第89話 我欲

『――開始ィィィ!!』


次の瞬間。


剣の姿が、

視界から消えた。


――キンッ!!


剣の刃が無い野の首を刈りに来た。


「……っ」


無い野は、

蒼の気を一気に解放する。


地面が軋み、

踏み込んだ瞬間に姿が揺らぐ。


――ズバァッ。


刃は空を裂き、

無い野の残像だけを斬った。


「避けた!!」

「どっちも速ぇぞ!」


観客の声が遅れて響く。


だが剣は止まらない。


――キン、キン、キンッ!!


三連。


無駄の無い踏み込み。

最短距離。

刃の角度は常に急所。


無い野は、

跳ぶ・転がる・弾く。


蒼の気で強化された身体能力で、

紙一重の回避を続ける。


『速い!速いぞ剣!無い野は勢いに押され、防戦一方だァ!』


(確かに速い……)


だが。


(違う)


無い野の思考は冷えていた。


(速さだけじゃない……)


剣の刃が振るわれるたび、

空気が切断される。


(刀に神の気を込めているんじゃない……刀自体に神の気が元々宿っている……奴だけじゃなく刀にも何か能力があると思った方がいいな)


一歩踏み込めば首。

半歩下がれば腹。

逃げ道そのものを削り取る剣。


無い野は、

あえて後退する。


――キンッ!!


刃が肩口を掠め、

血が一筋走る。


観客が息を呑む。


「押されてるぞ……!」

「無い野、防戦一方じゃねえか!?」

「何だよ!意外と大した事ねえぞ!」


だが。


無い野の目は、

一切揺れていなかった。


剣の呼吸。

踏み込みの癖。

刃を戻す角度。


全てを、

頭の中で分解していく。


――キィンッ!!


蒼の気を右手に集中させ、弾いた。


初めて無い野が刃を止めた。


ほんの一瞬。


剣の目が僅かに細まる。


「……」


無言。


だが、確かに“評価”が含まれていた。


無い野は蒼の気をさらに高める。


床にひびが走った。


無い野の身体を覆う蒼の気がより濃く、より硬質に変質していく。


――蒼鎧。


蒼の気が、

鎧のように皮膚へ定着する。


――キンッ!!


剣の刃が、

正面から斬り込まれる。


だが。


「………!」


金属が擦れるような音。


刃は無い野の身体に弾かれた。


『おぉっと!!無い野の身体に刃が通らない!!蒼鎧で完全に刀を無効化しています!!』


観客席がざわめく。


「今の……通ってねえのか!?」

「刀効いてねえぞ!」


剣はわずかに距離を取った。

そして無言のまま刀を構え直す。


無い野の目が鋭くなる。


(……来る)


剣は刀の柄に手を掛けたまま動かない。


だが。


神の気だけが異常な密度で刀へと集束していく。


刃が淡く震え始める。


(刀に……神の気を集中……)


無い野は、

蒼の気をさらに巡らせ、構えを低くした。


次の瞬間。


「飛び宗とびむね。」


剣が初めて口を動かした。


空に刀を振る。


――ヒュン。


空気が、

斬られる。


――ズバァァッ!!


視認できるほどの斬撃が、

地面を裂きながら無い野へと飛ぶ。


(飛ぶ斬撃!)


無い野は、

横へ跳ぶ。


斬撃は背後の地面を切り裂き、

アリーナに深い亀裂を刻んだ。


(……なるほど)


着地した瞬間。


無い野の視界が刃先に向けられる。


剣が無言で刀を突き出した。


その刹那。


――ギィィ……。


不快な金属音。


(刃先に神の気を……まさか……)


刀身が、伸びた。


物理法則を無視するように、

刃が異様な速度で延長される。


「……っ!」


無い野は、

反射的に後退するが――


――ザッ。


蒼鎧を、掠った。


鎧の表面が削れ、

蒼の気が霧散する。


『これは……!?刀が伸びました!!無い野に掠ったぞ!!』


「何だよあの刀……?」」

「伸びた……!?刀が……!?」


無い野は、

距離を取って構え直す。


蒼鎧に浅い亀裂。


(飛ぶ斬撃、刀身の調節……奴か刀かどちらの祝福か分からんが……厄介だな)


