第93話 神

(否定しなければ……)


剣はゆっくりと息を吐いた。


折れた刀を手放し、両足で大地を踏みしめる。


――逃げない。

――迷わない。


(こいつを殺して証明しなければ……!!)


その視線は、まっすぐに無い野を射抜いていた。


(自らが信じてやまない才能……積み上げてきた努力!その全てがハリボテの空想だったと!!神になど成れないと!!)


剣は、最後の手段を選ぶ。


「……祝福」


低く、

噛み締めるように。


「――炎魂えんこん。」


その瞬間。


剣の身体から、金色の炎が走った。


無い野は無言でその炎を見上げる。


「今、俺の身体を包んでいるこの力――

 俺の祝福、炎魂。」


剣は燃えるような気を纏った手を軽く握る。


「これは……単なる強化じゃない」


一歩、また一歩。


空気が押し潰される。


「俺の寿命を、気に変換する祝福だ」


観客席がざわめく。


「……は?」


「寿命……?」


剣は視線を逸らさない。


「神界人の寿命……平均約三百歳。

この祝福が発現し、斧神様の元に仕えてからおよそ十五年……」


その口元が、

わずかに歪む。


「――五十年だ」


空気が凍る。


「俺がこれから生きるはずだった

 五十年分の人生」


「残された俺の寿命――

 全てを、今ここに変換する」


剣の背後で、炎魂が唸る。


「当然、使えば戻らない」


「だがな――」


一歩、踏み込む。


「野神様の……斧神様の為ならば安い命だ。」


剣は、完全に勝ちを確信していた。


炎魂が、限界まで圧縮される。


「抵抗してみろ……お前の才能でな」


寿命。


未来。


これから歩むはずだった――

人生。


それらが、

一気に“気”へと変換される。


――ゴォォォ……!!


「……ッ!」


観客席が、

悲鳴すら上げられず凍りつく。


司会は、目の前の状況に言葉を失っていた。


『じゅ、寿命を……気に……!?』


禁忌。


祝福「炎魂」。


自身の寿命を削り、

莫大な力へと変換する――

取り返しのつかない能力。


だが。


(……それでも……)


剣は、

無い野から目を逸らさない。


笑いも、

後悔も、

救いも、

償いも。


その全てを――

今この瞬間に、凝縮する。


剣の身体に、

ひび割れるような光が走る。


髪が揺れ、

皮膚が軋み、

神の気が暴走する。


――ドォン……!!


大地が沈む。

空気が押し潰される。


無い野は、

その場で動かず――

ただ、剣を見据える。


蒼の気が、静かに呼応する。


剣は、

燃え尽きる覚悟で――

腕を引いた。


炎魂が、極限まで圧縮される。


剣は、

全てを賭けて――

無い野へと踏み出した。


「これが……俺の五十年全てだ……!!」


アリーナ全体が、

剣の変換された五十年分の気で満たされていく。


炎のようでいて、

炎ではない。


光のようでいて、

光でもない。


そこにあるのは――

濃縮された人生そのもの。


――ゴォォォォォォ……!!!


力の質ではない。

技巧でもない。


ただひたすらに――

圧倒的な“量”。


剣は、

その中心に立っている。


燃え盛る炎魂を、

完全に制御し――

一点へと収束させていく。


ドォォォォォォォォォ………!!


目の前の光景に観客は無言で齧り付いた。


視線の先。


無い野。


「……終わりだ」


低く、確信に満ちた声。


剣は腕を突き出す。


「受けろ」


その動きだけで、空間が歪む。


「――俺の全てだ」


次の瞬間。


剣は、

無い野へ向けて――


その全てを、放出しようとした。


放出する、

ほんの数秒。


その刹那に――

剣は、確かに聞いた。


「……そんなに安いものだったのか?」


耳元ではない。

頭の中でもない。


存在の正面から。


「お前の人生は」


――放出。


世界が、

白に塗り潰された。


眩しすぎる光に、

観客は反射的に目を伏せる。


ドォォォォォォォォォン!!!!!


爆音。


耳を塞がなければ、

鼓膜が裂ける。


アリーナを覆っていた

五十年分の気が――

一気に解き放たれる。


その爆音ゆえに、

無い野の次の言葉を

聞けた者はいなかった。


「――final form。」


次の瞬間。


――パキィン。


乾いた音と共に、

結界が崩壊した。


耐え切れず、砕け散る。


圧縮されていたエネルギーは、

まるで存在そのものを否定されるかのように

消し飛んだ。


――ドガァァァァァァァァン!!!!


爆風。


周辺の岩盤が、

根こそぎ吹き飛ばされる。


瓦礫が舞い、

粉塵が空を覆う。


視界が――

ブレる。


音が――

遠い。


キィィィィン……。


高音だけが、

耳鳴りのように残り続ける。


辺り一体全てを覆う煙。


その煙が徐々に晴れていく。


「…………!?」


視界が戻る。


焦点が合う。


自らが――

人生を賭けて消し飛ばした筈の男。


その男は――


正面に、立っていた。


無傷。


衣服一つ、

乱れていない。


蒼の気は、

静まり返り――

まるで最初から

存在していなかったかのよう。


剣の喉が勝手に鳴る。


「……な……」


声に、

ならない。


(……何が……起こって……何故……)


五十年。


自分の人生。


全てを叩きつけた。


それでも――


そして無い野は淡々と告げる。


「自身の価値を履き違えた奴の人生……五十年など……何の価値もない」


その一言が、

剣の中で――

何かを、完全に折った。


否定されたのは、

技でも、力でもない。


――人生そのものだった。


剣は、

ただ――立ち尽くしていた。


思考が、

定まらない。


音も、

景色も、

現実感を失っている。


(……俺の……)


五十年。


そして、

あの夜から続く――

人生のすべて。


それが今、目の前で完全に否定された。


しかも――

目の前に立っているのは。


自分が、最も否定したかったはずの存在。


だが。


不思議と――

嫌悪は、なかった。


殺意も。

怨恨も。

憎しみも。


あの爆光と共に、

全て――吹き飛ばされていた。


(……何だ……)


胸の奥で、

身体が何かを語ろうとしている。


言葉にしてはいけないと

分かっている“それ”。


目の前の男の――

正体。


(……違う、そんなもの居るはずがない……)


その瞬間、

頭が警告を鳴らす。


――言うな。

――それを言えば、

 お前の人生は完全に崩れる。


――自分が成れなかったこと。

――守れなかったもの。

――剣を振るった意味。


全てが、

無価値になる。


絶対に。


絶対に、言ってはいけない。


目の前の男の正体を。


だが――


剣はもう気づいていた。


あの折れた刀を掴まれた時から。

炎魂すら届かなかった、

あの瞬間から。


(やっと……いや最初から……気づいていた……)


剣の唇が僅かに震える。


喉が乾く。


それでも――

声は、出た。


確かに。

はっきりと。


「……神……」


その一言で。


剣の中にあった

全ての言い訳が、

静かに崩れ落ちた。


(無い野……本当は分かっていたよ)


否定はもうできない。


(俺こそが堕天だったのだ)


目の前の男は、かつて自分が成ろうとした存在。


そして諦め、否定した存在。


(絶望し……全てを捨てたあの日から……)


(既に堕ちていた)


剣は、

灯が消えるのを感じながら――

ただその存在を見つめていた。


否定ではなく。

憎悪でもなく。


――理解と、受容の目で。

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