第67話 招待
それは古びた教室だった。
黒板はひび割れ、
窓から差し込む光だけが埃を照らしている。
急遽建て直された仮校舎だからだろう。
黒板も机も古く、昔の物を使い回しているのだと分かる。
「……誰も、いないな」
田野がそう呟く。
翔馬は、教室の中央に立ったまま、違和感を拭えずにいた。
(確かに……ここに来たはずだ)
あの小さな背中。
確かな気配。
だが――
「……消えた?」
――カチャ。
突如教室の隅にあった掃除用具入れの扉が、内側から静かに開いた。
「………え?」
ギィィィィ………
まるで“元から開く予定だった”かのように。
中から現れたのは、一人の男だった。
黒を基調とした、仕立ての良い服。
屋敷の執事を思わせる端正な佇まい。
背筋は一本の線のように伸び、無駄な動きが一切ない。
年齢は分からない。
若くも見え、老成しても見える。
何故掃除用具入れの中に入っていたのか。
自分達がここに来るのが分かっていたのか。
翔馬達が考えていたことはそんな事ではなかった。
(こいつ………強い!)
「おや……驚かせてしまいましたかな」
男は胸に手を当て、わずかに一礼する。
その仕草は完璧だった。
だが、礼をされているはずなのに、
翔馬の背中を冷たい汗が伝う。
「初めまして。
私は――」
男は微笑み、淡々と告げる。
「七天神、多死Ross様にお仕えする者でございます」
瞬間。
翔馬と田野は同時に構えた。
男からは神の気が滲み出し、
教室の床の埃が舞う。
(七天神……!無闘達から聞いた神界の精鋭部隊……!)
「願ってもない……お前らから接触してくるとはな。」
翔馬が低く言う。
男はそれを否定も肯定もせず、
ただ静かに頷いた。
「はい。
本日は“招待”に参りました」
声には一切の軽さがない。
「………招待?」
「我が主、多死Ross様はこう仰せでした」
男は一歩、前に出る。
――たった一歩。
それだけで、
翔馬達の本能が警鐘を鳴らす。
「『下界を戦場に変えるか』
あるいは――」
男の目が、細くなる。
「『こちらで、正式に遊ぶか』」
その“遊ぶ”という言葉が、
冗談ではないと、誰にでも分かった。
「神界七天神トーナメント。
10年に一度、多死Ross様が開催する催し物です。
優勝者には――」
男は、穏やかに微笑む。
「七天神直属の部下という、名誉ある席をご用意しております」
田野が、息を呑む。
「そのトーナメントに……俺達が出る……?」
「……拒否権は?」
翔馬が問う。
男は一瞬、考える素振りを見せてから――
丁寧に、首を振った。
「恐れながら」
その声は、終始変わらない。
「ございません」
教室の空気が、凍りつく。
「参加されない場合、
下界そのものが“会場”となるだけでございます」
男は再び、一礼した。
「ご安心ください。
どちらを選ばれても――」
顔を上げ、静かに告げる。
「必ず、死ぬほど楽しめますので」
数秒の沈黙の後、
翔馬はゆっくりと息を吐き、告げた。
「……分かった。
俺たちは――参加する」
その言葉を聞いた瞬間、
男の表情は一切変わらなかった。
だが、教室の空気だけが、わずかに緩む。
「ご英断にございます」
男は満足げに頷き、
再び丁寧に口を開いた。
「では、神界七天神トーナメントの概要を」
男は指を一本立てる。
「本大会は、五対五の勝ち残り形式」
静かな声が、教室に響く。
「一人が敗れればその方は脱落。
最後に一人でも残っていた側の勝利となります」
田野が眉をひそめる。
「……団体戦、ってわけか」
「左様でございます」
男は肯定する。
「なお、神界中より腕自慢が集いますため、
本来であれば予選を設けておりますが――」
そこで、男は一度言葉を切った。
そして、翔馬を真っ直ぐに見据える。
「皆様には、その必要がございません」
空気が、再び張り詰めた。
「多死Ross様のご判断により、
本戦からの出場となります」
「……随分、買われたもんだな」
翔馬が低く呟く。
男は否定せず、ただ静かに微笑んだ。
