第2部 神野ストーリー

第1章 神界トーナメント編

第66話 神界高校

 ——翔馬。


 誰かが、名前を呼んだ。


 返事をしようとした瞬間、気づく。

 身体が、まったく動かない。


 指先も、瞼も、声帯すらも。

 意識だけが、暗闇に沈められている。


 ——翔馬。


 再び、声。


 今度は、少し近い。


 低くも高くもない。

 どこか幼く、澄んだ——小さな女の子の声。


(……誰だ………?)


 そう思った刹那。


「……起きて」


 囁きが、耳元で弾けた。


 ——ハッ、と。


 翔馬は、上半身を跳ね起こした。


「……っ!」


 荒く息を吐き、周囲を見回す。

 見慣れた天井。自室。

 朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。


「……夢……?」


 額に浮かんだ冷や汗を拭い、胸に手を当てる。

 心臓は、まだ速い。


 蒼気との闘いから——約一ヶ月。


 町は、復興が進みつつあった。

 崩れた建物は撤去され、仮設の道路が引かれ、人の声も少しずつ戻ってきている。


 だが。


 テレビをつければ、どのチャンネルも同じ話題だ。

 「原因不明の大規模消失」

 「未曾有の災害」

 「専門家による調査継続中」


 真実には、誰も触れない。


 そして——神界高校。


 翔馬たちの通うその学校は、今も休校中だった。


「……まだ何も掴めない、か」


 呟きながら、スマホを手に取る。

 無い野たちと共に、野神のいる“神界”について調べ続けているが、決定的な情報は未だ見つかっていない。


 まるで、世界そのものが意図的に隠しているかのようだった。


 その時。


 スマホが、短く震えた。


「……?」


 画面を見る。


 発信者は——無闘。


 ほぼ同時に、Fからも着信が入った。


 嫌な予感が、背筋を走る。


 通話を繋ぐより早く、メッセージが表示された。


『翔馬、聞いてくれ』

『今、神界高校から妙な気配がする』


 翔馬の指が、止まる。


『休校中のはずなのに』

『蒼の気とも違う、でも確実に“何かいる”』


 Fからの追撃。


『場所は、校舎の中心部』

『嫌な感じがする。かなりだ』


 翔馬は、静かに息を吸った。


 夢の中で聞いた、あの声が脳裏をよぎる。


 ——起きて。


「……呼ばれてる、ってことかよ」


 スマホを強く握りしめ、立ち上がる。


 神界高校。

 そこは、始まりの場所。


 翔馬は田野に連絡を入れ、簡単に状況を伝えた。

 余計な説明は要らなかった。


「……わかった。行こう」


 それだけで、十分だった。


 二人は合流し、神界高校へと向かう。


 ——本来なら、笑い声と部活の掛け声が響いているはずの通学路。

 だが今は、人影ひとつない。


 校舎が見えてきた瞬間、空気が変わった。


「……ここか」


 門の前には、すでに二人の姿があった。


 無闘と、否定者F。


 どちらも腕を組み、校舎を睨みつけている。


「遅かったな」


 無闘が振り返り、翔馬を見る。


「無い野は?」


 その問いに、翔馬は首を横に振った。


「知らない。

 あいつなりに調べてるらしいけど……」


 少し間を置いて、苦笑する。


「当て野も花野も、どこにいるんだか……」


「……そうか」


 無闘はそれ以上追及しなかった。


 代わりに、校舎へと視線を戻す。


「とにかく、中に入って様子を見よう」


 その言葉に、Fが嫌な顔をする。


「えー……中入るの?怖いから3人で見てきてよ。」


「何の為に来たんだお前……」


 校門は、閉まっていた。


 本来なら、固く施錠されているはずだ。


 だが。


 無闘が触れた瞬間——


 ギ……ィ……。


 金属が擦れる音を立て、校門が簡単に開いた。


「開いてる……?」


「……歓迎されてる、ってわけか。」


 田野が低く呟く。


 無闘は気にする様子もなく、先に足を踏み入れた。


「"神界高校"………祝福の件といい分かっちゃいたが……やっと尻尾を見せてくれたな。」


 四人は、静かに校門を抜ける。


 背後で、校門が——


 ガシャン、と重く閉まった。


 逃げ道を断つように。


 校舎内は、異様なほど静かだった。


 風の音すら、聞こえない。


 なのに。


「……なんかいるね。」


 Fが、確信をもって言った。


 翔馬も感じていた。


 視線の奥。

 廊下の先。

 階段の踊り場。


 “見られている”。


 だが、姿は見えない。


 翔馬は、無意識に拳を握る。


 四人は、ゆっくりと校舎の奥へ進んでいった。


 神界高校。

 その内部で待つ何かが、

 静かに、彼らを迎え入れようとしていた。


「手分けしよう」


 下駄箱に着くなり、無闘がそう切り出した。


「この気配、校舎全体に広がってる。

 固まって動くより、二手に分かれた方が早い」


 Fが即座に補足する。


「連絡はスマホで。

 異常があれば、すぐ共有ね。」


 翔馬と田野は顔を見合わせ、頷いた。


「じゃあ——」


「東校舎を、俺と田野が行く」


 翔馬が言うと、無闘は西校舎へ視線を向ける。


「俺とFは西だ。

 無理はするなよ」


「こっちの台詞だ」


「後でねー!」


 短いやり取りの後、四人は背を向けた。


 それぞれの校舎へと、足音を分ける。



 東校舎。


 廊下は、薄暗く、やけに空気が重い。


 窓から差し込む光はあるはずなのに、どこか色が抜け落ちて見えた。


「……静かすぎるね」


 田野が小さく言う。


「ああ」


 翔馬は歩きながら、違和感を探っていた。


 そして——


 ふと、足を止める。


「……ここ」


