。
だが、檻の外からは一歩も踏み込まない。
「―――処分をしに来たわ」
その言葉に、侍女の唇がわずかに歪んだ。
「ふふ…」
喉の奥で、くぐもった笑い声が転がる。
「ネメシア…貴女は、いつまでもいいなりの"人形"であればよかったのに」
私は何も言わない。
ただ、静かに彼女を見下ろしていた。
「せっかく……貴女のために、私が手を汚してあげたのに」
視線が、私を射抜く。
「本当は、あの子が憎いはずよ」
その言葉に、胸の奥がわずかに軋む。
けれど、表情は動かさなかった。
「……いいえ」
私は、淡々と否定する。
「私が憎いのは、選ばれなかった自分自身」
一拍、置く。
「それと……守られていることに甘えて、何も変えようとしなかった自分よ」
侍女が、目を見開いた。
「だから、貴女は――」
言葉は、最後まで続かなかった。
私は、一歩だけ近づく。
鉄格子の向こう、彼女の目を真正面から見据える。
「ルミナに刃を向けた時点で、もう言い訳はできない」
静かな声だった。
裁く声でも、怒りの声でもない。
ただ、事実を告げるだけの声。
「エリザ」
一拍、置いてから続ける。
「――貴女は、私ではない」
一瞬で、侍女の顔から血の気が引いた。
「…っ、人形風情が……!」
吐き捨てるような叫びが、地下室に反響した。
その言葉に、私は眉一つ動かさなかった。
「そうね」
短く、肯定する。
「人形でも、悪女でも構わない」
私は懐から小さな硝子瓶を取り出し、彼女の足元の石床に置いた。
ランプの光を受けて、中の透明な液体が鈍く揺れる。
侍女の視線が、吸い寄せられるようにそこへ落ちる。
「……それ」
声が、わずかに震えた。
「ルミナが飲まされたものと、同じ毒よ」
淡々と告げると、彼女は息を呑んだ。
「安心して。即効性はないわ。苦しむ時間は…貴女が選べる」
沈黙。地下の空気が、重く沈んだ。
「悪魔……!」
侍女が、嗄れた声で叫んだ。
「全部、貴女のためにやったのに!」
「違うわ」
私は、首を横に振る。
「貴女は、自分の憎しみのためにやった。そして私は――」
一歩、距離を取る。
「その憎しみを、利用することにしただけ」
言葉を、選ばない。
取り繕わない。
「世間には、こう伝わる」
私は、視線を逸らさず続けた。
「ルミナへの嫉妬に狂った私が、侍女を唆した。けれど計画は失敗し、口封じに処分した、と」
侍女の顔が、理解に追いつかず歪む。
「そうすれば、ルミナは被害者でいられる。私は、誰からも信じられない"悪女"になる」
淡々と告げる。
「…歪んでる……」
「ええ、そうよ。愛しいルミナのためですもの」
震える声。
その瞳に宿るのは、恐怖だけ。
「選びなさい、エリザ」
私は、硝子瓶を指で押し出した。
「自分で飲むか。それとも、誰かの手を借りるか」
答えは、急かさない。
それもまた、罰だった。
私は、ゆっくりと踵を返す。
「…さようなら」
振り返らない。
情も、後悔も、ここには残さない。
鉄扉が閉まる音が、地下に低く響いた。
それで、終わりだった。
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