剣は、

再び無言で構える。


刃は、

元の長さへと戻っている。


だが。


空気が、

完全に変わった。


無い野は、

静かに息を吐いた。


蒼の気が再び静かに、しかし確実に高まっていく。


無い野は一度だけ深く息を吐いた。

蒼の気が身体の内側で渦を巻く。


「……人格分裂」


低く、淡々と告げる。


次の瞬間。


――ズズッ。


無い野の背後で蒼の気が膨張した。


影が、増えた。


一体。

二体。

三体――。


同じ顔、

同じ姿。


だが、

目に“意思”はない。


自我を持たない、戦闘のためだけに切り出された分身。


司会が叫ぶ。


『これが無い野の祝福か!?複数の無い野が同時に出現しました!!』


剣は一切動揺しない。


ただ刀を構える。


次の刹那。


無い野達が一斉に走り出した。


前後左右、死角を埋めるように散開。


床を蹴る音が重なって響く。


剣は一歩も下がらない。


――ヒュン。


刀が空を斬る。


「飛び宗」


――ズバァァッ!!


横一文字の斬撃が宙を飛ぶ。


二体の無い野が同時に胴を断たれ、霧散する。


続けざま。


――ヒュン、ヒュンッ!!


斜め、縦、斜め。


三連の斬撃。


さらに二体が、

切断されて消える。


だが。


剣の視界が、

一瞬だけ“抜けた”。


切り裂いた無い野――

その背後。


そこに。


「――ここだな」


本体の無い野が、

間合いに踏み込んでいた。


「……!」


剣は即座に刀を振る。


――キンッ!!


だが。


無い野の腕を覆う蒼の気が、

刃を正面から受け止めた。


蒼鎧が軋む。


剣の動きがほんの一瞬だけ止まった。


その隙。


無い野は、

身体を捻り、腰を落とす。


蒼の気を、

拳に一点集中。


――ドンッ!!


鈍く、重い衝撃音。


蒼の気が、

爆発的に叩き込まれる。


剣の身体が、

宙に浮いた。


「……っ!」


後方へ吹き飛び、

地面に叩きつけられる。


――ズガァン!!


アリーナの床が、

砕け散る。


「当てたァァァ!!」

「無い野が剣に一撃入れたぞ!!」


剣が地面に片膝をつく。


だが、刀は落とさない。


ゆっくりと立ち上がり――

初めて、はっきりと無い野を見る。


その目には明確な感情が宿っていた。


敵意でも怒りでもない。


――興味。


「……お前」


剣が無い野を見つめながら刀を構え直す。


「堕天者らしいな」


無い野も、蒼の気を纏ったまま前に出る。


「……それがどうした」


人格分裂の残骸が淡く消えていく。


「野神様を………殺す………堕天らしい……汚く……低俗で……ひたすらに不愉快な思想だ……」


剣は立ち上がり無い野を睨みつけた。


「我欲……それがお前の死因だ……地面に叩き堕とされ……そのまま這いつくばっていればいいものを……再び……立ちあがろうと……」


無い野は瞬時に気づいた。


剣の身体の底から湧き上がってくる果てしなく深い神の気に。


「味わわせたいぞ……お前に……」


同時に剣の持つ刀からも神の気が溢れ出す。


「安泰……ぬるま湯……その中で自身の才能を勘違いし、我欲を貪ろうとするお前に……!屈辱と死を!」


剣の周りが徐々に神の気で包み込まれる。


無い野は一目見て剣の狙いにいち早く気づいた。


(大平戦の……自身の周囲を自分の気で霧のように包みこむ事でレーダーのような役割を果たす……)


「我欲……そうだな……どうやら俺は周りと比べても我欲が高いようだ」


(奴のレーダー……範囲はせいぜい2、3メートル……)


「我欲……全ては自分の為……」


無い野もまた、自身の隠していた蒼の気を解放する。


「今はただ……お前を殺したい。」


蒼の気と神の気、二つが同時に解き放たれた。

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