 翔馬は壁に手をかざした。


 触れた瞬間、微かな震えが指先を走る。


「これ……」


 目を閉じる。


 集中すると、感じ取れる。


 空間に染みついた、淡い波動。


「神の……気?」


 自分が纏うものと、よく似ている。

 だが、完全に同一ではない。


「俺と同じ系統……

 でも、もっと古い」


 残滓。

 すでに主を失った力の名残。


「ってことは……」


 田野が息を呑む。


「ここに、神界人がいた?」


「間違いない」


 翔馬は廊下を見渡した。


 よく見ると、同じ感覚は一箇所だけじゃない。

 教室の前、階段の手すり、天井の梁——


 点在している。


「しかも、一時的じゃない。

 長期間、ここに“在った”感じだ……何で気づかなかったんだろう……」


 その瞬間、翔馬のスマホが振動した。



 一方、西校舎。


 無闘とFもまた、同じ異変に行き当たっていた。


「……やっぱりか」


 無闘は、拳を握る。


「ここにも、濃いのが残ってる」


 Fが周囲を見回しながら言う。


「単なる痕跡じゃない。

 空間そのものが、向こう側に寄ってる」


「生徒が消えて本格的に動き出したか……」


 無闘は、ある可能性に辿り着く。


「神界と、下界の“接点”だ」


 Fが、静かに頷く。


「まあそんな気はしてたけどねー。」


「神界高校、か……」


 無闘は鼻で笑う。


「ふざけた名前だと思ってたが……」


 廊下を踏みしめながら、言葉を続ける。


「やっぱここは——

 神界側の連中が、下界と繋げる為に意図的に作った場所って考える方が自然だな。」


「観測用か、侵入口か……

 あるいは、どっちもだね。」


 Fがそう結論づけた、その時。


 無闘のスマホが鳴った。



《こっちも同じだ》

《神の気の残滓が、校舎中にある》


 翔馬からのメッセージだった。


 無闘は短く返信する。


《やっぱりな》

《ここは普通の学校じゃない》


 画面を閉じ、無闘は校舎の奥を見据えた。


「……となると」


「“まだ何かが残ってる”可能性も高い」


 Fの言葉に、無闘はゆっくりと頷いた。



 ――コツ。


 乾いた音が、廊下の奥で鳴る。


 瞬時に翔馬は振り返った。


「ん………?」


 翔馬は、確かに見た。


 薄暗い廊下の先、

 小さな影が、角を曲がっていくのを。


「……今の……」


 反射的に、声が漏れる。


 背丈は低い。

 小学生……いや、それより幼いかもしれない。


 白っぽいワンピース。

 短いおかっぱの黒髪。


 不自然なほど、この場所に合っていない存在。


「こんなところに……?」


 翔馬の胸に、言いようのない既視感が走る。


 知っている。

 ――会ったことがある。


 だが、思い出せない。


 翔馬は、隣にいた田野を見る。


「なあ、今の……見たか?」


「……え?」


 田野は、きょとんとした顔で首を傾げた。


「今のって……何?」


 その瞬間、背筋が冷えた。


「……女の子がいたろ。小さい……奥に行った」


「はぁ?こんな所にいる訳ないだろ。」


 田野の声が、少しだけ低くなる。


 沈黙。


 翔馬は、もう一度、廊下の奥を見る。


 当然、そこには誰もいない。


 だが――


(……気のせい、じゃない)


 確信だけが残っていた。


「……追うぞ」


「おい、ちょっと待て――」


 田野の制止を振り切り、

 翔馬は廊下の奥へ走り出す。


「翔馬!どこ行くんだよ!」


 田野も、後を追った。


 角を曲がり、

 さらに奥。


 そこはかつて文化祭でサメが壊し、急遽建て直された仮校舎。


 足音が、やけに響く。


 ――その時。


 ふっと、空気が変わった。


 重い。


 空間そのものが、沈み込んだような感覚。


 翔馬は、無意識に立ち止まる。


(……神の気……?)


 微弱だが、確かに感じる。


 それも――

 自分と似ているが、決定的に違う質。


 幼い。

 だが、底が見えない。


「……ここだ」


 翔馬の視線の先。


 古い教室の扉が、

 わずかに――開いていた。


 一方、その頃。


 無闘とFは、西校舎一階にいた。


「……ねえ、気づいた?」


 Fが、小声で言う。


「ああ」


 無闘も、同じものを見ていた。


 男子トイレ。


 確かに、人影が入った。


 だが――


 足音が、消えた。


「……妙だな」


「慎重にね。」


 二人は、息を殺して近づく。


 無闘が、ゆっくりとトイレの扉に手をかける。


 ――ギィ……。


 軋む音。


 中は、薄暗い。


 個室が並び、

 水滴の音だけが響いている。


「誰だ。」


 無音。


 返事は、ない。


 Fが一歩、踏み込んだ瞬間。


 ――ピチャ。


 足元に、冷たい感触。


「……水?」


 違う。


 床に広がるそれは、

 窓から当たる日光を浴び、赤黒く光っていた。


(血………!)


「……無闘」


「ああ……分かってる」


 無闘は、確信する。


(ここ……繋がってる)


 下界と、

 どこか別の“層”。


 神界高校。


 その名が、初めて現実味を帯びた。


 無闘は、拳を握る。


「……ここにあるぞ。」


 その瞬間。


 個室の一つが、

 ――内側から、コン、と叩かれた。


 二人は、同時に構える。


 次の瞬間。


 扉が、ひとりでに――開いた。


 誰かいる。


 Fが、息を呑む。


神界高校。

 その内部で待つ“何か”が、

 静かに、彼らを迎え入れようとしていた。

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