「大会の開催は――十日後」
そう告げると、男は踵を返す。
「後日、改めてお迎えに上がります」
再び掃除用具入れへ向かいながら、
最後に振り返り、こう付け加えた。
「それまでに――」
その声は、変わらず穏やかだった。
「出場する五名を、お決めください」
男は一礼し、
ゆっくりと掃除用具入れの中へ入り、扉を閉め
た。
田野が恐る恐るその用具入れに近づき、扉を開けるが中に入っていたのは掃除用具のみ。
翔馬は小さく息を吐いた。
「……10日、か」
短いようで、
あまりにも重い猶予だった。
一方――
西校舎、トイレ。
ひび割れたタイルに、水滴が落ちる音だけが響いていた。
「……いるな」
無闘が低く呟く。
Fも無言で頷き、壁に背を預けたまま気配を探る。
個室の奥。
確かに、何かが潜んでいる。
「出てこい」
無闘が一歩、前に出た瞬間。
――ギィ。
最奥の個室の扉が、ゆっくりと開いた。
「……ッ!?」
現れたのは――
血まみれの男だった。
制服は裂け、身体中に無数の傷。
床に滴る血が、赤黒く広がっている。
「……抹殺斗……?」
Fが、信じられないものを見るように呟く。
無闘も言葉を失った。
「お前……なんで、ここに……!?」
抹殺斗は壁に手をついたまま、
かろうじて立っている状態だった。
「……ぉ………お前ら………か………」
声は、掠れている。
「大丈夫か!?誰にやられた?」
無闘が問い詰める。
一瞬、抹殺斗の口元が歪んだ。
「……執事……」
「……は?」
「……執事が………俺を……引きずって……ここまで……人間じゃ………な……い……」
それだけ言うと、
抹殺斗の膝が崩れ落ちる。
「おい! 抹っ――!」
無闘が手を伸ばすが、
抹殺斗はもう焦点の合わない目で、天井を見ていた。
「……クソ……」
それが、最後の言葉だった。
次の瞬間、
抹殺斗の身体から、完全に力が抜けた。
沈黙。
トイレに残ったのは、
水滴の音と、死体だけだった。
「……執事、だと?」
無闘が、低く呟く。
Fは拳を強く握り締める。
「……めんどい事になってきたね。」
その頃――
別の場所。
瓦礫の広がる空間に、
無い野は一人、立っていた。
「……誰だ、貴様」
背後から感じる、異質な気配。
振り返ると、
そこには一人の男が立っていた。
神の気を、隠す気すらない存在。
「初対面だな」
男は肩をすくめ、軽く笑う。
「神界七天神所属――
多死Rossって者だ」
無い野の瞳が、わずかに揺れた。
(……七天神……)
男――多死Rossは、周囲を見渡しながら続ける。
「他の連中には、もう俺の部下が“案内”してる頃だ」
そして、無い野を見据えた。
「だがな……
元凶のお前には、俺が直接来た方がいいと思ってな」
「……何の用だ」
無い野が低く問う。
多死Rossは、表情を崩さずに尋ねた。
「多い死は――
最後に、何か言っていたか?」
一瞬、沈黙。
無い野は少し考え、口を開く。
「……お前、多い死の――」
「質問に答えろ」
多死Rossの声が、冷たく落ちる。
空気が、重く沈んだ。
無い野は、静かに言った。
「……多い死に、とどめを刺したのは俺じゃない」
視線を逸らさず、続ける。
「蒼気だ」
一拍。
多死Rossは、目を細めた。
「……そうか」
小さく息を吐く。
「あの裏切り者め……」
だが、怒りは長く続かなかった。
すぐに表情を切り替え、
多死Rossは語り始める。
「さて……本題だ」
神界七天神トーナメント。
そのルール、その意味。
淡々と、しかし確実に、
無い野の中へと叩き込まれていく。
全てを語り終えた後、
多死Rossは不敵に笑った。
「大会、楽しみにしてるぞ」
その言葉を残し、
多死Rossの姿は、ふっと掻き消えた。
瓦礫の中に残された無い野は、
一人、静かに立ち尽くす。
(トーナメント……か。)
それぞれの場所で、
歯車は確実に噛み合い始めていた。
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